昨日は詩人は変わるだろうという発言から、次に短歌がかわるが、俳句は変わらないのではないかという意見で終わってしまったが、果してどうなのだろう。俳句が変わらない、という答えの中には俳句が自然を詠む形式で時事が詠みにくい、という観念があるからだ。
もうひとつ短歌も変わるだろうという意見についてだが、それは短歌が俳句の倍以上の言葉を使うために、情景をより細密に言葉に出来る形式だからである。だが、果して地震という言葉を入れれば地震を詠んだことになるのだろうか。人生の上澄みを掬うように詠むことに陥り易い俳句はもどかしい文芸である。もしかしたら、人生を掬い取れない、あるいは人生が詠みにくい形式だと錯覚してしまうのは、季語の呪縛にあるかもしれない。
我を遂に癩の踊の輪に投ず 平畑静塔
万両や癒えむためより生きむため 石田波郷
綿虫やそこは屍の出でゆく門 石田波郷
今生は病む生なりき烏頭 石田波郷
蟻地獄群るる病者の床下に 石田波郷
紅梅や病臥に果つる二十代 古賀まり子
炎天の坂や怒を力とし 西東三鬼
強奪という愛のあり蘆の角 高野ムツオ
恩愛やことに生姜の薄くれなゐ 栗栖浩誉
傾城は後の世かけて花見かな 与謝蕪村
愛を誓ひ案山子のまへに来て別る 原裕
子規は眼を失はざりき火取虫 浅香甲陽
原爆図中口あくわれも口あく寒 加藤楸邨
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ 金子兜太
持ち古りし被爆者手帳原爆忌 竹下陶子
拭いてすぐ曇る眼鏡や原爆忌 伊藤仙女
一房のぶだう浸せり原爆忌 原裕
被爆地に夾竹桃の花咲けり 中野美智子
被爆国に大統領よ座りなさい 谷山花猿
俳句は結果を詠むことに適した形式なのが解る。