2013年7月 のアーカイブ

豪雨の日々

2013年7月31日 水曜日

以前はもう少しまめに更新をしていたのだが、手のろくなってしまったのかもしれない。このぶろぐは、更新を一週間怠ると自動的にログアウトになってしまう。今日はどうかなーと思いつつ開けてみたが、やはりログアウトされていた。
gouya   
今年もゴウヤを植えた。二階の窓まで達して実をつけている。こんなに成ってくれても食べきれないし、ゴウヤは好き嫌いがあるから人にも薦められない。「ご自由にお持ちください」と張り紙して道に置くのがいいのではないかと夫婦で話し合ったが、それもいちいち呼び鈴を押して挨拶されては面倒てある。

このところ、台風でもないのに家が流されてしまったり浸水したりするニュースが続いている。先週の土曜日には隅田川の花火も雨で中止になってしまった。王子の「北トピア」での講演もなんとか無事に終わって、そこからはるかに見える隅田川花火のさわりを窓から眺めての帰りに、いきなりの豪雨に見舞われた。あのときは、JRへで帰ろうと思ったが、すぐそこまででもずぶ濡れになりそうな雨。それで、地下に潜ってメトロに乗りこんだ。

今日は買い物ついでに「終戦エンペラー」を観てきた。マッカーサーも指示されたフェラーズ准将も、はじめから天皇を戦犯から除外する方向を探っているあたりに、結論が見えていて迫力が無かった。これが、そうした意識のないアメリカ人が任務にあたっていたら日本はどうなっていたのだろうか。

それよりも、リンカーンははるかに面白かった。このごろは映画も封切りから半年くらいで、早稲田松竹で放映される。先日見た「東ベルリンから来た女」「魔女と呼ばれた少女」などは、まさについ先日封切りの広告を見たような気がするのだが。

虫送り

2013年7月24日 水曜日

 早く到着した仲間で、駅の周辺で一休みしてからタクシーで川崎神社へ向かった。
北越谷の今年の虫送りは朝から小降りの雨で気になっていた。昨日のような激しい降り方なら中止になるのだが、こうした降りみ降らずみはかえってじりじりしてしまった。しかし、50年ほどつづいている虫送り行事を、これまで一度も延期したことがないのだと、長老はいう。それでも、本来なら藁松明が境内いっぱいに立てかけてあるのだが、さすが、それは直前まで納屋の中に収まっていた。130724_1828~01
待っているうちに前橋からのグループも荻窪組もやってきた。周囲の家には風除けの屋敷森が聳えていた。神社の裏手は林になっていて、外へでると小さな空き地に見知らぬ花が群れていた。小さな花野というところだ。

神事が始まってお神酒がふるまわれると、てんでに藁松明を担ぐ行列ができた。その行列の脇を歩いていると、藁松明の焔が道にぼたぼたと落ちてゆく。藁といえども近寄ると火気が顔に感じられ、まるで鉄の溶解されたもののように激しい色を見せていた。先導者が字境に竹を立ててながら進む。その竹がすべて立て終えると、松明の行列の行き着く場所になった。昔の人はこうしたことで日々を祈りながら暮らしてきたのだろう。

豪雨と雷

2013年7月23日 火曜日

午後三時半くらいだったろうか。
とにかくすさまじい降り様で、とても外出なんて出来ない状態になった。仕方がないので石鼎ブログを書いて、それから出雲の写真を整理していたら雨が収まった。夕方に三人の方から大丈夫だった、というメールが入っていた。朝霞の何処かで浸水したところがあったらしいが、まだ、それらしいニュースを聞いていないので、どの辺なのか分からない。

明日は越谷の虫追いに行くのだが、果たして雨はどうだろうか。このごろの雨は降り癖があるので前日の降り方を繰り返すときがある。何回か見ているのだが、雨にであったことがない。もうこれだけは、神様頼りにするしかない。

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15日の「海の日」に、愛媛新聞に載ったものだが、今月初めに亡くなった村上護氏の最後の鑑賞になってしまった。評論家としては非常に物静かなお人柄だった。ご冥福をお祈りしたい。

墓参

2013年7月15日 月曜日

朝の涼しいうちに墓参りに行ってこようという弟の車に同乗した。都立小平霊園へいく道中がいつもより混んでいる。霊園内のあちらこちらの欅並木の下にも車が駐車していた。お盆の15日のせいか、それに土曜日も重なったからだろう。

いつもながら、小さな墓なのに草取りと樹木の剪定に結構時間がかかってしまった。墓域の中に砂利を敷き詰めておくのだが、やはり草が生い茂る。四隅の樹も行くたびに枝を伸ばして隣の墓にはみ出している。汗が目に入って滲みてくるなんていう体験は、何十回となく繰り返している墓参の中で今日が初体験である。

帰りに管理事務所で墓の案内図を貰った。開園は昭和23年だと書いてある。終戦まもなくの開園なのだ。そのときは霊園も小じんまりしていたのだろう。父がこの墓地を手に入れたのはその何期目かの募集で買い求めたものだ。購入者が多くて抽選だったと記憶している。なぜ、まだ40代そこそこの父が墓など買おうと思い立ったのかといえば、一歳六ヶ月で亡くなった妹のためである。

平成24年には樹林墓地も出来たらしい。いつも、園内の実家の墓のそばまで車で行ってしまうので、その樹木墓地がどこにあるのかも見ていない。管理事務所で貰った案内図には著名人の墓の案内も書き込んであった。富安風生の墓は千葉ではなくここにあった。他に俳人は、富沢赤黄男・角川源義。

文学者もたくさんいる。知っている人を列挙すれば宮本百合子・伊藤整・坪井栄・坪井繁治・山本七平・青野季吉・荒正人・河合酔茗・徳田秋声・小川未明・野口雨情・有吉佐和子・十辺 肇などなど。宮本顕治の墓もあったが、宮本百合子と同じ墓ではない。死後、百合子の秘書だった大森寿恵子と結婚したから、同じ墓には入れなっかったのだろう。

墓参の帰りはいつも近辺の農家に立ち寄って野菜を買い込む。半額くらいで新鮮野菜が出ている。いつかここで西瓜も買ったことがあった。それから昼食の場を帰りの道中で探す。年に何回かの墓参の場が兄弟の団団の場でもある。私が歳を重ねるように弟も歳をとった。「でもお互いに大きな病気もしないで、ここまで来られてよかったね」と言い合う歳になった。そうして「子供たちも立派に成長してくれたし・・」と言い合う。

「いい子に育ったねっていうから、わたしが育てたのよ、ていうんだけど」と義妹はいう。確かに手塩に掛けて育てていた。しかし、私の場合はほっぽり放しだった。そのことを思うと「よくぞこんなに立派になったものだと」としみじみ思うのである。
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震災から二年三ヶ月

2013年7月5日 金曜日

 出産を秋にひかえたSさんを石巻に訪ねた。「会ったのは何時だったっけ」と振り返ったが、震災直後の秋ではなかったろうか。だから一年半ぶりかもしれない。このごろは、ミクシーやらツイッター、さらにはブログなどで、個人の行動が公開されているから、一年以上も会わなかったという実感はない。それでも実際に会って語り合わないと伝わらないこともある。

 石巻へいくのは仙台から仙石線に乗るのだが、今は途中松島海岸駅~矢本駅間で代行バスを乗り継がないと行かれない。それでも、女川までとりあえず路線が回復したのである。もう途中に震災の災禍の跡は見えないが、東京で暮らしていた彼女は、すっかり土地に根を下ろしていた。立派なものである。

 根を下ろしているといえば、先日グリリー榮子さんという昔の文章同人誌の仲間の名前を検索していたら、そのグリリー榮子さんが晩年身を託した修道院に泊まってきたという方のブログに行き当たった。やはり文章の仲間だったことも書かれていたので思わず書き込みを入れてしまったが、どうも、違うグループだったみたいだ。その方のブログを辿ると宮城県の岩出山あたりで、毎日お餅をついて道の駅に出荷し、新聞でバックを作っているようである。いろいろな人がいろんな活動をしているようだ。

 仙台市内の娘の家は今頃になって、てんやわんやの状態である。建具の破損は震災直後に直したようだが、外壁も内装もまだ手がつけられなかった。遅れたのは職人不足もあるらしい。とにかく玄関の続きの廊下に家具が積まれ、いつも私が泊まる和室は物置のようになっていた。

 「だから寝るところがないって言ったでしょ」というのだが、「リビングでも納戸の中でもいいわよ」、と押しかけていった。ついでに各部屋の壁紙などを見て回ったが、天井は全く損傷がないらしい。ソフアーの上にも物がいっぱい。その椅子の端っこに腰掛けながら、娘夫婦とお茶をしている同じフロアーで職人さんも仕事をしている、という感じだ。真中の白木の柱は、広いフロアーの天井が不安ということで、今回追加されたもの。 
buroguyoujpg今回の工事で、階段の下の空間を利用して犬のベンのお部屋が出来るらしい。ベンちゃんが喜んでいるのかどうかわからないが、その日は犬ホテルに預けられていた。

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