2015年1月 のアーカイブ

冬桜ときどき雲のつながれり   岩淵喜代子

2015年1月20日 火曜日

筆者 ・上原重一
『峰』2015年2月号「俳句月評」より転載。

『俳句 α』⒓月・1月号の「今月の俳句」欄七句より。
冬桜は十一月頃から一月頃にかけて咲く桜。冬の雲がぽっかり浮かんでいるのがときどき繋がったりするのだ。心を同じくする友に出会うような気分。何とも言えず楽しい風景だ。満足するまで冬桜に見とれている作者。

生涯をかけてる人

2015年1月19日 月曜日

昨日の新年会「文芸集団」の会長は野村路子さん。私がこの方に最初に出会ったのは埼玉文学館の評論賞受賞式の会場だった。選者のお一人として『頂上の石鼎』を強く推して下さった方だ。

そのときは、アウシュヴィッツを訪れたことから、ずっとその悲惨な姿を伝えるドキメンタリーを書きつづけている方、というくらいの認識をしただけだった。

その後、「テレジンを語りつぐ会」の組織的な活動をしていることも知った。「テレジン」とは、アウシュヴィッツに消えたる前の中継点となった場所。そこにとどまっている間に書いた子供たちの詩や絵を日本で紹介したり、見聞の現状を著書にしたり、講演活動を続けているのである。

昨年は埼玉新聞の文芸賞を受賞。また今年は、戦争終結70周年、アウシュヴィッツ解放70周年ということで、テレジンに招かれているというこだった。「零下何十度っていう地域なんですよね」とおっしゃったが、訪れるのだろう。なんとなく、勇気づけられる方だ。

そういえば、その終戦70周年ということで、日本の総理安倍さんも同地を訪れて、二度とこんな悲劇が繰り返されないように、というようなご挨拶をしたようだ。

今年三つ目の新年会

2015年1月18日 日曜日

150118_1731~01 籤運は全く無いので、4つの景品の一つが私に来るなんて塵ほども期待しなかった。最初の番号が読み上げられた時に「やっぱしね」という感じだった。ところがそのあと私の手持ちの札の番号が読み上げられて吃驚。

三番目が私の隣席の方、そうして4番目は背中合わせの席で、ときどきお互いが後ろ向きになって会話を交わしていた方だった。三人で「この場所ってパワースポットだったんじゃない。と言い合った。

それで、私の頂いたのは詩人中原道夫さんの色紙。文字の配分が面白い。帰りがけにお礼を言おうと思って近づくと「やー貰ってくれてありがとう」と言われてしまった。文字の配分が、とてもお洒落。

今日はまれな強風の吹いている日だった。

岩淵喜代子著『二冊の「鹿火屋」』

2015年1月11日 日曜日

「篠」171号より転載  筆者・『篠」副主宰 辻村麻乃

「鹿火屋」で原裕氏に師事されていた作者は二〇〇九年に『評伝 頂上の石鼎』で自分なりに感じた石鼎についてまとめている。 この『二冊の「鹿火屋」』では、そこでは触れ切れなかった石鼎の知られざる側面について論じており、大変興味深い一冊である。

虚子の門下にあって天賦のオ能のあった石鼎の復活が俳壇で起こらなかったことへの疑問からの虚子と石鼎の確執、深吉野抄 下四十七句の反響、『言語學への出発』への執着、昭和十八年からの病状、「神」の句の索引作り、そして石鼎のためだけに発行されたもう一つの「鹿火屋」の謎を解き明かしていく。

第一部の考証「原石鼎の憧憬」と二部の復刻、二冊の「鹿火屋」の原本資料、三部の寺本喜徳氏、土岐光一氏そして作者との鼎談から成り立つている。

「鹿火屋」創刊直後に石鼎は「人間は神や佛ではないので先の予測もつかないし、その真実を正確には掴まへられない。」と書いている。そこから作者は「石鼎の神認識は自然信仰という括りが当てはまる」と述べている。

作者も触れているが、娯楽の少ない当時の出雲では、神楽を子どもたちが真似をする「神楽ごと(神楽ごっこ)」とがとても楽しみな遊びの一つだった。その古くからの地域性も石鼎に神を詠んだ句が多いことの背景にあることも示されている。

水打つて四神に畏(おそ)る足の跡  大正三年
頂上や殊に野菊の吹かれ居り     大正元年

この大正元年に野菊を読んだ鳥見山が、古代より神と交わることのできる霊時の場であったことを知った経緯についても「鹿火屋」昭和六年十月号から検証されている。この年の九月に吉野から鮎が届けられた際に同梱されていた森口奈良吉著『鳥見霊時考・吉野離宮考』の一書がきっかけである。そこから深吉野と出雲が繋がることを喜ぶ内容が「深吉野抄 上」に示されている。そしてその続きが石鼎だけのもう一つの「鹿火屋」の「深吉野抄 下」に繋がっていくことを作者は示している。

その中の「消息」の「私にとって皆由緒有之」とは「出雲、深吉野、二官を記紀によって一つの時空に繋げることの歓びのことばである。」と作者は解釈している。

昭和八年二月号の「鹿火屋」に石鼎は「あやかりの歌」という試作の詩を発表していることも興味深く読ませて頂いた。これも韻律にこだわる石鼎だからこその詩のように感じられた。第二章の資料の石鼎用「鹿火屋」の「青雲草」の「土佐辮と出雲辮」で、様々なものから隔てられた土佐に古くからの発音が残っており、それが出雲にも当てはまることや、子音をローマ字表記をしてまでこだわり、小鳥三題の詩も韻を踏んだ軽いリズムの英単語を入れていることからも分かる。

詩人、谷川俊太郎氏も、FM局でのインタビューで、詩は言葉そのものよりも、そこから生まれるリズムによって表現するもので、音楽には敵わないと話していた。それでも、当時この韻律における深い考察及び散文は、石鼎用の「鹿火屋」の方に書かれていたのである。

このように隅々までこだわつていたものの、戦争の影響で廃刊の危機に晒され、国の情報局からの統合整備指導の中「平野」と統合することで免れた経緯も書かれている。

そして、このような「鹿火屋」自体の流れでなく、石鼎自身の動きについては、青年期までは『石鼎窟夜話』にあるが、後年は原コウ子氏『石鼎とともに』で間接的に伺い知ることしかできない。その意味でも、「手簡自叙博」の含まれる石鼎用「鹿火屋」の存在と考証した本書は大変貴重な著書なのである。

サーファーの忘れ物めく浜焚火   能村研三

2015年1月10日 土曜日

焚火は人が伴ってはじめて完結するのかもしれない。浜辺に焚火の炎が揺らめいているのに人の気配がない。炎の揺らめきが、人気の無さをより強く感じさせてしまうのだ。

(忘れ物めく)という措辞によって、焚火に個性が与えられた。そうして、視線がきりもなく沖へ誘われる。   自註現代俳句シリーズ・11期63『能村研三集』 昭和58年作

あらたまの年のはじめの海鼠かな   松尾隆信

2015年1月9日 金曜日

俳句はリズムだと主張したのは藤田湘子。それが、散文と詩の大きな違いになるだろう。「あらたまの年のはじめの)とどこか見知りの、見知っているというだけではなく、一度や二度は口ずさんだこともあるかもしれない章節である。

それにも拘わらず、座語の「海鼠」によって思わぬ展開をするのである。単なる海ではなく、海底を内包する海が広がって、その芯のよう海鼠によって、そのめでたさが重厚になるから不思議だ。自註現代俳句シリーズ・11期62『松尾隆信集』 平成7年作

岩淵喜代子著『二冊の「鹿火屋」ーー原石鼎の憧憬』 邑書林  

2015年1月5日 月曜日

受贈誌紹介  筆者・河村 正浩

岩淵喜代子「ににん」代表の評伝『頂上の石鼎』に続く原石鼎の研究所である。大正六年、高浜虚子によって世間の脚光をあびた原石鼎は俳壇から消えるのも早かった。病弱でもあり晩年の動向はあまり知られていない。その石鼎について調べるうちに、石鼎にのみ読ませるために造られた「鹿火屋」が二冊(昭和十六年十月号、昭和十七年一月号)著者の手許に届いた。

つまり一般用配布とは別に石鼎のための「鹿火屋」が活版印刷で作られていたのである。本書はこの二冊の「鹿火屋」を中心に三部構成となっている。古野時代、代表句ともいうべき(頂上や殊に野菊の吹かれ居り)の背景など。

又、石鼎が出雲生まれであることから、神との交感、記紀への関心を伺わせる句から郷土信仰へと言及されている。この二冊の「鹿火屋」が実物と共に復刻掲載されている。更に寺本喜徳、土岐光一、岩淵喜代子三氏の鼎談も掲載されており興味はつきない。

岩淵喜代子著『二冊の「鹿火屋」ーー原石鼎の憧憬』 邑書林   

2015年1月5日 月曜日

『椎』2015年1月号

書架光彩56  筆者・戸塚 きゑ

頂上や殊に野菊の吹かれ居り
淋しさにまた銅鋸うつや鹿火屋守
秋風や模様の違ふ皿二つ

多くの名句を残した原石鼎(明治一九〜昭和二六)は、出雲市生まれ。中学の時新任教師で子規門の俳人竹村秋竹の影響を受け俳句を始めた。京都医専に行くも文学との葛藤で中退。深吉野で医院を営む兄の手伝いをしながら吉野詠をホトトギスヘ投句、虚子から激賞された。

大正四年ホトトギスに入社し俳旬に専念、大正俳壇の雄となった。しかし、二年で退社。同十年「鹿火屋」を創刊し主宰。同十二年頃から精神も健康も不安定となり、やがて隠棲生活に入る。

石鼎には神の句が多いが、それは出雲への郷土信仰による。神を強く意識し執筆欲ばかりが旺盛になっていった。神に憧れ、呆ては神そのものの世界へ紛れ込んでいく石鼎。「鹿火屋」の編集部は、思うまま書かせ、それを発表する場として石鼎だけに見せる『鹿火屋』を造本した。昭和十六年十月号と十七年一月号の二冊である。

筆者は、この二冊の復刻版を掲載し一般用との違いを克明に考察している。また深吉野時代の句群や神を詠んだ句の背景等も詳らかに記述してあり、内容が濃く読み応えがある。石鼎の知られざる部分を解明した貴重な一書である。

誰へともなく買ふハガキ涼しかり   岩淵喜代子

2015年1月5日 月曜日

手軽な文通の素材たる「ハガキ」である。時として、「誰へ」と言う当てが無くてもハガキを購入するもの。人との交わりは、ハガキ一枚がきっかけの場合もあり得るのだ。表裏に記載の無いハガキも「涼し」気である。(鑑賞・平田雄公子   「松の花」  平成二七年一月号  現代俳句管見 (191))

●「ににん」2014年夏号 55号〈季刊〉

2015年1月5日 月曜日

『太陽』平成二六年十二月号
他誌拝見       筆者・迫口あき 

平成十二年秋、埼玉県朝霞市にて岩淵喜代子氏により創刊。代表岩淵喜代子。師系原 裕。「同人誌の気概」ということを追求していきたいと。

氏は『評伝 頂上の石鼎』から四年後、『原石鼎の憧憬― 二冊の「鹿火屋」』を出版された。「ににん」では毎号兼題による作品集「ににん集」と自由題による「さざん集」の二集が設けられている。今号には別に佃島盆踊各十二句も。

代表の句五句を
上げ潮や更けて膨るる踊の輪    岩淵喜代子
踊の輪ときに解かれて海匂ふ
踊櫓古老は牙のごとくたつ
昼寝覚め尾のあることを思ひ出す
竹夫人抱くは胸を冷やすため

潮も満ち、月は中天に。「膨るる」に月光の海原と盆踊の高揚とが寸分の隙なく伝わってくる。一息入れ、輪を解いて休む踊り手。海からの風が潮の匂いを運んでくる。海の向こうには補陀落があるという。

そこからの匂いとも。極楽からも地獄からも盆には帰つてくる精霊.なれば称え迎え慰めるのが盆踊である。櫓の頂上で錆び錆びと唄う古老。背筋もぴんと張り揺るぎない姿勢cそれを「牙のごとく」と喩えられた比喩の的確さに魅了される。

昼寝覚めの半覚醒のまま、自分の有り様が掴み難いことがある。尾のあつた古代の国栖人か、カンブリア紀の生き物か。昼寝覚めの茫洋として異界のものになつた気分には大いに共感を覚える。胸中の炎を鎮め難いことがある。竹夫人を抱いてあの籠の中に吸い取らせよう。

同人の作品より

シネマ出て鯰のごとき笑み浮かぶ    高橋寛治
花曇文末さりげなくやさし     大豆生田伴子
竜の巣と確信したり積乱雲      木佐梨乃
ラムネのむ瓶の底より空が見え    服部さやか
鳥麦熟れて口笛吹く少女       浜田はるみ

「鯰のごとき笑み」とは思わず「瓢箪鯰」の謂いを思った。可か不可か、気になるなあなどにたりとされている顔と心。さりげないやさしさは嬉しく、心にしみる。積乱雲、今年の異常気象にはぴたり。悪竜の棲む雲である。入道雲は優しくおだやか。ラムネの瓶の底の青緑色は夏空の色。

金色に熟れた烏麦畑。口笛を吹く少女、ヨーロツパ風の恋の景色。新鮮で晴れやか。表紙には子規庵のスケツチ。ガラス戸越の糸瓜だなと子規愛用の机、筆皿、句帖など達者に描かれている。

「ににん」には高橋寛治、田中庸介、正津勉の三氏による連載評論があり、沢山の示唆を頂いた。

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