2011年5月 のアーカイブ

不信任案

2011年5月30日 月曜日

このところの国会の動きはさっぱり理解できない。どうして、この震災の騒ぎの真っただ中で内閣不信任案など出すのだろう。そんなことをしている場合ではないと思う。管総理が駄目だと言う具体的な意見をいまだ一度も聴いたことが無い。

私にはこれという支持する党派はない。管総理が一番有能だと思っているわけではない。例えば今の総理が駄目だというのなら、どうして駄目なのか、この被災をどうすれば切り抜けられるのか。あるいは、有意義な企画を総理が耳を貸さないとかいう事態があっただろうか。国の運営は一人でするものではない。復興への解決法の具体的な意見をもっともっと出せばいい。今の国会は、まるで駄々っ子が喚いているとしか思えない。

どうか、被災地の人達が一人でもはやく、避難生活から脱出できるようにしてほしい。

「ににん」編集60パーセント済

2011年5月29日 日曜日

届くべき原稿は届いて、雑誌「ににん」の編集も形になってきた。「ににん」の場合は初校までは私のパソコンのワードで行う。そのため遠方の人達にもデーターで送ってしまうので、集まらなくても初校は可能なのである。遠くは香港の会員もいる。この初校を完全にすれば、80パーセント完了と言うことになる。これからその校正依頼をメールでおくるので、現在のところは60パーセントの完了ということになる。

そのあと印刷所にやはりデーターで送る。同時にページレイアウトのしてある紙焼き稿をページ数を手書きで振って郵送しておくので、雑誌の体裁すべてはその郵送のもので確認してくれる。だからあまりあれこれやりとりすることもなくすんなり出来上がるのである。

結局小さな雑誌である「ににん」は、同人誌となっているが個人誌みたいなものなのである。すべては私が立ち上げ、私が企画したものを発行していてからである。おおかたの人は出来った雑誌を見て入ってきた会員で、これで良ければという了解のもとに集っているのである。面白い企画があればと思うのだが、これまでそうした意見は上がらないので、ますます、私の感覚だけが頼りという心細い雑誌なのである。

一番の頭痛の種は校正である。これが一番苦手なので、見てくれると手を挙げた人にはみんなに送っている。その他に定例会の後で、皆で校正をしているのである。でもでも出来上がった雑誌を開くたびに毎回校正ミスが見つかってしまうのである。

やっと届いた原稿

2011年5月28日 土曜日

巻頭作品の原稿が届かない。もう一週間も過ぎているけれど、まー、初校の直前迄は間に合うので、清水さんに五日までは待てますからと電話をすると、涼しい声で「送ったよ」とおっしゃる。
続けて「迷惑メールに入ったちゃったんじゃないの」という。そうそう、このパソコンを使い始めの頃、自分の携帯からのメールも迷惑メールのボックスに入っていた。なにを基準に迷惑に振り分けるのわからないほど、いろいろなものが迷惑メールボックスに入ってしまった。最近は一応タイトルだけは見るようにしている。まーだいたいは正しいしのである。

そうしてまた「新しく送ったから」というメールは入っていたが肝心の原稿の転載されているメールはやっぱり届かない。まえにもそんなやりとりをした。「たまに一日くらい経ってから届くのもあるから明日の朝までに届かなかったら、誰か別の人のアドレスを教えて、という。で会員のメールと私の携帯メールを送っておいた。どちらのアドレスにも結局届かなくて、昼ごろやっといつものアドレスとは違うメールが届いた。やれやれ。

「多すぎるのかなー」とつぶやくのだが、その何倍もの文字数の原稿も届いている。あの時は三枚ほどの原稿を三回に分けて試してくれた。それも携帯とPCと両方に入れて貰ったのだ。どちらもある部分の同じ箇所が届かない。私は、清水さんのPCに何かの文字、あるいは記号に対してセキュリテイが掛かるのではないかと思っているのだが・・・。

今日の感じでは私のサーバーであるソネットに一番高いセキュリテイを掛けているのではないかとおっしゃるのだ。でも携帯にも、部分的に同じデーターが届かないのは偶然だろうか。たしかに、たまに危険なものはサーバーの方でストップさせてしまって、お知らせだけが来ることがある。わかんない。

高下なおこ第二句集『虹二重』2011年・本阿弥書店

2011年5月26日 木曜日

  堂内に打ち水己が心にも
  花とべら天の鳥船待つ浜辺
  燕の子改札口を見下ろして
  急磴はそのまま天へ木の芽風
  一枚の鋼となりて鷹渡る
  たぶたぶと船底たたく秋の水

昭和14年生れの「太陽」編集長である。作者は「太陽」の創刊の広島県三原で生れている。三原は尾道に近い瀬戸内海際のおだやかな土地である。句集『二重虹』はその空気を盛り込んだ作品集で、どの一句を取り出しても広々とした空を感じる。気が付いたら、屋内の句は見当たらなかった。

務中昌巳著 『俳句セラピー』2011年・北溟社

2011年5月26日 木曜日

「太陽」主宰のエッセイ集。医学博士でもある務中氏が毎月「太陽」に発表していたエッセイ集である。文学者の視線に医学者としての視線を加えた内容は、いずれも精神衛生的なもの。それは務中氏の人生論でもあるのだろう。

「秋茄子夜話」では、癌予防の効果のあるものを挙げながら、「秋茄子は俳人に食わせろ」で終わる。ユーモアーに溢れた滋味ある中身である。読んでいくうちに肩のコリがほぐれていきそうだ。

「かだらは文化である」の中にはーーそもそもからだの「から」は「からっぽのから」、そうかんがえていくと気が楽になり、体そのものが癒されていくような気がするーーには思わず頷いている。

ときどき、自分に合う調合薬を探すように読めばいいのではないかと思う。

宇多喜代子第六句集『記憶』 2011年 角川学芸出版

2011年5月26日 木曜日

  寒卵年寄りはまた年をとる
  入口から出口の牡丹雪を見る
  お天道様が熊野大社の蛇に
  水音にどこまでも沿う裘
  八月の赤子はいつも宙を蹴る
  百歳の話にまたも山桜
  冬の雁ひととき羽を疊みけり
  おのずから定員のあり花筵
  今生の目玉をのこす雪兎
  夏ぐれの鳳凰木の下に立つ

俳句の場合、年輪とは諧謔を加えていくことのように思える。そうして諧謔とは精神のゆとりではないだろうか。『記憶』にはそれをことに認識させられるような気がした。

松永浮堂第四句集『遊水』 2011年 角川書店

2011年5月26日 木曜日

  ころがつて小さくなりぬ毛糸玉
  教壇の夢より覚めて冬ごもり
  渦避けて渦に近づく渦見船
  団栗を拾ひ集めて捨てておく
  くべ足して煙の重くなる焚火
  日の中に落ちてとどまる椿かな

昭和31年生れ・俳人協会新人賞受賞者。所属結社『浮野』創刊に参加したのが20歳ごろのようだから、純粋な落合水尾門下。一句目の(ころがつて)の省略の方法。(教壇)の生活感、(どんぐり)の周囲への機微。(くべ足して)の感覚。(日の中の)描写力。何れも写生方法が無理な言葉で力まない好句集である。

三吉みどり第一句集『花の雨』2011年・角川マーケティング

2011年5月26日 木曜日

  草餅やときどき今も兄妹
  日傘にもかかるイルカの水しぶき
  ねむたさの浜昼顔に船を待つ
  ほのぬくき子供の頭小鳥来る
  葉の裏に冬の虻ゐてまんまるに
  風が吹く冬たんぽぽのあたりかな

序文を片山由美子氏、跋を岸本尚毅氏が書いているところをみると、句座にも恵まれているのかもしれない。日常のさりげない風景が作品化されると、不思議な空間を作り出す。

関根誠子第二句集『浮力』 2011年 文学の森刊

2011年5月25日 水曜日

1947年生れ「寒雷」「炎環」「つうの会」「や」 所属
                        栞・石 寒太  池田澄子

描いているのは日常些事であるが飽きさせない句集である。拾えば切りもなく現われるが、生きている実感を形作っている。

日に三度ご飯いただく梅の花
料峭のおほきなドアに辿り着く
天国を歩く練習尾瀬青原
ときどきは眉も使ひて年用意
赤いさざんかしろいさざんか先生来
鎌倉の白菜の値も見て帰る
太郎を眠らせ産業廃棄物処理場に雪
道は道に出会ひて別れ花の雨
おほいなる花野あらはる棺の中
雲の峰掃除ロボット掃除中

中原道夫第十句集『天鼠』   2011年4月刊 沖積舎

2011年5月25日 水曜日

作者還暦記念。

火を通したるものも冷めたる夜の櫻
蔵六の腹平らなり祭來る
まくなぎの夜はかたまつて寝ぬるかな
方舟を曳いていづくに涼みゆく
ごはごはのいちじくのはのゆうまぐれ
栗蟲の出るに出られぬ事情あり
抱きかかへ屏風を運ぶ湖国かな
初髪の空を率ゐてゆく迅さ
天鼠まで鳴くは嬶ぢやのをらぬ所為
風鈴の一藝つまらなくなりぬ
茶の花や寄つてけと言ふ寄らぬと言ふ

「天鼠」とは蝙蝠のことであることを初めて認識した。そういえば鼠と蝙蝠の顔は似ている。作者はその蝙蝠の説明をしながら、蝙蝠のような位置からこの世を眺めれば、常の世が常ならぬ世に見えてくる、と帯に書き記している。

中でも「抱きかかへ屏風を運ぶ湖国かな」の一句がことに印象に残っている。省略するものはすべて省略した大津絵のような達観の絵画。それがこの一集の隅々にまで行きわたった思想に思える。

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