2020年4月 のアーカイブ

日課の散歩道

2020年4月28日 火曜日

黒目川 外出が罪悪感を感じさせる今日この頃ではあるが、家の中の行動範囲では病人並みだ。毎日日課のように散歩するのは、家から5分ほどの黒目川の土手歩き。行けるところまで行って帰ってくる。

いまは土手を覆う若草が瑞々しくて摘めるものがあれば摘みたい気分である。山菜天婦羅なんていうのもいいなーと思いながら、摘めそうな草を目で拾う。

蓼の新芽が行く先々にある。蓬も丁度摘み頃、少し前ならからし菜の花もよかったかもしれない。そんなことを思いながら橋をいくつもやり過ごす。

結局、何も摘まずに帰ってきた。要するに野草を摘んで天婦羅を作ろうとするための弾みがないのである。ひとりの食事作りにかなり慣れてはきたが、料理を作る弾みというのは、おひとりさまごはんでは生まれないのかもしれない。

2020年4月15日

2020年4月14日 火曜日

このところ、毎日毎日風が吹く。散策には少し強すぎるなあと恨めしく窓の外を眺めている。それでも朝の日差しは変わらない。部屋一面の朝日が騒がしく、しばらくは隣接の書斎でパソコンに向かう。
朝日1」書斎では、書こうと思いながら手を付けられなかった「鹿火屋」に拠った人々の糸口を見つけることが出来た。

宅急便がきて開けてみると5年分ぐらいになりそうな短冊だった。丁度日差しが後退してきた居間で、お茶しながら、早くこの短冊を使う日がくればと願うばかりである。

「ひとりお茶」しながらそこで、今度は友人と課している俳句を作る。この友人との俳句作りも30年以上になるかもしれない。相手をしてもらえる人がいるのは、ありがたいことである。

疲れたときには、寝室で横になって本や新聞を読む。目的ごとに家の中を移動しながら、なんと穏やかな日々なんだろうと錯覚している。

椿の新種?

2020年4月7日 火曜日

椿
もう忘れるくらい年月の経った椿の木がある。はじめは鉢で育てていたのだが、開花と同時に錆てしまう。真っ白でいるのはほんのニ、三日。鉢植えでは栄養が足りないのかもしれないと、庭に植えなおしてみた。しかし、もうそれからでも10年以上は経つとおもうのだが、一樹が真っ白な花でおおわれることはない。

見事な大きな椿の花なので、なんとも惜しいと思って、椿の前に立っては、どうすれば錆びないでいてくれるのだろうとうち仰いでいた。大地に植えなおしてあげたのだから、少しは変化があってもいいではないかと思うのだが、鉢植えの時と全く変わらずに錆色の大輪をぼたぼたと地上に落下させるのである。

手のひらからあふれそうな大きな花で、写真に収めてみればまるでこの錆色が本来の色なのかとも思えそうな不思議な色だ。もしかしたら、新種なのかもしれない。茶色だから枯れをイメージしてしまうのだが、案外いい色ではないか。

椿と言えば、昨年の夏だったか、水上の若山牧水の足跡をたどった時に「椿の家」と呼ばれている家で、昼食をご馳走になった。大きな椿の木が目印になる家だったが、秋だったので花は見られなかったが、妖艶な雰囲気を醸し出す椿の木だった。何時か、満開時に花を見たいと思っている。

こごみの収穫

2020年4月7日 火曜日

こごみ
二階のテラスにアケビの蔓が巻きついていた。今年だけではないのかもしれないが、今まで庭の管理はすべて連れ合いの領分になっていたので、気が付かなかった。蔓延ってしまってはたいへんだ。手の延ばせる限りの蔓を切り落とした。

切り落とした蔓を片付けるために庭へでてみると、連れ合いの郷里から移植したこごみが摘み頃だった。六日町では雪解けのあとの野原へよく摘みにいったものだ。

コロナウイルス禍は都会を中心に蔓延していた。明日は安陪さんが緊急宣言を出すようだ。なぜもっと小さなうちに食い止められなかったのか。事情がよくわからないが、よほど明確な症状が出ないと、ウイルス検査をしてくれないみたいだ。理解できない。

そのうえ、呼吸器が足りないし、足りても人手が足りないかもしれないらしい。それで助かりそうな若い人を優先するとか。そんなことをテレビで堂々と語るなんて怖い。

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