2015年11月 のアーカイブ

スーパー歌舞伎 ワンピース

2015年11月27日 金曜日

151127_0843~01   バックを整理したら、紙吹雪が舞い落ちた。演舞場の千秋楽の日のスーパー歌舞伎の紙吹雪だ。普通だと観ないのかもしれないが、我が家の活動的な若者夫婦の影響で、その乘りに付き合ってきた。

行く動機になったのは、曾孫が必ずチャンネルを回す「ワンピース」なる番組が、よく掴めないことも気になっていたからかもしれない。新橋演舞場は八割は若者で埋まっていた。 この「ワンピース」を演じるにあたって、市川猿之助が危ぶむ声もあるかもしれないが、そうしたものを手掛けることで、本来の歌舞伎の演出に新たな道がつくかもしれない、というようなことを語っていたのも耳に残っていた。

二幕目では、主人公のルフィこと猿之助が観客の頭の上を行き交い、イルカも行き交う。果ては石段を思いっきりの水が流れて、その石段での役者の立ち回り。観客の全部が総立ちの手拍子。これはクライマックスだと思ったが、三幕目もあった。楽屋では大忙しだったらろう。

その三幕目で思いっきりの紙吹雪が飛んで、座っている膝に積もるくらいの量だったから、バックの中に入りこんでいたのだ。ワンピースとは財宝でそれを目指して海を渡る海賊物語だ。例えば子供時代の「宝島」「大菩薩峠」「里見八犬伝」など、物語の紡ぎ方で、いくらでも語は続くのかもしれない。 今回の歌舞伎は、コミックスの51~60巻で描かれる「頂上戦争編」だそうである。

うーん、疲れた。家路の夕闇の中に柊の花が匂っていた。手に取ると紙吹雪よりも白かった。

風呂を焚く土筆の袴剥きながら   飯田正幸

2015年11月13日 金曜日

風呂を焚くという生活、土筆の袴を取るという所作、どこかの草庵の暮らしが思われる風景だ。そのことが、ごく自然な表現で言い留められていることで、作者の日常と一枚になった風景として肯えるのである。それは、(月祀るものに弓矢のひとつがひ)(思惟仏の裾より足を出す愁思)(持ち替へて一つの荷物夕薄暑)などにも感じられる。

飯田正幸句集『ひよんの笛』  2015年  本阿弥書店

落葉焚のぼるけぶりに日あたれり   本郷大地

2015年11月13日 金曜日

このごろは落葉焚きの出来るところが少なくなった。
いくら掃きよせてもそれ程大きな嵩にはならない落葉の山を燃やすのは穏やかな風の無い日を選らぶ。火をつけても、ゆっくりと燃え上がる落葉焚火は煙が先に空を目指して昇ってゆく。その煙の柱に日ざしが当たる。それが、なぜか心の平安の象徴のようである。

ほかに(散紅葉その真中より立てる幹)(寒林の人声やがてすぎにけり)(蕗の葉のそよぎおくれぬ草の中)など、作者の視線に共感する作品が並ぶ。本郷大地句集『天鼓』  2015年   文学の森

兵馬俑

2015年11月12日 木曜日

「ににん」記念号の編集のちょっとした隙を見つけて、上野へ向かった。電車の中で数か月前の鳥獣戯画展のあまりの混み様が脳裏をよぎった。兵馬俑展が混んでいるようだったら、モネ展、それも混んでいたら、動物園を巡って帰ろうと決めていた。

兵馬俑は中国で実際の博物館での広大な眺めを見たことがある。20年以上前かもしれない。西安で見たような気がしていたが、どうも西安に宿泊しながらバスで秦始皇帝陵及び兵馬俑坑にいったようだ。

中国でのそれは、発掘されたそのままを上から眺めるようになっていたが、今日の博物館では、兵馬俑と同じ地面から向き合って見られるようになっていた。実際の兵馬俑は何千体というあきれるような数、その上にその精巧さにも驚く。日本の埴輪の象徴性がとても優しく感じられた。

151112_1448~02      博物館のユリノキが黄葉していた。

郁子

2015年11月10日 火曜日

151108_1051~01   OLYMPUS DIGITAL CAMERA   15周年祝賀会が無事に終って、あらかたの写真も集まって、その送る手はずも、ににん句会のあとには目途がついた。小さな会でも大きな会でも手順は同じで、随分と手間暇がかかった。

句会に庭の郁子を持ってきてくれた方がいた。あけびは店頭でも見かけることがあるが、郁子を近々と目にすることは珍しい。葉の緑に鮮やかな紫が映えている。なんとなく一区切りついた感じの余韻に郁子の鮮やかさが印象的だ。また新たな5年間という気持ちで続けようと思う。

冬芽固し癇癪の子が道に寝て   市村栄理

2015年11月9日 月曜日

冬芽というとき、すでに寒さを感じる季語なのだが、(固し)によってまだまだ春には遠い季節も提示されている。しかし、この句はその春遠いことを述べているのではない。思い通りにならない子供の反抗する姿、それに空の中に凛と在る冬芽の存在、それが、命の躍動する光景として繰り広げられているのだ。

他に(銀杏散る皿割る音も混ざりけり)(胎動のごとき水音朝桜)(少年の手足が余り泳ぐかな)などにも、生き生きとした命が描かれている。(岩淵喜代子)   市村栄理句集『冬銀河』 2015年9月  本阿弥書店より

ににん15周年祝賀会

2015年11月2日 月曜日

OLYMPUS DIGITAL CAMERA  10月31日のハイアットー・リージェンシー新宿での祝賀会も無事に終了。5周年も同じホテルだったが、以前は俳壇全体にお声がけをしていたので、30人そこそこな会員に、その何倍もの来賓と言うバランスになってしまった。

今回は、ににん同人と購読者を基本にしたごく内輪の会にした。別に主義主張があってそういう形にしたわけではない。祝賀会をする時期になったそのときの気分が、なんとなく内輪でしたいな、と思ったわけで、日にちがちがえば多分、いつものような大きな会になったかもしれない。

だいたい私の決断事態が、いつもその時の気分と直観で行ってきていた。柔軟と言えば格好がいいのだが、そんなことでもない。ひたすら、気まぐれな選択なのであるが、15年の年月を無事に過ごしてこられたのなら、気まぐれも気まぐれではなくなるかもしれない。

そんなことを願って、これからも淡々と続けていこうと思う。

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