2010年8月 のアーカイブ

かいぶつ句集」第54号   特集「潜る」より

2010年8月28日 土曜日

評者 ・ 黒川俊郎丸亀丸

子子のびつしり水面にぶらさがり        岩淵喜代子

俳句で「潜る」という言葉が出てきそうなのが、水鳥とか海女とかである。潜水艦や潜水夫もある。要は水面から下方に入る込むこと、行為をするもの に関する俳句である。そう見当を付けるのは「潜る」に関わる俳句について、何か書けといわれた場合の常套的な判断であろう。私もその線で何か書きたくなる ような句はないかと探した。

水鳥はけっこう潜っていて『よく潜ぐ水鳥のゐて沼ぬるむ  能村登四郎』『水鳥は水にもぐつて日暮れけり  鈴木郁』『水鳥の潜りだきとき皆もぐる   根岸善行』といったように並ぶのだが、あんがい海女が潜らないのである。ようやく『大き息ひとつ抱へて海女潜る  岡西剛』を見つけた。『葉桜の透き間原 子力潜水艦  石井直子』『青蚊帳に父の潜水艦がいる  菊地京子』という潜水艦の俳句もあった。

だがどうも、どの句も意表を突いた「潜る」という感じではない。つまり最初の探すところから間違えているのである。こんな時は気分を変えたほうがいい。 面倒でも気が向いた句集を開いていくうち何かに出会うだろうと、開いた句集が『嘘のやう影のやう』(岩淵喜代子)であった。私は岩淵喜代子さんというと 『逢いたくて蛍袋に灯をともす』の句を思い出す。
彼女の句はどの句も言葉が平易でしかも自由である。『嘘のやう影のやうなる黒拗羽』がこの句集の題名のもととなった句。日常にある不確実性を深刻ぶることなくお洒落に描いた一句だが、視点の確かさや発想の豊かさに瞠目する。

そんな岩淵喜代子さんの一句。『子子のびつしり水面にぶらさがり』はまさに探していた句である。水面という境で水のなかは潜つていることになるが、それは人間の視点に過ぎない。
ぼうふらにすれば、ぶら下がっているのである。今どきぼうふらのびっしいる光景など、都会では見かけることがなくなったが、きっとどこかでぼうふらはびっしりとぶら下かって、今も水面越しに覗き込む人間を見ていることだろう。

NHK 7月4日・6日放送

2010年8月27日 金曜日

月刊誌『NHK学園』    筆者・西村和子

日焼子に往復切符与へけり     岩淵喜代子
 
  夏休みの了供に一人旅をさせるのでしょう。親が切符を買って与えるというのですから、まだやっと一人で特急に乗るくらいの子。日焼けしてたくましくなったとはいえ、少年期に入ったばかりの学童でしょう。
 あるいは少女かもしれません。おじいちゃん、おばあちゃんの家に一人で行って来る、そんなことが想像されます。
 旅行と言えば必ず親が連れて行ったものなのに、今年は一人で行けるようになった。そんな時、日焼けした我が子が一段としっかりして来たように見えるものです。

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