2010年11月 のアーカイブ

旧の喜代子の折々

2010年11月29日 月曜日

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 kaya 

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黒田杏子第五句集『日光月光』 2010年11月刊・角川学芸出版

2010年11月29日 月曜日

一読してこの一集は自身の生涯のすべてを盛り込んでいる、自叙伝のような形になっているように見える。

襟巻の師に許されし再入門
ふたりしてひとつ年とる切炬燵
母とならねば祖母とはならず涼し

こうした句が句集の中には随所に挿入されている。これはまた、後書きによっても裏づけがなされている。育った環境から安保の時代を経て、現在の結社「藍生」二十周年を迎える感慨が胸に沁みる文章だ。
全体では独特のリズムが一句の弾みを作り魅力を発揮している。

みんな過ぎふくろふの子の眼のふたつ
花惜しむ筵をのべてたそがれて
花満ちてゆく鈴の音の湧くやうに

あざ蓉子句集『天気雨』 2010年刊・角川学芸出版

2010年11月29日 月曜日

いちじくを思えば深い井戸である
人形を起していると牡丹雪
眉はまた眉を誘って盆の市
宮殿に大きな紙や雪催
屈身の前後左右に蝶生まれ

選び出したというのではないが、何処を切り取っても思わぬ着地に、思わぬ展開に驚く。それでいて、納得してしまう着地であり展開である。その面白さに何回も同じページを繰ってしまう。

春田千歳句集『鰐の眼』/『俳論・私論・空論』

2010年11月29日 月曜日

2010年刊 ふらんす堂
句集と俳論の二冊が一つの箱におさまり、真摯な姿勢を見せた作品。        

菖蒲湯に鰐の眼をして沈みゐる

題名はこの句から取られたようだ。自画像なのか、他の人なのか。水面すれすれに置かれた人の眼を鰐と喩えることで、一句は存在感をおおきくしているだろう。
俳人協会系の「未来図」と現代俳句協会系の「歯車」の振幅を生かした句作りが出来る力量を持っているように思う。

牙のごと氷柱育ててをんな老ゆ
滅ぶこと水にもありぬ蓮の骨

梟が伏字のやうな声を出す
冬の日がひよこのやうに手のひらに
去年今年兎のやうな耳垂れて

「ごとく」「やうな」の句が目立つのは、表現への意識の強さかもしれない。

遠藤若狭男句集『去来』 2010年刊・角川学芸出版

2010年11月29日 月曜日

「狩」同人の第四句集

金閣の金取りに来る金亀子
秘することありてふくらむ螢草
月の夜の徘徊せんと月夜茸
やがて顔ほてりてきたる炉辺話
ひと騒ぎして飛び立てり鵙日和
炎天に穴掘りゐしが埋め戻す

前半は対象物の背景を想像力で膨らませて提示した作品が並び、後半は理智的な視点によって描いていて変化のある句集

朝吹英和句集『夏の鏃』 2010年刊・ふらんす堂

2010年11月29日 月曜日

ダイヤルを回す記憶や夜鷹鳴く
青雲のことなどしばし暖炉燃ゆ
受付に梅雨の鯰の来てをりぬ
二の腕の記憶辿りし朧月
霜の花夢の階段磨きをり
ラビリンス靑き乳房とポピー揺る
紫陽花や白磁の皿にパスタ盛る
偶像を砕きし夏の鏃かな

第一章は音楽に造詣の深い作者の本領を発揮している集積のようである。残念ながら、その音楽に無知な筆者には、その後の作品から選ぶ句が多かった。

一句目の「ダイヤルを」の作品は指でダイヤルを回しながら、次の番号をを指が覚えているかのようにダイヤル回されてゆく夜であるが、そこから非日常へと誘われる。このように、どの作品もその背景の物語へ誘うものがある。

前撮り

2010年11月26日 金曜日

「前撮り」とはわれわれ普通の人たちには関係ない言葉と思っていたら、成人式も「前撮り」をするのだという。そんなもんなですね、最近は。それで来年成人式を迎える孫の「前撮り」に立ち会ってきた。とはいっても見に来てなどと言われたわけではない。

私が勝手に押しかけて行っただけなのである。仙台の街はどこもかしこも最後の紅葉で美しい。郊外のスタジオに入ると、孫は早速美容師に預けられて髪、そして着付けにまわる。スタジオではカメラマンが椅子の位置やら、背景の設定やら窓の光線を確かめていた。一時間かけて整った振袖姿を一時間かけてカメラに収める。それがアルバムになるらしい。

そのまま脱いでしまうのは惜しいらしくて、父親の帰りを待つことにした。娘の家で、何十年前の我が家の光景かと錯覚するような場面が繰り広げられた。その帰り道で、思わぬ災難に合いそうになった。日常の動作を迂闊にしていてはいけない。そう肝に銘じて迂闊でない動作を意識していたのに、道で転倒してしまった。

転倒は何も躓くところのない道である。それも我が家へあと数分というバス停でのこと。旅行用のカートを引きながら道を横断しようとバスのうしろから真中の分離帯まで出て車の来ないことを確認して一歩を踏み出したときだ。

踏み出した靴が何かに躓いたのだ。と言っても段差ではなく、アスファルトのざらつきにバランスを崩したのである。そのまま前へのめり込んだと思う暇もない勢いでもう一度身が反転するのを意識した。「いやだー、止って!」ということばが転倒しながら頭の中を廻った。

次の瞬間、引いていたカートを道の真中に残し、それに手を伸ばすような体制で長々と寝そべっている自分がいた。急いで車が来ないかを確かめて身を起していると、同じバスから降りた男性が「大丈夫ですか」と声を掛けてきた。

「車が来なくてよかったです」と挨拶したが冷や汗ものの出来事だった。一瞬のことでどこがどうなったのか分からないのだが、不思議なことに何処もかすり傷も打ち身もない。回転レシーブをしたような働きで、衝撃を分散させた転倒のようだった。仙台の娘一家には報告もしていないが。

同人誌か個人誌か 2

2010年11月20日 土曜日

雑誌を運営していくということは、ものすごい時間を取られ、しかもストレスも抱えることになる。季刊でもそうなのだから、結社を運営している主宰は忙しいだろうなーと思いやってしまう。身近な結社の主宰動向をみると、ほとんど毎日どこかの句会に出ていたりして、それはあきれるほどのエネルギーを使っているように見える。創作活動はいつやるのだろう。

とまれ、人のことはどうでもいい。私自身、こうした雑誌をこれまで作ってきたことはとりあえず自分の発表の場であり、この場があるために書きすすめてこられたのは確かなことだ。それに雑誌を創るということも嫌いではないのだ。それなのに、このごろこの雑誌を作っていくことに、少しかったるさを感じてきている。同時にこんなことに時間を費やしていていいのだろうか、という躊躇いが生れている。多分それは年齢のせいだろう。以前と同じ速さで仕事が進まないからだ。

いっそのこと、雑誌作りをやめて残り少ない時間をもう少し書くことに専念させたほうがいいのでは、と思う時がある。思案のしどころに来ているのだ。今回外に編集をお願いしたことによって、なにか新たな方向が見つかるといい。同人誌とはいいながら、やはり個人誌的な部分が大きい雑誌であることを実感する。

同人誌か個人誌か

2010年11月19日 金曜日

「ににん」という雑誌をどう捉えるか。難しいところだ。本来同人誌とは、そのことば通りに、すべての参加している人が同等の立場で運営されていくもの、ということになる。そうして、企画もまた、そうした同人の意見を纏めて紙面が満たされいくものという図式だ。

しかし、「ににん」の場合は0号という創刊号を二人で出発させた。こんな企画でこんな運営でいきますから、賛同したら参加してください、という方式だった。表紙一つをとっても創刊時の想いがかかっていて、参加する俳句と文章の方向も決まっていた。書きたいものが書きたいだけ、とは言ってもおのずと方向がある。

その方向は、文章については評論を主とする。随想のたぐいは出したいだけ出すというわけにはいかない。それをしたらつづり方教室のようにもなりかねないからである。それと、俳句の特別作品は「物語を詠む」という企画内なら、いくら出してもいいことにしてある。その「物語を詠む」と評論の連載をする人たちも、使用するページの印刷負担は会費と別途に納入して貰っている。

費用を公平にすることによって、誰もが気兼ねなく書きたいものを書き続け、俳句を発表し続けることができると思っている。今後もこの方針は変へようとは思わない。結社では出来ないことと言えば、それは書きたいものを遠慮なく発表出来る場なのである。

書く場があるということも自分を後押しすることになる。それを深く受け止めて、評論に俳句に格闘していく人の集まりでいきたい。

ににん10周年特集号

2010年11月18日 木曜日

「ににん」41号の記念号の編集はこれまでもやもやとしていたページレイアウトを解消しするために、プロの編集者にお願いした。とはいっても、私の仕事が減るわけではない。原稿をまとめ、こない原稿の催促などなかなか捗らない。

今回一番の難門は表紙絵である。「ににん」の場合雑誌発行費を抑えるために最初から色紙を選び、そこにペン画風のモノトーンの絵を置いていた。それが結構華やかさも出して気に入っていた。ただそのペン画が思うように手に入らないのが悩みであった。しかも、途中からその気に入っていた色紙の会社がなくなってしまったのである。

それで、色を掛けながら同じ様式を踏襲してきていたが、10年特集号は創刊号の表紙を使おうかなと思っていた。その表紙を使うことが、「ににん」の表紙は街の風景のペン画にするという図式を決定させたからである。そんな矢先に、その創刊号の表紙絵を描いたW君に東京の画廊で出会ったのだ。8年ぶりくらいになる。

「新たに書きましょうか」と言ってくれた。やはり、モノトーンで色紙に置く方法を踏襲していけると思った。だがそのとき「裏表紙へまわるように書いてもいいのでは」と言ったので、それもいいかなーと期待していた。だが、どうもモノトーンの絵は全体を覆ってしまっては表紙に黒い網をかけたような重さを出してしまって期待外れになった。

印刷所でいろいろ試行を繰り返して貰ったが、その網目のような重さは抜けられない。結局今日は別の絵で見本を作りなおして貰うことを印刷所に依頼した。運よくW君の別の絵が手元にあったのだ。それも創刊号の絵と同様に、美大の大学院生時代のフランスからの絵ハガキのつもりで送られてきたものだ。

線描の風景に水彩絵の具で淡く色が掛けられているもの。今回は白い紙に置いてその色彩を生かそうと思う。W君にお詫びと了解を得なければ・・・」

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