2018年1月 のアーカイブ

炬燵から行方不明になりにけり    岩淵喜代子

2018年1月12日 金曜日

1月12日「日本農業新聞」  鑑賞・宮坂静生

可笑しくも哀しくも読むことができる。
炬燵での円居は心温める。それなのに不意に居なくなってしまったとは、炬燵一つが人生の縮図を思わせる。好きな人ができてあの人がここから消えてしまった。どこかへ行ったやら。あの風来坊は。

事はときに深刻。赤紙が来て戦地に連れて行かれた。どこに果てたのやら。あの人はついに帰って来なかった。こんな戦争体験は二度としたくない。炬燵詠の秀作。
(「句集『穀象』ふらんす堂」より)

金色の月

2018年1月11日 木曜日

このところ、明け方の4時ころ目覚める癖がついている。9日の日も同じ時刻に目ざめて、ふと外を見ると何やら空で燃えているようだった。乱視があるので、片目でもう一度東のそらを見上げた。雲がかかっているせいもあるのだが、きちんと三日月にならない。なんだか今にも燃えながら落下してきそうに焔立っていた。

翌日もやはり同じ時刻に目が覚めて、気になっていた月を眺めた。今日も金色に焔だっていた。それより、なんでこの東側の窓から、明け方の月が見えるのか不思議だったが、あまり深追いしていると眠れなくなるので、寝室に戻った。

今朝、暦を繰ってみると、9日は下弦の月だった。月の出の時間をみると、10日が0:33分、11日が1:30分、だからこれを書いている10時はまだ月が出ていないのだ。朝方に東向きの窓から月が見えるのをようやく納得した。

ついでに書いておくと、今月末は皆既月食だそうである。

鬼灯を鳴らせば愚かな音なりし   岩淵喜代子

2018年1月9日 火曜日

「濃美」2018年1月号
現代俳句月評    筆者・後藤ひさし

俳壇十月号「水柱」より
う―む、よくぞ言ってくれました。草笛やひょんの笛など草や実を使って音を出せばそれぞれに音色というものがありその巧拙を楽しむことが出来ますが、鬼灯を鳴らすという言葉と、その実際の音とには埋められない溝があります。空気を狭い穴から出すだけというこの不細工な音を「愚かな音」と切って捨てた作者も、実際に鳴らすのには苦労された方なのでしょう。

新米に赤子の匂ひありにけり   岩淵喜代子

2018年1月9日 火曜日

みどり児の瞳大きく雁わたし
うつむいて蟋蟀の声拾ひけり   (「俳壇」十月号より)

『絵硝子』平成30年 1月号
現代俳句鑑賞   筆者 高平嘉幸

一句目、新米に「赤子の匂ひ」とは意表をつく。確かに赤子の匂いは初々しく格別である。新米の匂いも青々しく新鮮である。作者は恐らくお孫さんでも授かってその喜びを詠ったのかも知れない。
二句日、この句は正に「みどり児」の誕生を謳歌している。「雁渡し」の季語が適切で、みどり児の将来が幸あれと願っていると見た。
三句日「蟋蟀」の鳴き声は、いかにも淋しい。その声を「うつむいて」拾ったという作者の心情が手に取る様だ。小動物に対する愛情が伝わってくる。

 

明けましておめでとうございます

2018年1月4日 木曜日

ににん69号は新年1日、2日のあたりで届いたようで、いちばん丁度良い頃合に到着したようで、やれやれです。戌年なので、雑誌のあちらこちらにワンちゃんを遊ばせました。あたらなカットの書き手山下添子さんの手になるもの。本年もよろしくお付き合いください。
DSC_0083 新年は仙台の娘の家で過ごしましたが、帰る日の朝、雪景色が見送ってくれました。さてと、新たな年に仕切り直しをしてみても、何をどうすればいいのかわかりません。ただただ、今年も目の前のやらなくてはならないものをやりこなす、ということで終わってしまいそうです。
 

 

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