2016年3月 のアーカイブ

ににん62号 発送済み

2016年3月31日 木曜日

 

IMG_20160331_0001  62号を発送した。今年の表紙絵は数か月前に『藤が丘から』という句画集を出版した山内美代子さんの画を使わせて貰っている。彼女の絵は墨彩画であるから、もっと日本的な雰囲気になるかと思ったが、意外や軽いトーンで墨の暗さに重苦しさがない。

早速読んだ人の感想の中で、装本が豪華で綺麗になり、その上読みやすい、というお言葉を戴いたが、決して前よりお金を余計に支払っているわけではない。豪華にみえれば本望である。もう一つのご指摘は、相変わらず誤植である。これは、なかなか思うようにならない事項である。

白南風や吹かれてゐたる鬼瓦   成内酔雲

2016年3月31日 木曜日

白南風は梅雨明けの頃に吹く南風、あるいはそのころの昼間の南風である。その風に鬼瓦が吹かれている、というのが諧謔である。風にはさまざまなものが吹かれていたとは思うのだが、あえてその中のいちばん影響を受けそうにも思えない鬼瓦に焦点を当てている。いや、作者はその鬼瓦そのものに、ただ真正面から向き合っているのだ。そのことを、白南風によって現わしているのである。

成内酔雲句文集『おやぢ』  2016年 文学の森から。他に(竹の秋ストンとしまるドアの音)(人の世の余白にをりし夜の秋)(さりげなく逢うて別るる花八手)など。

編集子来る山梔子の花白し   加藤耕子

2016年3月31日 木曜日

編集子は自分の出版する本のための編集子なのか、あるいは自分の月刊雑誌の定期的な編集日だったのか。そろそろ訪れてくるだろな、と思い始めた視野に山梔子の花の白さがことさら感じられた。何気ない取り合わせだが、なぜか編集と山梔子の花が呼応するのである。

(加藤耕子第七句集『空と海』2016年 本阿弥書店)から・他に(茄子に花村に百万 遍会所)(忌を修すほたるぶくろを風に吊り)(汗の身とひとつひかりに空と海)。

花冷えの文焼きて身の透くごとし   藤木倶子

2016年3月31日 木曜日

今はシュレダーというもがあるが、手紙の類は焼いて処分することも多い。焼かなければならい手紙というふうに捉えると、何やら重々しい気分になるが、あながちそうではないのだろう。溜り過ぎた手紙の類を整理することは、よくあることだ。文殻の火が透きとったと発見するとき、あるいはそういう表現をえらぶとき、作者自身が透き通っていくように感じたのだ。燃えさかる火そのものが透きとおってゆくことと作者が一枚になっている。、

(藤木倶子句集『無礙の空』 2016年 東奥日報社)から。他に(ねん淋代や枯れはまなすと日を領ち)( 飛べさうな風湧く葦の枯れにけり)( 枯るる中己が足音に怯えをり)( 蓮の実を噛んで小暗き森見をり)など。

ひめぢよをんひめぢよをんとて遠回り   境野大波

2016年3月31日 木曜日

境野大波第三句集『青葉抄』 2016年 ふらんす堂

ひめぢよをんとは漢字で書いても見知らぬ花のような気がする。大雑把に言えば春紫苑と殆ど混同しそうなくらいよく似ている。どちらにしても中心が黄色で花びらが真っ白な小さな花は可憐である。そんな花に気を取られているうちに、遠回りをしてしまったのである。

境野大波第三句集『青葉抄』 2016年 ふらんす堂)より。他に(白山羊も黒山羊も食む秋の草)(猿山の子猿の拾ふ秋のもの)(秋の蚊の雨情旧居を去りがたく)(ねこじやらしばかりの原となりにけり)。

主宰・戸恒東人『春月』2016年4月号より

2016年3月27日 日曜日

『春月』2016年4月号・主宰 戸恒東人
俳誌探訪  (181)   筆者 入江鉄人

『ににん』平成28年冬号

平成12年10月岩淵喜代子が埼玉県朝霞市で創刊。季刊。今号は創刊15周年記念特集号となっている。岩淵喜代子代表は、以前から同人誌とは各人が自分を発揮する場以上の何物でもないとしており、巻頭文の「十五周年に寄せて」においても「『ににん』は自分と向き合う場であり、散文、評論、俳句の制限なく書きたい人が書くというスタイルを続けていく」と述べている。

十五周年の記念特集としては、祝賀会のグラビアと記録のほか、岩淵代表を含む47名がそれぞれ2頁を使って詩と俳句10句と自己紹介で綴る「俳句と詩と」という贅沢な企画、そして10周年以降の各号の概要を「5年の歩み」として表形式で振り返っている。

俳句作品の発表は全ての句を兼題で詠む「ににん集」と雑詠の「さざん集」からなり、「秀句燦燦」としてこれらの鑑賞文を、また連載ものの評論を3編収録して、簡潔な構成となっているが、誌面に一貫して感じられることは、読者にやさしい読みやすさだ。

代表の主張する「同人誌の文字はきれいに、誌面は読みやすく、そのため頁に追い込みはせず、必ず見開き頁の右側から始まるように。雑誌は料理の器のようなものだから、手に取っての心地良さも価値の一部。」という思いが各頁に実践されているのだ。「ににん」は、代表も同人と同じ土俵で作品を発表しており、その風土から全体的に俳句作品は自由な個性にあふれている。

「ににん集」より
引力のときをり消えてお花畑   岩淵喜代子
夫婦てふゆるき引力年の暮れ   木佐 梨乃
綿虫のふはと引力かはしけり   鈴木まさゑ

「さざん集」より
登校日黒板いつぱいの残暑    大豆生田伴子
満月に追ひ詰められて町を出る  尾崎淳子
後悔の数ほど咲いて寒椿     島崎正彦
音といふ音みな消えて天の川   末永朱胤
心中を終へし人形近松忌     谷原恵理子

また、「ににん」の個性は、巻末の「雁の玉章」という付録にも現われている。クラブ活動という位置付けで、散文の好きな人は誰でも頁をもらうことができるらしい。
今号では詩や随筆を含む5編が掲載されている。『ににん』の今後のますますのご発展をお祈りする。

守宮

2016年3月19日 土曜日

160318_1709~01  いつだったか雨戸を引いていたら守宮が敷居に落ちてきて吃驚したことがある。まるで生ゴムのような色で、一瞬玩具かと思った。その日の夕方、トイレの蓋の上に、守宮の小さいのが乘っていた。朝の守宮の半分もない大きさできっと子供なのだろうと思った。

だが、今日の夕方に出くわしたのは、子供の守宮をさらに小さくしたしたもので、生まれたばかりのようだ。迷い子にでもなったのだろうか。フェンスの周りをうろうろしていた。

窓際には来ないので、全身を撮ることができなかった。ようやく顔だけ見せているのをガラス越しに撮ったが、矢印でもしておかなければ、何だかわからない。さて、再校が届いた。今の印刷所にお願いしてから丁度10年になる。担当者も変わらないので助かっている。守宮のことは忘れて頑張らねば。

「港」2016年3月号より転載

2016年3月15日 火曜日

 今月の結社誌    筆者・上野 英一

「ににん」冬号
平成十二年秋、埼玉県朝霞市で岩淵喜代子氏創刊。「同人誌の気概」ということを追求していきたい。
主宰は置かず、季刊誌(同人誌)として年四回発行している。2016年冬号で通巻61号。投句者全員が同人で代表岩淵喜代子氏。
2015年創刊十五周年を迎え、今月号はその特集を組んでいる。表紙を開くと、岩淵喜代子代表の挨拶、創刊十五周年祝賀会の記念写真が四ページにわたって掲載されている。

祝賀会記念句会 兼題「百」
百年の柱磨きて菊の酒      谷原恵理子
百歳のはじめは赤子草いきれ   岩淵喜代子

創刊15周年記念企画「俳句と詩と」俳句と詩とがどのように呼応し合うかという専任スタッフが一年がかりで考案したユニークな企画である。

広島忌百万の贔沈黙す   西田もとつぐ
ちちをかえせ ははをかえせ
こどもをかえせ としよりをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ    (峠三吉「原爆の詩」の一部)

ににん集より 兼題「引力」
しづかなるものは引力返り花  川村 研治
ふくろふの眼引力押し返す   浜岡 紀子

さざん集より
立冬や色様々を野に嵌める  高橋 寛治
枯董原ひかり遠くへ届きたる 浜田はるみ

投句者全員の意気込みが随所に感じられる俳誌である。

鬼百合がしんしんとゆく明日の空  坪内捻典

2016年3月12日 土曜日

IMG_20160312_0001色紙を百枚そのまま本にした、という感じだ。一頁に一句という句集もたくさんある。一句ならこんな風に色紙でもいいのではないかと思ったりしながら、あっと言う間に読み終える。一句は坪内さんにしては情緒的な作品だが、鬼百合を詠むのが坪内さんであり、今日ではなく明日の空だとするのが坪内流なのかもしれない。
『坪内捻典自筆百句』2016年 沖積舎より

馬に生れ馬に死にたる朧かな   高橋比呂子

2016年3月12日 土曜日

一生を言い留めること、振り返ることを、どれだけの人が繰り返しているか。そんなことがたったの17文字に託せると知ったときに、俳句はやはり凄いなーと思う。他にも、(干鱈の一年分は窮屈なり)(日蝕やああ太古よりにがよもぎ)(夏薊そしてみんなやさしあつた)などにも言える。

高橋さんの句には掲載句のような人生の深遠を見詰める句がおおいが、その表現方法は言葉の感覚を駆使した象徴性にある。(砂の聖書ふくろうの火であり)(脳天に美童あふれし冬の地震)(砂の聖書ふくろうの火であり)など。

第四句集『つがるからつゆいり』  2016年 文学の森

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