2013年12月 のアーカイブ

「ににん」53号は発送しました

2013年12月29日 日曜日

今年も無事に雑誌を発行することが出来ました。
ひとえに同人の方々のお蔭です。ありがとうございました。「ににん」は同人誌です。同人誌の役割は同志が一つの主張を重ねあいながら研鑽する場だと思っています。同時にその研鑽の結果を主張するために得た場でもあります。

そのために、雑誌としての編纂のバランスを考慮した多少の縛りがありますが、その縛りの範囲で、俳句も評論もエッセイも発表したいだけ発表出来る企画にしてあります。書く場を持つことも、個人の力になると思っているからです。「書くことで自分を確認していく」、ということを今後も雑誌の中心に置きたいとおもいます。

また、多くの主宰者の先生方に雑誌を送っていただきましてありがとうございました。
この場で御礼申し上げます。よいお年をお迎えください。

敬称略
『青垣』・主宰・大島雄作
『会津』・代表・小林雪柳  
『麻』・主宰・嶋田麻紀 
『あすか』・主宰・野木桃花
『暁』・代表・室生幸太郎
『藍花』・主宰・谷中隆子
『阿夫利嶺』・主宰・山本つぼみ
『泉』・主宰・綾部仁喜 
『いには』・主宰・村上喜代子
『運河』・主宰・茨木和男 
『浮野』・主宰・落合水尾 
『宇宙』・主宰・島村正 
『雲云』・主宰・山本千代子
『円錐』・主宰・澤好摩
『絵空』・同人誌・中田尚子・山崎裕子・茅根知子・土肥あき子
『円座』・主宰・武藤武子
『繪硝子』・主宰・和田順子 
『沖』・主宰・能村研三
『かいぶつ句集』・榎本パンソン了弐
『刈安』・代表・大木孝子 
『風の道』・主宰・大高霧海
『寒雷』・主宰・加藤瑠璃子
『狩』・主宰・鷹羽狩行 記念号
『鏡』・主宰 寺澤一雄
『蕙』・主宰・成井惠子  
『鷗座』・主宰・松田ひろむ
かびれ』・主宰・大竹多可志  
『樫』・代表・森田智子
『かたばみ』・主宰・森田公司
『廻廊』・主宰・八染藍子
『火星』主宰・山尾玉藻
『GA』・主宰・秦 夕美
『枻』 代表・橋本栄治
『木の中』・主宰折井紀衣
『きりん』・主宰 梶山千鶴子
『黄鳥』・主催・小西領南
『雉』・主宰・田島和生
『季刊芙蓉』・主宰・.照屋真理子
『京鹿子』・主宰・豊田都峰
『饗焔』・主宰・山崎聡
『銀漢』・主宰・伊藤伊那男
『雷魚』・代表・小安容義
『銀化』・主宰.・中原道夫
『雲取』・主宰・鈴木太郎
『雲』・主宰・鳥居三朗
『くるみ』・主宰・保坂リエ
『草林』 主宰・雨宮抱星
『弦』・主宰・遠山陽子
『耕・Ko』・主宰 加藤耕子
『鴻』・主宰 増成栗人
『谺』・主宰・山本一歩
『ことばの楽園』・代表・吉野裕之
『山暦』 主宰・青柳志解樹
『桜』・主宰・合谷美智子
『笹』・主宰・伊藤敬子
『澤』・主宰・小澤 實
『犀』・代表・桑原三朗
『里』・代表・嶋田牙城
『清の會』・主宰・下鉢清子
『さいかち』・主宰・高岡すみ子
『山河』・主宰・松井国中央
『さくら通信』・櫻木美保子
『少年』・主宰・稲田眸子
『鴫』・主宰・井上信子
『新樹』・主宰・勝又民樹
『春耕』・主宰棚山波朗
『晶』 主宰・長嶺千晶
『新月』・選者・渡辺恭子
『十七音樹』・代表 平沢陽子
『椎』・主宰・九鬼あきゑ  
『朱夏』・主宰・酒井弘司
『春塘』・主宰 清水和代
『静かな場所』・代表 対中いずみ
『春月』・主宰・戸恒東人
『蒐』・代表・馬場龍吉
『秋麗』・主宰 藤田直子
『篠』・主宰・岡田史乃
『水眀』・主宰星野光二
『雪天』 主宰・新谷ひろし
『船団』・主宰坪内稔典
『青山』・主宰・山崎ひさを
『星雲』・主宰鳥井保和
『爽樹』・代表・小山徳夫  
『草蔵』・代表・佐々木六戈
『空』・主宰柴田佐知子
『瀧』・主宰・菅原鬨也
『たかんな』・主宰藤木倶子
『太陽』・主宰・務中昌巳
『楕円律』・主宰田吉眀
『築港』・代表・塩川雄三
『槌』・代表 小檜山繁子
『天頂』・主宰・波戸岡旭
『貂』・代表 星野恒彦
『手』・松本ヤチヨ
『天弓』主宰・松村昌弘
『天衣』・主宰岬雪夫
『田』・主宰 水田光男
『都市』・主宰 中西夕紀
『季』・主宰藤沢紗智子 
『東大俳句』・発行人・村越敦
『汀』・主宰・井上弘美
『なんぢや』・代表 榎本了
『波』・主宰倉橋羊村
『梛』・主宰永方裕子
『南風』・主宰山上樹実雄
『帆』・主宰・浅井民子
『白桃』・主宰・伊藤通眀
『俳句の風』・主宰発行人・下鉢清子
『花歴』・主宰 舘岡沙緻
『春野』主宰・黛執
『大』・主宰 境野大波
『向日葵』主宰・那須淳男
『鬣』・代表 林 桂
『風叙音』・代表 笙鼓七波  創刊
『ふらんす堂通信』・出版社ふらんす堂
『歴路』 ・主宰向田貴子
『方円』・主宰石渡 旬
『星の木』・大木あまりほか
『街』・主宰・今井聖
『毬』・主宰・河内静魚
『松の花』・主宰・松尾隆信   
『舞』・主宰・山西雅子
『みつまめ』・梅津志保・井上雪子・西村遼
『港』 主宰・大牧宏
『未来図』・主宰 鍵和田柚子
『紫』・主宰 山崎十生
『門』・主宰・鈴木鷹夫
『萌』・主宰 三田きえ子
『森』・主宰・森野稔
『やぶれ傘』・主宰・大崎紀夫
『八千草』・主宰山元志津香
『鏃』・代表 吉原三朗
『や』・代表・麻里伊
『遊牧』・主宰・塩野谷仁
『吉野』・主宰・野田禎男
『瓔』・代表 火箱ひろ
『四葩』・主宰・松村多美
『ランブル』主宰上田日差子
『雷魚』・代表・寺澤一雄
『らん』・主宰 鳴戸奈菜
『りいの』・主宰・檜山哲彦
『歴路』・主宰・向田貴子
『轍』・主宰大橋俊彦

ににん53号

2013年12月25日 水曜日

nininn

三原プリントさんから「ににん」を発送しましたというメールが昨日あった。この雑誌の発送が終われば今年の仕事は完結ということになる。
今朝から宅急便が来るたびに重そうな箱を反身になって抱えてくる配達人を想像しながら玄関に出るのだが、お菓子だったり野菜だったら、二回目は出雲からのお蕎麦だったり。夕方3回目の宅急便でやっときたのだが小さな箱が一個だけ。
「後のは?」というと
「えっ、あるんですか。通し番号になっていればわかるんですがー」
「それじゃー明日になるの」
「いえ、今日だと思いますが、混雑しているんですよ」
と帰ってしまった。確かに今日は朝から何回も小刻みに宅急便が届いている。
ネット追跡してみると配達中になっているから、まー今日中には届くのだろうと待っていたら、7時ごろになってやっと重い箱が二つ届いた。
今日は宅急便屋さんは大変なのだ。ごくろうさま。
明日は袋詰めに専念しよう。

孫娘

2013年12月21日 土曜日

一時間ほど離れた川崎で独身生活を始めた孫娘から珍しく遊びにいくからという電話をもらったのだが、こちらは前橋の煥乎堂に今年最後の句会に行かなければならない日。なんだか渡したいものがあるとか。
で、朝は遅いからゆっくり出かけて夕食を作っておいてくれるというのだ。

それで、冷蔵庫にはなにもないから見繕ってから家に来るように連絡し、さらに「金に糸目を付けず」に買ってくるようにと追伸を書いておいた。初めて使ったことばだが、糸目ってこう書くのだ。

帰りは電車に乗り込んでから帰宅時間を検索して知らせておいたので、丁度食卓が整うころだった。メインデッシュは鯛の塩麹漬けと葱の削ぎ切りの重ね蒸し。その塩麹だけの味で食べるのだが、なんとその葱の美味しいこと。どこで覚えたのかというと、ネットで見つけて作ってみようかなと思ったのだという。

そうして早々とクリスマスプレゼントをくれた。今年はもう会えないしねーと、夫にはマフラー、私にはボデイケアーの一式。これから念入りにお風呂で磨かなくてはならない。

明日も明後日も休みだから泊まっていくのかと思ったら、車椅子の選手たちの明日からの合宿についていくので、と帰っていった。今月初めには北海道の試合のサポートにも行っていた筈だ。この車椅子の人たちの試合はどこかで援助が出るわけでないらしい。従ってサポートしている孫も交通費は自費なのだという。

娘が仙台に住むようになってから20年にはなるのだろうか。だから孫娘がこちらで就職すると聞いた時には、我が家も少しにぎやかになるかな、と思ったのだが、そうはならなかった。まー、元気でいてくれればいいことにしよう。

『長谷川かな女全句集』 2013年12月  東京四季出版

2013年12月20日 金曜日

_句集2

全集は第一句集の『龍謄』に続いて『雨月』『胡笛』『川の灯』『定本か女句集』『牟良佐伎』と遺稿である。
さらに後半は随筆集である。本来は夫である零余子の「枯野」を継いでもよかったのではないかと思うが、新たな雑誌を持ったのはなぜなのか、そんな経緯も期待している。
かな女は女性でも理知的な要素の強い作家だったのではないかと想像した。それが文章の一つが「加賀の千代」であることでも伺われる。随筆集では俳人でない著名な人物がつぎつぎと書き込まれていて惹きこまれる。

『倉橋羊村全句集』 2013年12月   本阿弥書店  

2013年12月20日 金曜日

句集

倉橋羊村氏から、本当は俳人ではなく作家になりたかったというようなお話を伺ったことがある。それを裏付けるように、『倉橋羊村全句集』は俳句よりも散文のほうが多い。

全集は三部作が一つの箱に収まったもの。第一巻が現在までの全句集で『渾身』『愛語』『有時』『打坐』『幻華』「幻華以後」。第二巻は評伝高浜虚子・水原秋櫻子、そして第三巻は「道元」と「禅僧・山頭火』が収められている。私の知る限りでは、道元についての著書を数冊書きあげているのだが、平成二年に上梓した『道元』のみを収録しているようだ。

句集名、そうして道元への傾倒ぶりを目にするとき、在家の僧という印象を持つ。

歳末

2013年12月11日 水曜日

年末

今月は初校を2日に済ませたので4日か5日に印刷所に入れておいたはずだが土曜日にはゲラ送りましたというメールが入った。間がよくてすぐに仕事に取り掛かれたようだ。お蔭でいつもは一人でやる校正を9日に大勢で見ることができた。今朝歯医者にいく途中で印刷所に校正済みを郵送したので、夕方からの「件の会」もゆったりした気分で参加できた。会場で「ににん」のWEVの投句欄に投句したことがあるという方に出会った。そう、以前はそんなこともしていた。

山の上ホテルでの「 件の会」の講演は小泉武夫氏の食のお話。日本食がいかにいいか、また日本の水はそれに適った水質なのだということ等々、その語り口が上手い。発酵学が専門のようで、おびただしい著書があることを初めて知った。帰り道で歳末らしい風景を撮った。あと幾つ・・と数えるような日になった。この歳末は「ににん」の出来上がりを待つ月でもある。明日から発送の準備に入らなければならない。

高野ムツオ句集『萬の翅』  2013年11月  角川書店

2013年12月8日 日曜日

東日本大震災を実際にうけた人たちの句集が刊行されてているが、高野氏の一書はほぼ10年の作品集。その途中で震災に出会ったわけだが、もともと重くれの作家であるから際立たない。というより、震災のことも象徴的に詠まれていることで普遍的な句集になった。

清水汲む見えぬ無数の手に添われ
雨幾夜妻を抱けば青みどろ
豆打餅そこだけ雨が上がりおり
億万の風が生みたる秋の風
初潮の目指すは唐招提寺なり
万の翅見えて来るなり虫の闇
冬の闇とは一頭の馬である
オーロラの夢見る煎餅蒲団かな
揺らす尾も鰭もなけれど春を待つ
仰向の船底に花散り止まず
万の手に押され夏潮満ちてくる
夏草や影となりても生きるべし
蘆鳴れり一本ごとにいっせいに

『田中水桜全句集』  2013年11月  (株)ウエップ

2013年12月8日 日曜日

大正10年生まれ。『水櫻』『夜叉ヶ池』『天彦』『麻布』『大足神』『天真』『九十九里』『かむろ山』が収録されている。それに加えて、『自註田中水桜集』『自解100句選集』の二冊収録された重厚な全句集である。この11月に主宰していた「さいかち」の千号祝賀会も行われて、俳句人生の充実ぶりを示した一書だと言える。

秋風のうまさよ雲にちかよれば    「水桜」
銀漢や干潟ありけば潮満ち来     「夜叉ヶ池」
天彦や沖へ順風吹き流し       「天彦」
どつぷりと麻布育ちの沖膾      「麻布」
竹の秀の虚空掠めし冬の音      「大足神」 
天真の声もて示す桜貝         「天真」
九十九里さいはて模糊と卯波寄す   「九十九里」
さしかはす花の天蓋果て知らず    「かむろ山」

自然の気息というか自然の空気が伝わってくる作品。市井に生きながらも、いつも天空へ視点を投げて、そこから空気を呼び込んでいたような壮大な風景が多かった。まさにますらおの詠んだ俳句である。

秘密保護法案

2013年12月6日 金曜日

国会図書館へ行くために地下鉄から地上へ出ると、デモ隊の怒声が響いていた。昨日の国会では「秘密保護法」案の強行採決が行われようとしていたのである。3時ごろ図書館に入り5時ごろふたたび外へでると往きには秘密保護法案反対だったが、帰りは強行採決反対に変わっていた。もうあたりは暗くなっていたが、人は増えていた。今朝改めてニュースを見ると、暴力で法案を勝ち取ろうとする図式がはっきり見える。この時の議長と総理大臣をしっかり覚えておこう。

こんな日に映画『ハンナ・アーレント』を観るのも奇遇である。この映画は人気が高くて二度ほど立ち寄ったことがあるが入れなかった。昨日は永田町へ行く前に岩波ホールへよって、19時からのチケットを買っておいたのである。座席は満員になった。ハンナ・アーレントは実在の哲学者、思想家。主に政治哲学、政治思想の分野で活躍した人物。

そのハンナがナチスの残党のひとりアドルフ・アイヒマンの裁判記事を書くために傍聴する。その記事、すなわちハンナの思考は、「悪の陳腐さ」という言葉によって、ナチスの戦犯アイヒマンへを冷酷非情な怪物ではなく、上官の命令を黙々と遂行する凡庸な官吏に過ぎなかった、という記事になり社会から怒りを買う。もちろんアドルフ・アイヒマンは死刑になるのだが、ユダヤの人たちの怒りは続く。それは、この裁判の中で、一部ユダヤ人指導層がナチスに協力したとという事実を指摘したためである。

まさに、現在の国会のようだ。はたしてひとりひとりが、この秘密保護法案への論理を言えるのだろうか。国会では力と怒声のなかで、まさにハンナ・アーレントの言う上官の命令を黙々と遂行する凡庸な官吏の群れに過ぎない「悪の陳腐」が行われたのではないだろうか。本来、なぜそんなに強行に採決しなければならないのかわからない。もっと時間をかけなければいけない。

Windows8 慣れればお友達

2013年12月1日 日曜日

パソコンと携帯を同時に新機種に変えた話を先月の25日に書いたのだから、もう一か月経ったのである。「ににん」の編集をする時期までには何とかパソコンに慣れておかなければと焦ったが、どうやら新しい機種で新年号の編集も大詰めにきた。なにしろ、私のパソコン歴は「ににん」の編集歴と表裏なのだ。最初のパソコンはIBM95.ときどきダダーンと響きながら「不正操作をしたので・・・」というような文字が出て、画面が閉じたり固まったりしてしまった。

あまりにそれが頻繁なので「いいわよ、それならもっと利口な機種に取り換えてやるから」と言ったらすこしパソコンが大人しくなったのである。それからWindowsXP・Windows7となり、今はWindows8である。このごろのパソコンは過剰なパホーマンスをしてくれるので、面倒である。そんなにいろいろなことができなくてもいいのである。

携帯にしても、ガラケーで出来たことをどういう風にすればアイホーンで利用できるのか戸惑った。これではガラケーの方が進んでいるのではないかさえ思いたくなったが、そんなことはない筈だ。取りあえずは販売店に行って訊くことをメモ帳に箇条書きにしておいた。パソコンとアイホーンの両方だから箇条書きは十数ヶ条になっていた。ところが、ところが一か月の間に、その箇条書きが一行づつ消えていった。いろいろな場で人に教えて貰ったり、自分で探ったりして、必要な機能を使いこなせるようになったからだ。最近になったら、もう販売店にわざわざ出向く必要はほとんどなくなった。

まーそんな心の余裕がアイホーンにお洒落をしようと、百円ショップでシールを買い込んできて貼ったりもして、以前の携帯のような親しみも感じ出した。それにしても、若者はこれらを最初から戸惑わないで使いこなせるのである。たまにやってくる孫がiPadを貸してくれというので出してくると、どことかの国で試合をしている車椅子チームを観戦するのだという。ボランテイアで高校生の時からサポートしているバスケットチームだ。そーなんだ。iPadでテレビも観ることができるのか。私は、二年近くも使っていながら、そんなことも知らなかったが、iPadを持っていない孫が使いこなせるのである。

新機種にしたからというわけではないが、マッキントッシュの元祖の映画『スティーブ・ジョブズ』を観た。結論を言えば面白くなかった。この映画の製作者はスティーブ・ジョブズの経営的な面ばかりを語っていたので、それならわざわざスティーブ・ジョブズでなくて、松下幸之助でもよかったわけである。スティーブ・ジョブズを観にいくというのは、パソコンを使っているものにとっては「そこがすごかったのか」とう実感も期待していただろう。そういう部分がわかりにくかった。

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