起きたら雪世界なんてことは何回も体験しているが、11月の初雪の記憶はない。ニュースで54年振りだというから覚えていてもいいかもしれないが……。
とにかく朝、眼が覚めたら雪景色になっていた。このごろの気象庁の予報は外れない。昨日の寒さの続きのように、雪がばさばさと降りしきっていた。
昨日思い出して、電車を待っている間にご無沙汰している荒さんにご機嫌伺いのメールを入れた。ついでに明日は雪だなどと、とんでもないことを言っていることもつたえたのだが、ほんとうに11月の雪が降った。
起きたら雪世界なんてことは何回も体験しているが、11月の初雪の記憶はない。ニュースで54年振りだというから覚えていてもいいかもしれないが……。
とにかく朝、眼が覚めたら雪景色になっていた。このごろの気象庁の予報は外れない。昨日の寒さの続きのように、雪がばさばさと降りしきっていた。
昨日思い出して、電車を待っている間にご無沙汰している荒さんにご機嫌伺いのメールを入れた。ついでに明日は雪だなどと、とんでもないことを言っていることもつたえたのだが、ほんとうに11月の雪が降った。
須藤常央著『虚子と静岡』 2016年 静岡新聞社
茨木和生著『季語を生きる』 2016年 邑書林
津高永理子著『俳句の気持 「ひとり」になれる』 2016年 深夜叢書
創りたい人へ、作りたくない人へ ・NHK学園俳句講座機関誌の20年にわたる好評連載が一冊に。
九鬼あきゑ主催『椎』創刊40周年記念特別号
広渡詩乃著『師の句を訪ねて ー岡本眸その作品と軌跡』 2016年 ウエップ
近藤栄治『俳句のトポス』 2016年 沖積舎
現代俳句評論賞の受賞作家の第一評論集
松永浮堂『落合水尾と観照一気』 2016年 文学の森
神田ひろみ『まぼろしの楸邨 --加藤楸邨研究』 2016年 ウエップ
坂口昌弘『ヴァーサス日本文化精神史ーー日本文学の背景』 2016年 文学の森
『定本 三橋敏雄全句集』 風の花冠文庫18
遠藤若狭男著『人生百景 -松山足羽の世界』 2016年 本阿弥書店
正津勉『乞食路通 -風狂の俳諧師』 2016年 作品社
武田 肇詩集『られぐろ』 2016年 私家版
西池冬扇評論『「非情」の俳句 -俳句表出論における「イメージ」と「意味」2016年ウエップ
磯辺勝『昭和なつかし 食の人物誌』2016年 平凡社新書
小川軽舟著 『俳句と暮らす』 2016年 中央新書
大牧広著 『俳句その地平』 2016年 文学の森
川野蓼草編集 連句『北極星』 2016年 ああの会
松下カロ評論集『女神たち 神馬たち 少女たち』 2016年 深夜叢書
澤好摩という名前をいつ頃から意識したのだったか。とにかく幾十年か前である。本名なのか俳号なのかもいまだ知らないのだが、名前に先ずは惹きつけられたような気がする。
その澤好摩さんに出会ったのは10年くらい前の「俳句界」の座談会の席だった。他の俳人も初対面だったし、そのことに驚くことは無かったはずだが、澤好摩さんがその場にいたことは遭遇したという感覚だった。
こんなことを書くと、さぞや澤好摩さんの作品、文章、その業績を熟知しているように思われそうだが、全くその作品も文章も読んでいなかった。ただ年月の間に、活字上で澤好摩と言う名前に出会うたびに、そこに立ちのぼる人物の空気のようなものを蓄積してきていたに過ぎない。
本人が知ったら、ほんとうにがっかりしてしまうと思うのだが、俳句の世界の私とは遥かな反対側で生きている作家なんだというぼんやりした認識しかなかった。
そんな澤好摩さんの「円錐」での創刊祝賀会での企画が「どっちが名句だ」というもの。著名俳人の誰もが知っている名句と呼ばれる句を論じ合うのだ。
一満月一韃靼の一楕円 加藤郁乎
秋の航一大紺円盤の中 中村草田男
最後の「名句くらべ」はこの二句。途中で草田男の句に誰かが「これ名句なの」という声を発して、誰かが「草田男の句集の序文で虚子がとりあげているらしいよ」と答えた。
わたしも、どちらも好き嫌いでいえば嫌いの箱に入れてしまう。われわれはこの句を数ある作品の中から覚えたというよりは、名句として差し出されて覚えた、という不幸を背負っているのかもしれない。
とにかく面白い企画だった。この場でほんとうに久しぶりに藤原龍三郎さんに出合い、三宅やよいさん、関根誠子さんにも出会えた。池田澄子さんにも一年くらい合わなかっただろうか。忘れるところだった。十郎さんも何年振りっていう感じだ。
「水筒のからつぽ」というフレーズに「背高泡立草」をぶつけた取り合わせの一句。背高泡立草の明るさが水筒の空っぽの語感を生かし、水筒の空っぽという語感の無心さが、背高泡立草の軽やかな明るい世界を繰り広げている。
「大曾根育代句集『冬至星』 2016年 本阿弥書店」より。
万緑の端ひつぱつて卓布とす
神苑の霧の中より異邦人
着細りの尼僧の急ぐ夏木立
鵺とは虎鶫のこと。古くは怪物とも考えられていたと歳時記にはある。丹念に爪を切っているうちに、夜も深くなり鵺の声を聴いたような気がしてきたのだろうか。
昔から夜に爪を切ってはいけないと言われている。そうした俗説があるために鵺がいかにも怪物めいて、存在感を持つ。
「中原道夫句集『一夜劇』 2016年 ふらんす堂」より。
混みあへば春の光の押しあへる
日脚伸ぶ猫に背骨といふ峠
しらじらと明けて冬菊活けてある
蛇の衣寄つてたかつて欲しがらず
狼は時間の渓聞さかのぼる
鏡台は粗大ごみだったのか、あるいは引越しの途中の屋外に置かれたのかもしれない。どちらにしても非日常の鏡台、そこへ散りかかる萩もいつもの萩ではなくなって、物語めいてくる。
「杉山文子句集『百年のキリム』 2016年 金雀枝舎」より。
百年のキルムや蟻の声聞こゆ
夫に見えぬ夫の背の疵銀木犀
テキサスや月にぶつかる自動車道
留守録に街騒十秒牡丹雪
(せりなずなごひょうはこべら)と新春の若菜を数え、その最後に放射能を据えることで古典的な七草を鮮やかに塗り替えている。
「高野ムツオ第六句集『片翅』 2016年 邑書林」より。この句集も東日本大震災の延長の作品集である。他に以下がある。
溶岩のごとき笑顔も五月かな
口中に螢火飼いしまま老いぬ
戦争や葱いっせいに匂い出す
若布喰い白魚を喰い涙ぐむ
文化の日で雨が降ったことがあるのだろうか。私の記憶の中で雨の降った文化の日の記憶がない。今日は思い出す文化の日々の中でもとびっきりの快晴だった。
「栃木蔵の街俳句大会」に呼ばれた。講演を依頼されていたので、折角の蔵街を散策することはできなかったが、はるばる駆けつけて下さった「ににん」の仲間は会のあとに、蔵街を散策したようである。
繰り返すようだが、この文化の日の快晴の空の色は印象的だった。夜になってもその碧さが空の色を深めて、印象的な三日月と金星が出ていた。
地方の俳句大会は地域のつながりと言う、年月の積み重ねが滲み出して、独特な空気がある。それは選者として呼ばれた松戸の「海の日俳句大会」でも感じたことが。そのうち、蔵街を散策してしてみようと思う。
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