‘受贈著書’ カテゴリーのアーカイブ

象花子欅は落葉つくしけり   下鉢清子

2017年9月13日 水曜日

954(昭和29)年から井の頭自然文化園で飼育されていた象の花子は、昨年の5月に老衰で亡くなった。象はその大きさを愛され、その姿が愛され、花子と言う親しみやすい名前で愛されていた。(欅は落葉尽くしけり)にはそのすべて託されている。
「下鉢清子句集『貝母亭五百句』 2017年 ウエップ」より

だれか呼ぶ薄墨色の霧の中   佐山苑子

2017年9月12日 火曜日

ここには霧しか実体はない。いや霧という描きにくいものを怜悧に描き出した。薄墨色はまるで霧の陰影のようでもある。その奥から誰か呼んでいるのである。その声を聞いている作者と二人しかいないような世界が、シュールに描かれて美しい。

「佐山苑子句集『余音』 2017年  文学の森」より

歯を抜いて銀のさざなみ寄する冬   秦 夕美

2017年9月1日 金曜日

秦 夕美さんの美意識、表現方法というものの冴えの集約された一句である。歯を抜いた後の道すがらの水辺の風景と取ることも出来る。それだけにはとどまらないで、歯を抜いたあとのざらざらとした感触が映像化されたものとしても、感覚的に共感できる。

現代俳句文庫 秦夕美句集 2917年  ふらんす堂より

口笛に枯野の真中ゆれはじむ   鈴木太郎

2017年8月30日 水曜日

もともと、枯野は風の吹きやすいところである。口笛を吹きながら枯野を眺めていると、野が揺れているのに気がついたのだろう。その揺れを認めたことで、枯野がより鮮明に広がりを見せてくれる。口笛と枯野の取り合わせにより不思議な光景になった。

(鈴木太郎第五句集『花朝』  2017年   本阿弥書店)より

蓑虫の鳴くや衣の十重二十重    浅井民子

2017年8月27日 日曜日

蓑虫は気が付かなければ、雲の糸の端に木の葉の屑が絡み合っているかのように思えてやり過ごしてしまう。知ってしまえば、いかにも俳諧に相応しい季題でもあるのだ。飯島春子はその撒き付いている木の葉を(蓑虫の蓑あまりにもありあはせ)と詠んでいる。掲出句は十重二十重としている。一見写生的だが、その措辞によって人生を象徴しているようにも思える。
浅井民子句集『四重奏』 2017年 本阿弥書店

有罪でも無罪でもよき海鼠かな    岩淵 彰   

2017年8月27日 日曜日

海鼠がまさか悪事を働いたというわけではないだろう。それなら作者が、と戸惑うような句なのだが、海鼠がいかにも海鼠らしい姿になる。日常とも非日常とも思える海鼠ならではの措辞である。

(岩淵 彰句集『楽土』私家版  2017年)より

子を産めぬ男さびしき水の秋    蟇目良雨  

2017年8月26日 土曜日

確かなことだが、なぜか意表をつかれる句である。(子を産めぬさびしさ)というときに、どこか、取り残された疎外感のようなものに共感する。女性がこうした句を作るのは見かけるが、もしこれが女性のそれであれば、水の秋が少し濁るかもしれない。
蟇目良雨句集『菊坂だより』  2017年 春耕俳句会

直会の取りはづしたる春障子    榎本とし

2017年8月25日 金曜日

神酒や神饌が供えられて、家の中ではあるがいつもとは違う世界がくりひろげられている。この句は春障子が季語ではあるが、その肝心な障子はみんな取り外されて、宴の隅に重ねられているのだろう。作者は榎本好宏氏の母堂である。

榎本とし句集『筍飯』  2017年    航出版

薇園のはづれは椎の匂ふなり   長嶺千晶

2017年8月24日 木曜日

見過ごしてしまいそうな何でもない景ともいえる。
それまで薔薇に捉われていた心にふと隙間風が入ったように、椎の匂いが入ってきた。この推移が薔薇園の鮮やかさから、椎の緑樹へと繋がる視覚的な景の裏打ちしていている。他に(蝌蚪に足出て笑いたき日なりけり)(鹿啼くや水にひろがる空のいろ)(母すでに綿虫ならむ暮ゆける)など。

〈現代俳句文庫ーー82『長嶺千晶句集』 2017年 ふらんす堂〉より

草原に雨の匂ひや蛇の衣   逆井花鏡

2017年7月27日 木曜日

蛇の衣とは脱皮して残していった蛇の皮なのだが、時に梢などに風に揺れていることがある。どこで出会っても、蛇というだけで不気味さが先立ってしまう。しかし、草原という果てしない背景にしたことで、蛇のぬけがらが淡々と透明感が生まれてくる。生き物の儚さが漂ってくるからだろう。   「句集『万華鏡』2017年     雙峰書房」より

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