2014年7月 のアーカイブ

『好日』2014年8月号  主宰・長峰竹芳

2014年7月28日 月曜日

俳誌月評  筆者・広畑美千代

「ににん」冬号  通巻53号 季刊
代表岩淵喜代子。平成12年埼玉県朝霞市で岩淵喜代子が創刊。発行所朝霞市。

火と灯の祭祀「奈良」若草山焼き
伊丹竹野子作品「山談義」より
春日野の春を先取るお山焼
山焼きて寺領争ひ止めたといふ

岩淵喜代子作品「冬萌え」より
寂々と日の彩りの霜柱
梟に胸の広場を空けてをく

ににん集  (兼題 広場)
をちこちで白き息たつ広場かな   新木孝介
椋鳥鳴きて広場は影の中にある   木津直人

さざん集
これはこれは入場無料懐手     山内美代子
産声は秋の嵐を貫けり       阿部暁子

木佐梨乃氏「英語版奥の細道を読む」、正津勉氏「乞食路通」、高橋寛治「定型詩の不思議」、田中庸介氏「わたしの茂吉ノート」など連載は読み応えがある。代表の講演記録『二冊の「鹿火屋」』を八頁に亘り掲載。「秀句燦燦」には長峰竹峰句集『暦日』より(どんぐりは真正直に落ちてゐる)を抽出。?ぎ立ての句群は素朴な俳味と滋養に充ち、噛めば噛むほど味わい深いと鑑賞。
巻末には付録として五氏によるエッセイ集「雁の玉章」がある。

『貝の会』2014年8月号 主宰・澤井洋子

2014年7月28日 月曜日

俳句四季6月号より   筆者・水間千鶴子

春暁の音に明暗ありにけり   岩淵喜代子
夜から朝へ時はしろじろと移る。朝刊の届く音、水汲む音、鳥の声、始発列車の音…。その音色さまざまに、人それぞれの新しい一日が始まる。(春暁のあまたの瀬音村を出づ  飯田龍太)に通う情景。漢字「聴」が浮かぶ。

お遍路に山のひきよせられてゆく     岩淵喜代子
山がお遍路を引き寄せるのではなく、逆にお遍路が山を引き寄せる、という発想に感銘を受けた。歩く程に魂は浄化され、山の霊気と一体になる。白装束と青い山の対照も際やかに、自然への畏敬の念が伝わる。破調のリズムも心惹かれる。漢字「信」が浮かぶ。

逃水の向こうに道の続きをり   岩淵喜代子
道又道逃げ水また逃げ水、歩けど追いつけど尚遠ざかる。透明な炎よ。漢字「遙」が浮かぶ。(逃げ水を追ふ逃げ水となりしかな。 平井照敏)と同様、不思議な距離感の漂う一句。

たはむれに吹く草笛の火の音色   岩淵喜代子

2014年7月27日 日曜日

道々に草笛になりそうな木の葉、草の葉を見ると吹いてみたくなる。郷愁に誘われ吹いてみると思いがけなく、(火の音色)であった。草笛という季題を身近な生き生きとした命あるものにしている。誰しも人生懐かしいことばかりではない、忘れていた一駒を突かれたような心に深く食い込んでくる作品。

(「枻」五月号・筆者・中村幸子)

涼野海音句集『一番線』 2014年   文学の森

2014年7月23日 水曜日

会ひしことなき人待てる桜かな
青空は鳥を落とさず植樹祭
短夜の誰もつかはぬ帽子掛
蟻地獄水の明るさありにけり
空蝉と大きな枡の原稿紙
海の日の一番線に待ちゐたる
むつかしき顔して糸瓜棚の下
馬なでし手を洗ひゐる良夜かな

平成23年の第三回石田波郷新人賞受賞者、かつ、今回の句集「一番線」は文学の森の北斗賞に輝いて、句集はそのご褒美とし作られたものではなかと思う。この一番線で思い出すのがハリー・ボッターが魔法の国へ行くために乗るキングス・クロス駅9と3/4番線だ。どうやら俳句の国へゆくには一番線に乗るのかもしれない。

自らが–本集にはおよそ四年かけて自選した句を収めた。私自身の思い入れが深い句を重点的に選んだ。俳句を始めてからずっとただ「自分に正直に」詠んできた。俳人にとってこれ以上、大事なことはないと思う。ーーと語っているように、非常に丁寧に対象と向かい合っている。

真夏の夜

2014年7月21日 月曜日

歌舞伎座のチケットが自在に買える伝手を得てから、毎月娘が歌舞伎を観に仙台からやってくる。しかも、一回目にかぶりつきの席の醍醐味を味わっていたので、二度目の二等席はなんだか物足らないらしい。

今月はやはりかぶりつきの席を手配した。久しぶりに夜の舞台を観た。悪太郎・修善寺物語、それと天守物語。泉鏡花の天守物語は玉三郎の独壇場なのだろう。シネマ歌舞伎でも自らの演出だった。今回もシネマ歌舞伎と同じ玉三郎と海老蔵の珠玉のコンビ。二人のカーテンコールが一度ならず行われた。まさに歌舞伎は芝居ではなく役者を観にゆくものなのだ。

それから夜の銀座で、娘夫婦と終電までの食事時間を過ごしたが、このときの話題があまりに面白くて歌舞伎を忘れてしまうほどだった。何故か我が家のトイレに毎年カレンダーが貼られる。そのカレンダーに予定を入れるのは夫だった。予定のすべては夫が自分のために書き込んでいるのである。当然トイレに入るたびに、誰もがカレンダーの予定表に目がゆくかもしれない。

我が家を訪れる娘夫婦も孫たちも、トイレに入るたびに、そのカレンダーへ自ずと視線がいったようだ。そこには夫の予定、病院だとかゴルフだとか書いてあるわけだが、そこに一つだけ異質の記入として、7月22日に丸が付けられ(ちなつ)と書き込んである。我が家の娘の誕生日なのである。

それは何年も続いていたのだ。たぶん娘の連れ合いは娘の実家で予定表に唯一誕生日が加えられていることに、義父の娘への想いを感じていたかもしれない。孫たちはじーちゃんが予定表に祖母でもなく孫でもなく娘すなわち自分たちの母親の誕生日だけを書き込む気持ちを思いやっていたらしい。

毎年毎年、もしかしたら今年は自分たちの誕生日にも丸が付くかもしれないという期待をしたかもしれない。まして娘の長女は結婚して子供を産んだ時には、じーちゃんが曾孫の誕生日に○が付けるのではないかという期待をしたのではないだろうか。

ある日、そのことが娘の家で話題になったようだ。一斉に「見てる」という風な頷き方をしたらしい。そうして、孫たちがやはりママはじいちゃんにとって別格なんだね、としみじみ結論付けたそうである。その直後にそのママ、すなわち娘が「あら、わたしが付けているのよ」と言ったとか。

その途端に唖然として、爆笑になったのを想像して、わたしも笑いが止まらなかった。わたしは娘が自分で○をつけているとはじめから思っていたので、何も感じなかったが、毎年毎年、我が家に来るたびにまた書いてあると意識を寄せれば、夫の娘への想いを想像してしまうだろう。カレンダーには、ゴルフ場で配られる小さな鉛筆が「書き込め」とばかりに挟んであるのだ。

武田肇句集『同異論』  2014年  銅林社

2014年7月20日 日曜日

タイトル同異論については「解題」としてことばが尽くされている。要約すれば、視覚から詠む俳句は同時に複数句が成り立つ、という。ということで、句集の一ページの二句は、臍を一つにしている。二句一章ではなく二句一身の作品群が一集を成している。これはいかにも詩人らしい論である。

鐡をうち春を槌つなり山の人
鐡のごと春は槌たれて耗りゆけり

花人も花も遅れて咲きに来る
花と人遅れて逢ふや枝の尖

ニヒリズム咲かぬ櫻と来ぬ人と
ニヒリズム春の眞裏に花と人

二句一身とは、実際の作品を示してしまったほうがわかり易い。
連作とも違うのである。これも試みの句集である。

遠山陽子第五句集『弦響』  2014年6月   角川学芸出版

2014年7月20日 日曜日

地吹雪のかなたの桜吹雪かな
なにもせぬ耳たぶ二つ薄原
鮟鱇か虎魚か父を忘れをり
福袋白鳥の子が出てきたる
少し転げ卵の中は春の海
蛇の衣湖すこし流れをり
滝見上げをり夫婦でもなさそうな
立ち上がるものに馬の子みちのくは
曳かれくる鯨笑つて楽器となる     敏雄
夏の夜のグランドピアノ鯨となる    陽子

太陽や目にいつぱいの暗い事態(チエルノブイリ)  敏雄
収束不能(フクシマ)を敏雄は知らず敏雄の忌      陽子

自選十句には(老人になるまで育ち初あられ)(生枯れの我枯れの足の中)(よき十年なりき仰げば松ノ花)など、人生の凝視の姿勢が感じられる。大冊の評伝『三橋敏雄』を書き上げた達成感とその月日の充実感が一集に漲っている。そうした中で、師、三橋敏雄のへのオマージュとしての反歌のような試みにも惹かれた。

八木忠栄詩集『雪、おんおん』  2014年6月  思潮社

2014年7月12日 土曜日

俳句も作る詩人と言っても、昨今は珍しいいことではない。八木忠栄氏は中では殊に俳句にも熱心な作家である。個人誌「いちばん寒い場所」はすでに70号に達している。

これまでは気がつかなかったのかもしれないが、八木忠栄氏の詩は語り部的な文体である。思想は自ずと文体を選ぶのかもしれない。表題の「雪、おんおん」と同じタイトルの詩がある。詩集のなかでも殊に9頁もある長い詩である。

ゆらゆら 木の橋をわたってくる女たち
思い思いのコートをまとった十数人
かげろうのようにあるいてくる
彼女たちには目がない 口がない

読んでいて、やはりこの一篇は語り部的文体であり内容である。数日前に遠野で耳にした語り部の声を思い出す。

台風一過

2014年7月11日 金曜日

台風8号は鹿児島・和歌山と爪痕を残しながら東京周辺はあっさりやり過ごしてくれた。朝から気温が高く、この夏一番の暑さに感じられたが、それでも今日の予定には支障が起きないでよかった。

恩師が聴講せよというので日本出版クラブに出かけた。明治書院の方たちが事務局を受け持っているのは、教師だったころ国語参考書、あるいは国語の指導書などが手掛けていたときの繋がりなのだろう。それに、古い友人たちが世話人となっていた。勿論、そうした人たちも米寿を迎える師に近い年齢ではないかと思う。

そのなかの一人の家が日曜日の7チャンネル夜八時に放映されるという。明日の番組表をみると、「 日曜ビッグバラエティ「自慢の我が家へようこそ」とある。「日本のスゴイ家」としてーー豪邸&珍邸&狭小9軒(1)都内7坪三角ハウス(2)電車で暮らす家族・豪華ホテル風洋館VS露天風呂付き和風御殿 ほかーーとあるから、この中の豪邸の類のようだ。それに、以前某新聞の時評を受け持っていた人など多彩だ。

「さきもりを守る会」という団体の方も来ていた。「さきもり」って「防人」のこと。集まればいろんな人がいる。先生のお話は、今日も終戦前後のご自分の戦争体験、呉の海軍兵学校の学舎から眺めた原子爆弾の閃光のことから始まった。その茸雲をみたときも、どこかにマグネシュウムの工場があって、そこに爆弾が落されたのだろう、と思ったという。たしかに、それまで原子爆弾などというものの認識は世に無かったのだ。

開戦の意見は陸軍と海軍では一致していなかったという。海軍は二年以上の戦争が続いたときには自信が持てない、という予想だったが陸軍はそれを退けたらしい。それにしても、昭和の初めころに生れた人は、何故かお元気だ。この恩師同様、石鼎の麻布の家探索にお付き合いして下さった荒潤三さん、それから吉行淳之介文学館で出会った宮城まり子さん、みな同じ年代である。

『鷹』創刊50周年記念事業 主宰・小川軽舟

2014年7月3日 木曜日

雑誌2014年7月号

この号は鷹五十周年記念号である。 雑誌の中での企画では藤田湘子を囲む弟子たちのアルバム集と「時代へ受け継ぐ短詩型」とする座談会。 もうひとつの企画として別冊付録として創刊からの年賦があった。さらに特集として、鷹から育った俳人100人を紹介している。改めて「鷹」の系譜の広さを見せてもらった感じである。 雑誌で未来を語り、付録企画で歴史を照射している。

記念事業
『季語別鷹俳句集』          ふらんす堂
『藤田湘子の百句』 鑑賞 小川軽舟  ふらんす堂
『飯島晴子の百句』 鑑賞 奥坂まや  ふらんす堂

新書版タイプの一書は右ページに一句、その鑑賞を左ページに編纂されて、表紙も瀟洒装丁。このおしゃれ感覚もまた持ち歩きながら、じっくり読んでみたいと思っている。

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