2011年12月 のアーカイブ

使わない椅子

2011年12月31日 土曜日

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要らない椅子だが、居間に出してきたのは東京に就職が決まっている孫娘が来たときに食卓の椅子として使えるからだ。しかし、普段は食卓とは反対の南向きの窓辺に置いて観葉植物の鉢を置くことにした。黒が映えてインテリアめいていい感じである、と悦にいっていたが……。

いつの間にか鉢はもとのチェストの上に収まって、その代わりに小物入れが置かれていた。「どうして?」とつれあいに聞くと椅子に鉢を置くなんてオカシイ、と宣うのだ。この小物入れは窓の向うの薮にやって来る小鳥を見るための双眼鏡や電卓、ボールペンやら虫めがね。今日はその中に近所で貰ってきた柘榴も入っている。

それでは全く要らないもの同士をガラクタとして部屋の隅に押しやっているみたいではないか……と言ってもつれあいは元の置き場所を主張する。なぜ頑強に主張するのかは分かっている。それらの鉢のすべては私が買ってきて、つれあいが育てているからだ。

今年も、こうした微かな齟齬の積み重ねはあっても、無事に大晦日が越せそうである。

「ににん」45号

2011年12月30日 金曜日

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今日は「ににん」が印刷所から届く筈なのである。とは言っても広島からだから夕方になるだろう。用事を済ませての帰り路で黒目川を見渡すと鷺が数羽いた。一羽しかいない青鷺に焦点を絞って撮ってみたが手前の白鷺が影まで白くて、二羽いるみたいだった。

先日「ににん」の健在なのを誉めてくた編集者がいた。何処そこでは年四回発行を三回にしようと言っているし、どこそこでは閉刊するらしいよという話しに及んだ。わたしは季刊発行だからこれ以上間遠な発行なんて考えられない。もっとも年三回にしても二回にしても、他人は気がつかないだろう。他所の雑誌を待っているなんていう読者は殆ど居ないから、年三回発行になったとしても「そうだったの」と言われるのくらいのものである。

雑誌を発行しながら、私は五年ごとをひと区切りのつもりでいる。なぜ五年なのかといえば緊張感の持続力が丁度そのくらいなのだと思っているのだ。それを過ぎるとマンネリズムになる。これまでの「物語を詠む」は踏襲していくことになったが、「灯または火」をテーマにした作品に限ることにした。そうして、それまでことばを兼題にしてきた「ににん」集は、十五周年まで言葉でもよし、「灯または火」の行事をを詠んでもいいことにした。自ずと「灯と火の歳時記」を作るという目的が見えてきた。

第5句集原稿を入稿

2011年12月28日 水曜日

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青鷺がいたので魚の群れも居るのだろうと橋の上から覗きこむと、やはり魚が群れていた。数日前に見たのは鯔の子供とかで大きな魚だったが今日のはその3分の1くらいの小魚の群。このほうが鳥には捕獲しやすい筈だ。鯔のときには青鷺だけだったが、今日は白鷺も数羽加わって中州が賑わっていた。

その鷺たちからやや川下の土手の斜面には、その小魚には無関心な鳩の群れがみんな目を閉じて西日の方向に向いていた。川岸や川の中には鴨が群れていた。携帯カメラでその全部を収めたつもりだったが、画面が暗くて見にくい。年末ぎりぎりになってしまったが、第五句集の句稿を出版社に送った。来年四月に出来上がる予定。

句集名は「地上の船」「尾があれば」「白雁」のどれにするか迷ったのだが、「白雁」に決めた。この句集名には一抹の不安がある。どこかにありそうな名前だからである。「朝の椅子」「螢袋に灯をともす」「硝子の仲間」「嘘のやう影のやう」と長かったので安心していたが、「白雁」はどうだろうか。

『春月』・主宰戸恒東人 2012年1月号

2011年12月18日 日曜日

俳誌探訪   筆者 淡海うたひ

『ににん』(岩淵喜代子代表) 2011年秋号 通巻44号

 2000年9月、岩淵喜代子氏が埼玉県朝霞市にて創刊。季刊の同人誌。創刊号O号の「創刊にあたって」の中で氏は、「俳句の俳とは、非日常です。俳句を諧謔とか滑稽など狭く解釈しないで、写実だとか切れ字だとか細かいことに終わらないで、もっと俳句の醸し出す香りを楽しんでいきたいとおもいます。」と書いている。
 また37号では、「同人誌とは自分を発揮するための場と考えていただけばいい。『ににん』に拠れば自由に書く場と句を発表する場がある。」としている。大きな結社誌は内側へ視点を合わせているが、同人誌は、外へ向かって発信した編集になっている(11号)という。『ににん』 のホームページが充実しているのもこのコンセプトに適っており、私のような部外者でも創刊号から最新号までの目次と編集後記を見ながらこの欄を書くことが出来るわけだ。
 題字を読み込む「ににん集」は一人5句ずつ掲載。当号の題は「酌」。

   月下独酌このまま何処かに運ばれさう       岩淵喜代子
   かたはらに子猫眠らせ独り酌む           牧野洋子
   潜入の蟻は斟酌もなく潰す              川村研治

 雑詠の「さざん集」も一人5句ずつ掲載。

   八月の柱一つを拠り所                 岩淵喜代子
   木霊夜々宿して滝の落ちつづく            長嶺千晶
   送行や枕の硬き母の家                 新木孝介
   にきびのごと言語浮き立つ酷暑かな         栗原良子
 
 「物語を詠む」という24句述作の全画もあり、当号は松井今朝子作「吉原十二月」と日野啓三作「向う側」。

   門松の内輪向きなる置屋口              伊丹竹野子
   サングラスかけ向う側へ行つたきり          武井伸子

 連載評論は、岩淵氏のライフワークともいえる原石鼎研究「この世にいなかった俳人①」『手簡自叙傅』(四)のほか、田中庸介氏の「わたしの茂吉ノート二十二」『最上川の増水(その1)』、正津勉氏の「歩く入・碧梧桐」『子規膝下』、と大変充実している。
 この他、巻頭言に清水哲男氏の「下達雀からの眺め 七」『写真の目』、木佐梨乃氏の「英語版『奥の細道』を読む」第16回『尿前の関』。
 次号から十五周年に向けて、「火と灯の季語」を集める企画が発表されており、同人誌ならではの情熱とフットワークの良さが感じられる。

黒目川

2011年12月17日 土曜日

空気は冷たいが穏やかな日和。郵便局の手前の黒目川に珍しく青鷺がいた。白鷺はよく見るが青鷺は始めてだった。空気も澄むと水も澄むようだ。川の水がきれいだった。その真中あたりを橋の真上から覗くと、川底の砂利一面にゆらゆら揺らめくものがあった。まるで藻が靡いているような感じでただ揺らめいているだけなのだが、何百匹かの鮎ほどの魚である。みんな川上へ向かって殆ど同じ場所に留まっていた。

その魚の群の後ろから青鷺が近寄っていった。橋の上からそれを眺めている男性に何の魚か聞いてみると鯔の子供だと思う、と答えた。青鷺は魚の後ろから首を水面に寄せながら、鯔を狙っていたが、鯔はさり気なく鷺から離れてしまって、何時まで見ていても捕えることが出来そうもない。用事を済ませて帰りにも川を覗いたが、青鷺は同じ所で魚を狙っていた。鯔も同じ所でゆらゆらと揺らめいていた。

印刷所からゲラが届いた。広島の三原プリントさんは丁寧にこちらのミスを補ってくれて助かる。もう5年以上になるが、仕事をしてくれるのは同じ人。それも安心の条件になる。12月も半ばを過ぎた。

齋藤眞爾句集『永遠と一日』 2011年 思潮社

2011年12月17日 土曜日

平成十三年以降の句を纏めたものだという。大方の俳人が定期的に発表する場を持ちながらの作句だが齋藤氏はそうした場を持たないで一集を成している。齋藤氏の作品を一言で表現するなら「眼底の風景」である。それは以前の句集においてもそうだった。

深山より枕にかよふ鷹一つ
亡きひとと寒の土筆を摘みてゐし
世を離れ住みて身ぬちに真葛原
父母の世のやうに鳥引きをへぬ
門火焚く裏口に立つ見知らぬ子
遠き世を鏡としたり白牡丹
はじめから陸は海なり卯月波
形代も白骨もみな露のいろ
牡丹を離るる旅を終へしごと

句集には蛍、蛍袋、雁が多い。ことに蛍袋の句は韻を踏むかのように幾度も見開き頁の左端に現れる。

それ以後は螢袋の中の母
螢袋の中ならわかりあへるかも
父母未生以前原子炉の螢
螢袋いづこに涙あふれたる
狂ふまで螢袋の中にゐた

柴田南海子第三句集『松籟』 2011年 本阿弥書店

2011年12月16日 金曜日

月刊誌「太陽」は今年10周年祝賀会も済んで、活気に満ち溢れている雑誌だ。その編集長を創刊から手がけている柴田南海子氏の第三句集である。

  冬の蝶波に止まりて翔たぬなり
  一部始終火蛾の狂ひを玻瑠一重
  小鳥来る埴輪の舟に影落とし
  片袖を女雛に重ね男雛立つ

作者は俳句を作るときの一番の基本として凝視するということを底流させている。それが、作者の視点を読み手も自ずと辿ることになるのである。

  湖上より僧と褒め合ふ比良の雪
  白木蓮いま笛吹けばこぞり翔つ
  「もういいかい」だあれもいない冬夕焼
凝視に加えた対象の切り取り方、が風景を不思議さに誘う。3句目の冬夕焼けの静寂な世界は惹きこまれる。

  半月へ猛る篝火神渡し
  「おう、おう」と神へ応へや神迎
  大社まで真闇のお練小夜時雨
  風に乗る遅参の神よ神在祭
  昨夜神の集ひし浜に小貝散る

句集には出雲の神迎え神事での作品群がある。こうした句は素材としては興味をそそられながら、なかなか作品にしにくいものである。ここに柴田氏の底力が集約されたような気がした。

『子規に学ぶ・俳句365日』 2011年 週間俳句編  草思社

2011年12月16日 金曜日

表題から察しられるように子規の作品から365句を選んで若手俳人(相子智恵・上田信冶・江渡華子・神野沙希・関悦史・高柳克弘・野口る理・村田篠・山田耕司の各氏)によって鑑賞されているもの。
あまりに有名な虚子や子規は改めて句集を熟読することもなく知っているような気がしているが、季節に合わせて読んでいて、知らない句が多いなと思った。

    仏壇も火燵もあるや四畳半

改めて一日一句を読み返しながら、子規に和して毎日一句を作っていってもいいのではないだろうか。

山崎聡『シマフクロウによろしく』 2011年 紅書房

2011年12月16日 金曜日

山崎氏主宰誌「饗宴」の編集後記に書いてきたメモ風のものが100回を超えたので、一冊にまとめたとのこと。文庫本の大きさで一ページ200文字前後の文章は短いだけ、詩精神の真髄だけを語っている。それについては「詩精神」という表題になった一頁もある。

「俳句は本来機会詩ではない。しかし、機会詩たり得ることはできる。ただしそれには強烈な批評精神と強固な詩精神がなければならない。出来事の現象だけ掬い撮って俳句らしきものに仕立てても、それはただの報告であり、スローガンに過ぎない。テロにせよ拉致にせよ、そういった出来事のすべてを自分の中に取り込んで、そういう中で自分が如何に考え、如何に生きているか、それを書くのでなければ本当の詩とはいえまい。

討ち入り

2011年12月14日 水曜日

一昨日「やかまわうみ」という雑誌のことを書いたが、「うみ」を抜かした「やまかわ」は赤穂浪士の合言葉である。14日が忠臣蔵の討ち入りの日だと意識していたわけではないが、国立劇場の「元禄忠臣蔵」を観てきた。長い話だからどういう展開になるのかは見てのお楽しみである。忠臣蔵ほどエンターテイメント性のある物語はほかにないのではないだろうか。

今回の山場は二幕目の後の六代将軍になる綱豊が家臣たちが仇討を計画していることを聞き出そうとする場面。聞き出そうとする綱豊役の吉衛門と富森助右衛門こと又五郎との往復が延々と続くのだが、魅入られてしまった。この場面に侍っていたのが江島で、のちに大奥で起る「江島生島」の中心人物だとすると奥行きがでてくる。二番目の山場は磯貝十郎左衛門とおみのの恋。

忠臣蔵だけに凝ってみるのもいいなーと思う。最近『四十八人目の忠臣』諸田玲子著が出た筈。もう忠臣蔵は書き尽されていると思われていたが、まだまだ深くなりそうなのは、決して絵空事ではなく実在の人物たちだったからである。

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