まさに水澄むの季節で、川の水がよく澄んでいる。鮎くらいの魚が群れて、時々水底の砂利に貼り付く。多分水苔を食べるのだろう。同じ川に端で小さな魚の群が、大きな魚とは決して交わろうとはせずに泳いでいる。
この川の土手に、この水澄むころになると、写真のような萱の類かなと思う丈高い草が茂って旅心を湧かせる。よく見かけそうな草なのだが、名前が判らない。そのうち、図書館で探してみようかと、思う。
今日から「ににん」の発送準備。
954(昭和29)年から井の頭自然文化園で飼育されていた象の花子は、昨年の5月に老衰で亡くなった。象はその大きさを愛され、その姿が愛され、花子と言う親しみやすい名前で愛されていた。(欅は落葉尽くしけり)にはそのすべて託されている。
「下鉢清子句集『貝母亭五百句』 2017年 ウエップ」より
ここには霧しか実体はない。いや霧という描きにくいものを怜悧に描き出した。薄墨色はまるで霧の陰影のようでもある。その奥から誰か呼んでいるのである。その声を聞いている作者と二人しかいないような世界が、シュールに描かれて美しい。
「佐山苑子句集『余音』 2017年 文学の森」より
秦 夕美さんの美意識、表現方法というものの冴えの集約された一句である。歯を抜いた後の道すがらの水辺の風景と取ることも出来る。それだけにはとどまらないで、歯を抜いたあとのざらざらとした感触が映像化されたものとしても、感覚的に共感できる。
現代俳句文庫 秦夕美句集 2917年 ふらんす堂より
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