2015年9月 のアーカイブ

象老いて色なき風をまたぎ来る   飯田冬眞

2015年9月25日 金曜日

(風をまたぐ)、この措辞にまず意表をつかれた。こう表現されたことで、本来は色も形もない秋風が形象化されて、読み手にも見えるように差し出されたのである。その色なき風を老いた象のゆっくりした足取りがまたぎながら近づいてくるのを作者は待っているのである。他に

太き眉持たねばならぬ花守は
手の届くあたりに眼鏡おぼろの夜
人知れず背筋を伸ばす蛇笏の忌
隅つこの好きな金魚と暮らしけり
雲の峰こんなものかと骨拾ふ
裏表なきせんべいよ母の日よ
桃の花腕組む父の待つもとへ    『時効』2015年 ふらんす堂

 

岩淵喜代子

露けさに山が歩いて来るやうな   岩岡中正

2015年9月25日 金曜日

露そのものは自然現象だが、このことばを被せた(露の世)(露けし)(露の間)(露の底)になると(露けさの昔に似たる旅衣蓑の島の名には隠れず 源氏)のように心情的になる。

掲出句は(山が歩いてくるやうな)の措辞によって、和歌の世界とは違う男心で俳諧的になった。他に(露けさに)を納得させる一句である。(相聞のごとくに橋や花の散る)(山繭の風のごとくに眠りけり)(こゑあげてゐる一本の夜の新樹)など。岩岡中正句集『相聞』2015年角川書店  (岩淵喜代子)

宇治橋に木の沓の音文化の日   島村 正

2015年9月25日 金曜日

宇治橋は伊勢の神宮の内宮の参道口にある参道のこと。木造の和橋の両側に神明鳥居があって、下を五十鈴川が流れている。(沓の音)は記紀の世界へ渡る音でもあるのだ。その沓音の響きが、戦後に施行された「文化の日」という極めて象徴的な祝日の音でもあるかのように思わせる。

(大鷲と化し仙人がひるがへる)(鳴くことが命の証し蟬時雨)(風筋を読みゐて眠る百合鴎)。島村 正 第十二句集『一億』 2015年   宇宙叢書(岩淵喜代子)

一軒の家のまはりの稲の花   鳥居三郎

2015年9月24日 木曜日

稲の花がどこまでも続いている風景は、平安の象徴のような風景である。それなのに今年は、多くの地域で河川氾濫をもたらした台風で稲田が水没した映像を幾度となく見せられた。

稲田を詠むのは難しい。もう稲田というだけで、あるいは稲の花というだけで、風景の大方は掬い上げられているからである。その稲の花の盛りの田圃に一軒の家を配置して、視点のよりどころとしたのである。ほかに(田のなかの白鳥まぶた閉じてゐる)(ふくろふの歳を思ふに夜の明けぬ)(薮椿落つる辺りの暗さかな)など。

「鳥居三郎句集『てつぺんかけたか』 2015年 木の山文庫」 (岩淵喜代子)

引鶴は一糸の赤い糸なりや   岡田史乃

2015年9月23日 水曜日

季節的には、ここでは秋または冬の句を鑑賞したいと思ったが、この句に及ぶものがない。というよりも、この句が句集中の群を抜いた秀句と思うのである。鶴という神秘的な鳥の印象を(一糸の赤い糸なりや)に託した感覚に惹かれる。鶴は止まっている鶴ではなく、飛翔の鶴として捉えたい。

他に(立春の紙に小さな音生まれ)(陽を受けて水母に厚み生まれけり)(象の汗みたことあるか茅舎の忌)(学校が消えてなくなる青嵐)(四方から鹿の寄り来る山の冷え)など。第四句集『ピカソの壺』2015年  俳句界。(岩淵喜代子)

老人に成り切れぬまま敬老日   大高霧海

2015年9月22日 火曜日

広辞苑での老人の項目には、――年とった人。年より、という簡単な言葉しかない。世界大百科事典 第2版の解説ではーー老人になるということは,単なる生物学的事象というより社会的・文化的事象である。――とあり、デジタル大辞泉では老人福祉法でも、老人の定義はないが、具体的な施策対象は65歳以上を原則としている。――とある。

誰もが昨日の続きで今日を生きているのだが、その何処で老人という言葉を肯うかは個々の問題かもしれない。毎年巡ってくる敬老日を面映ゆいおもいで受け止めている作者がいる。他に(鯉幟宙(そら)に水あるごとくあり)(早苗田の畔にぽつんと大薬缶)大高霧海句集『菜の花の沖』2015年 文学の森    (岩淵喜代子)

ににん60号再校完了

2015年9月22日 火曜日

KC4D0083  印刷所に再校の「ににん」ゲラも送って、毎回ながらちょっと開放感を味わっているひと時である。私にとってほんとうに楽しませてくれる雑誌である。それだけではない。この「ににん」という広場があるお蔭で、大いに手足を伸ばして遊ぶことが出来る。

「ににん」がなかったら、例えば大冊の評伝『頂上の石鼎』など書けなかっただろう。ましてやその次の『二冊の鹿火屋』など書く気力が出なかっただろう。場を得る、ということはこういうことなのだ、と改めて思うのである。一号ごとの成果は微々たるものだが、振り返った時に積み重ねた月日の厚みが見える。これが同人誌の同人誌たる所以ではないかと思っている。

今年も約束のように曼珠沙華が咲いた。このシルバーウイークの間にお墓参りに行ってこようと思っている。

台風17号

2015年9月12日 土曜日

10日の午後3時ごろ、鬼怒川氾濫は茨城県常総市あたり。ににんにも鬼怒川に近いところの会員もいるので、気になっていたが、どちらも無事ということ。しかし、Tさんのところの実家が床上浸水したとかで、月曜日の句会は欠席。

宮城県では、11日の午前2時ごろ富谷町の竹林川が堤防を越えて氾濫した。ほかにも、 隣の大和町では吉田川が増水して堤防を越え、大崎市を流れる渋井川の堤防が決壊したらしい。土地勘がないので、どのあたりなのかよくわからないがとにかく、記録しておこう。

娘一家が仙台にいるので、心配してくださる方もいるのだが、高台に住んでいるので、水に関してだけは心配がない。

鬼怒川堤防決壊

2015年9月11日 金曜日

昨日は虹が出たことに喜んでいたが、東武腺のせんげん台駅前を膝まで水に浸かって往き来している人がテレビに映しだされた。せんげん台の駅には虫送りの行事をみるために何回も降り立ったことがあるので、びっくりしていた。

それが、夕方外出から帰ったら、鬼怒川の堤防が決壊したニュースが映しだされていた。河川の決壊は地震の津波よりも瞬間的な現象なのではないだろうか。たしかに昨日から決壊水域を越えた箇所が放送されてはいたが。河川の氾濫とか決壊なんて歴史小説の中でしか無いような気になっていた。七月末には鬼怒川に宿をとって東照宮を巡ってきたばかりである。

虹が出た

2015年9月9日 水曜日

KC4D0076  颱風情報の中、小降りになった隙に郵便局に出掛けた。「ににん」の紙焼き原稿は何が何でも送らないと、ますます遅くなってしまう。ところが家を出て数分の間にまた本降りになってしまって、投函のあと他の用事に回る気力もなくなってしまった。

ふたたび外出したのは夕方だったが、晴れ間から太陽が出ているのに、雨傘が必要だった。遠くに虹も出ている。なんとせわしない天気なのだろう。傘を差しながら携帯カメラに収めた虹は雲の動きに影響されて、消えたり、片虹になったり、また半円に繋がったりしながら、家に帰ってもなかなか消えなかった。

取りあえず、ににん60号の入稿は完了。

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