以前ふとした縁で、石鼎が住んでいた麻布本村町を案内していただいたKさんにお目にかかった。初めてお会いしたのは5年以上前だっただろう。それから音信が途絶えていたが、石鼎に関わる記事を送った中の文章に「袋小路に車を止めた」という箇所が話題になった。その袋小路を確認に行ってもいいとおっしゃた。
以前とおなじように有栖川公園の入り口で待ち合わせた。広尾は外国人の多い街だ。公園入口までに何軒かのオープンカフエの中にも外国人が目についた。Kさんは大正14年生まれ。90歳にちかいのではないかと思っていたが、黄色いタートルネックのシャツの上にベージュのセーターを重ね、そこに明るい煉瓦色のブレザーを羽織っていた。何気ない取り合わせだがセンスを感じる服装だった。やはり、この地で育ったせいかもしれない。
もう麻布に住んではいないが、ご自身が懐かしそうで、いちいち確認するようにあたりを眺めていた。以前はなかった大きな建物に立ち止ったkさんは、建物から出てきた女性にここは何の建物なのか訊ねていた。それから少し歩くと、「袋小路に車を止めた」という袋小路はここだとおっしゃた。それは右に昔の本村町116番地の広大な土地、右に小学校、その真ん中を貫く道を前にして小学校へ沿って折れた道だった。
「この道まだ車で行けますよね」と本村町116番地と小学校の間を貫く道を指さした。
「いや当時は細い道だったんですよ」
Kさんがそういうので、車が入れないことを納得した。
帰りに新坂からどこをどう回ったのか新富士見坂へ出た、
「ここから富士がみえたんですよ」
とおっしゃたが今は真正面をビルが塞いでいた。
広尾駅に近いところでお茶にした。
二階へあがってテラスへとでると公園と向き合うような場所だった。そこでまた吃驚したのは
「そういえば斎藤眞爾さんの『ひばり伝』はいままでになく深いですよ」とおっしゃた。
「あの厚い本を読んだんですか。あれはたしか芸術文部大臣賞だかを貰ったんですよ」
「そうでしょう、今までの美空ひばり伝はいいことしか書いてありませんからね」
こうした高齢になるとその年齢に寄りかかってしまっている人がおおいが、Kさんは違うと思った。まず歩いている最中でも私を気遣って車が来ますよとか、ご自分が道路側にさりげなく立つ。それでも、明るいうちに家にお返ししないといけない。ここからバスで帰れるらしい。足腰を鍛える何かを実行しているわけではなく、買い物はしなくてはならないし、庭の草むしりもしなければならないとおっしゃった。