2012年6月 のアーカイブ

「ににん」47号

2012年6月23日 土曜日

再校正も済んだ。発送の袋にラベルも張り終えた。あとは、雑誌の出来上がりを待つだけになった。校正というのは目を通したつもりなのに次々見つかるものなのである。いちばんの盲点は表紙や目次である。今回もあやふく大きなミスをするところだった。こんなに大勢の人が見ていても、気がつかないものなのである。やはり、校正分野の担当を決めておいたほうがいいのかもしれない。編集後記などの頁も含めてマニアルが必要である。

印刷屋さんのほうで見付けてくれた。表紙に入れた見出しの新連載のタイトルを「鬼貫の独ごと」とするべきところを「鬼貫の独ごつ」となっていた。表紙なんて文字数にすれば中身の文章の十分の一もないのに見落としてしまうのは、一文字づつ目で確認をしていないのかもしれない。わたしなどは最初から「独ごつ」だと思いこんでいた。怖ろしいことである。

先日、角川のパーテイでお目に掛かった方が「ににんの印刷費は安いね」とおっしゃる。年末の会計報告を見たのだろう。「だって450部しか刷っていないから」と言うと、「おおかたの結社がそんなものですよ」というのだった。たしかに、5周年を過ぎたあたりで印刷所を探してやっと辿り着いたのがいまの「三原ブリント」である。一重に価格で選んだ。しかし、それからずっと担当者が同じ。気がつかない間違いを見つけてくれる。仕上がり日の滞りもない。ありがたいことである。

『春月』2012年7月号・主宰戸恒東人

2012年6月22日 金曜日

現代俳句の風景  筆者 戸恒東人

神棚は板一枚や法師蝉 岩淵喜代子
下萌えや雀の奪ふ象の餌   同

 岩淵喜代子弟五句集『自雁』(はくがん)より。三〇八句を収録。岩淵氏は昭和十一年東京生まれ。同人誌「ににん」代表、朝霞市往往。総じて独特の見立ての句が揃っていて、写生には違い句が多かった。その中でも掲出句は、写生も効いており、ペーソスもあって鑑賞に堪える作品だと思う。板子一枚下は地獄という漁師の言葉があるが、神棚も板一枚しかなくて、お寒い限りだという一句目。図体の大きな象の餌を狙って、小さな雀たちが集まってきて、餌を啄んでいる面白さがよく出ている二句目。
 若い頃は、厳しい師匠がいて、観察と写生をしないと駄目だと指導されるが、そのうち年を取ってくると、師も居なくなり、また観察するのにも疲れて、心象句や時事俳句、地名俳句に逃れたくなるのだろうかと、私自身自問しているところがある。そんなことを少し考えさせられた句集であった。

台風一過

2012年6月20日 水曜日

 台風も収まった。今日は一カ月ほど前からの予約だった脳のMRI検査を受ける日。徒歩15分程の病院へゆく道中で、桜の枝が折れているのや、玉蜀黍畑が傾いたようにみんな倒れているのを目にした。

 実は、一ヶ月ほど前の早朝、突然耳元で救急車が止って吃驚して飛び起きてしまった。それから、窓の外を覗こうとする間もなく眩暈が始まった。これは大変とばかりにその場で身を横にして沈静するのを待った。15分くらいで眩暈も収まったように思えた。

 しかし、その日歯科の治療をうけているうちにまた眩暈が始まってしまったのだ。この頃の歯科の椅子はやたらと後ろへ倒れるのだ。体より頭が下がっているのではないかと思うくらいまで倒しては、また起される。この動作は三半規管に異常のある者にとっては辛いのである。待合室に戻る私の様子を目にした医師が「だいじょうぶですか」と言った。

 そのあと、折よく並んでいた隣の総合病院に飛び込んでしまった。そこの担当医はせっかちな医者で、朝からの経緯を全部話さないうちに、やおら立ち上がって人の肩を押しながら、こんなに肩が凝っていたら血のめぐりも悪くなる、というのだった。たしかに肩凝りに悩まされている。

「頭も痛いでしょ」
「いや、今は痛くないですが……」
「パソコンなんて長時間やっては駄目ですよ」

 私がパソコンを使うなどとも言わないのに勝手にパソコンを使う人種として認知してしまっていた。、早口でいろいろな注意事項やら肩凝り体操のやりかたの書かれたものを手渡しながら、とりあえずCTを撮りましょうと言った。で、一応脳の写真と頚椎の写真を見せられた。歳相応だということで、薬は血の循環を促すものをくれた。そうして今日のMRIの脳検査なのだ。

 MRIとはすぐれものだ。三Dという言葉をよく耳にするのだが、画面に映る血管写真などはまさにそれだ。わが頭の中の血管だけが闇に浮かび上がる。医師はマウスをカチカチさせながらいろいろな脳内写真を見せてくれた。血管も正常だし、隠れ脳梗塞もないということになった。診察室を出ながら、ふとこの写真で認知症やアルツフアイマーは分かるのかどうか聞けばよかったと思った。何しろ、忘れっぽい。

『山彦』2012年7・8月号 主宰河村正浩   

2012年6月18日 月曜日

愛贈誌紹介     筆者 河村正浩

○句集「白雁」(角川書店刊)  岩淵喜代子(「ににん」代表)の第五句集。
  
  今生の螢は声を持たざりし
  風呂吹を風の色ともおもひをり
  尾があれば尾も揺れをらむ半仙戯
  もの種の指にざらざら孫生まれ
  幻をかたちにすれば白魚に

 自由奔放に俳句を満喫している。それにしても沈潜としたこの抒情には不思議な感覚を覚える。それは洞察力の素晴しさでもあるが、季語が象徴的に扱われているだけに、読者にはそれらの何かを探り出すという愉しみがある。

  蟻地獄どこかで子供泣いてゐる
  天へ地へ道はつづきぬ葛の花
  山茶花や柩に釘を打だなくても
  鉄鍋の中の暗闇義士祭
  春の闇鬼は手の鳴るはうに来る

 切れの効果故か、その沈潜とした気息は平明ながら深みを帯びてくる。

  万の鳥帰り一羽の白雁も

 句集名となった句。万の鳥の中の一羽、それを詠む作者もまた一人。
  「あとがき」で。”書くことは「生きざま」を書き残すことだと錯覚してしまいそうですが、等身大の自分の後追いをしても仕方がありません。句集作りは、今の自分を抜け出すための手段のような気もしてきました”と。そして、”自分を変へる旅をしたいと切に思っています。言い換えれば「憧れ」を追う旅とも言えます”と。新しい旅立ちは始まる。

俳誌『十七音樹』24号  代表平沢陽子

2012年6月18日 月曜日

鑑賞 ――現代俳句月評     筆者 長井 寛

地獄とは柘榴の中のやうなもの  (俳句11月号より)  岩淵喜代子

あまたある地獄絵のなかでも丸木美術館の丸木俊・ひさ子夫妻が描いた絵は一際印象深い。原爆投下直後のその惨憺たるはさながら阿鼻叫喚の地獄絵の如、一度見た人の脳裏を離れない。火炙りになって逃げ惑う人の群れはあたかも熟れきった「柘榴の中のやうなもの」であると詠み放射能漏れの大惨事に強い警告を発している。

20年振りの出会い

2012年6月17日 日曜日

昨日15日は蛇笏賞の授賞式。帰りに久しぶりに慈庵に寄ると、関西のI氏がウデモンを送るからということになり、7月初めの再会を約して帰宅。今日もまた夜からの祝賀会があった。神奈川県藤沢の「季」の20周年祝賀会、そうして主宰藤沢紗智子さんの第一句集出版祝。

藤沢さんとは「鹿火屋」に連なっていたご縁だが、地域が離れていたために日常の吟行などにご一緒したことはなかった。この20年ほどの年月に数回の電話での声の交歓があっただけだったが、月刊誌「季」を頂いていたので身近な人のような気がしていた。ところで、この雑誌名「季」は創刊者北沢瑞史さんの命名、その謂れは鹿火屋主宰の提唱する「季の思想」から得た雑誌名ではないかと、勝手に思っていたがお尋ねするのを忘れてしまった。

「鹿火屋」主宰原裕は石鼎とほぼ同じ65歳くらいで亡くなったが、北沢瑞史さんが亡くなったのは60歳くらいだったと思う。だが、北沢さんと藤沢さんと共に鹿火屋を抜けた脇祥一さんは50代で亡くなったのではなかったろうか。まだみんな「鹿火屋」で学んでいたころ、同世代の活躍の期待できる俳人がたくさん居たのだが、今それぞれが散ってしまってどうしているのかわからない。分っている筆頭が藤沢さんということになる。なんだか月日の推移をしみじみ感じてしまい、帰りの湘南ラインの座席の空いているのがありがたかった。

ドナルド・キーン

2012年6月12日 火曜日

minazuki 六月八日は山の上ホテルで「件の会」の水無月賞受賞パーテイ。今年は『ドナルド・キーン著作集第一巻 日本の文学』(新潮社)に与えられた。まだその本は読んでいないが、当日配布された雑誌「件」にキーン氏の受賞のことばが掲載されていた。そのなかに、俳人でないわたしが賞を貰ってもいいものなのかとも思った。もし資格があるとすれば60数年前から「奥の細道」の英訳を四回も発表して来たことでしょうか、とある。今年92歳。

 ところで、「ににん」の表二には毎回木佐梨乃さんの「英文で読む奥の細道」が連載されている。しかも、キーン氏の英訳本を使用している。「ににん」は創刊当初から「奥の細道」を翻訳から読み説く連載をしているので10年続いたことになる。初期は相羽宏紀氏だった。相羽氏が病没して中断せざるを得ないと思っていたときに木佐梨乃さんが現れたのだ。10周年祝賀会の折に、執筆者がまだ30代の女性であることに驚いた人もいた。なんだ、「奥の細道」か、と思いながら読み始めた人も瞠目する内容である。「ににん」 46号の文章は尾花沢。以下に転載しておく。

Making the coolness / My abode, here I lie / Completely at ease.
 涼しさを我が宿にしてねまる也

「ねまる」と云うと、何も考えずに解釈するなら「寝る」というような意味で、「旧暦7月の暑い中、涼しい住居で、とてもリラックスして眠ってたんだろうなあ」と思ってしまうが、どうやらこの「ねまる」とは、岩手や秋田などの方言で「座って休む」という意味らしい。「粘る」や「眠る」から転訛した言葉だろう。場所によっては「みんなでくつろぎながら、わいわいと食べたり飲んだり談笑する」というニュアンスもあるらしい。いずれにせよ、震災以来、東北のことがクローズアップされる機会が多くなり、そういうこともなければ、わたしも「ねまる」の持つニュアンスを知らないでいただろう。

 さて、キーンの英訳だが、「here I lie」とある。「わたしは横たわる」である。つまり、寝そべっている情景で訳したのか……。と思ったら、その直後に「at ease」とあるではないか。危うく、「キーンも東北の方言を知らずに、寝ているという翻訳にしたのか」と思ってしまうところだったが、これなら「楽にくつろいでいる」という意味となる。この句、原文も英訳版も、なんと油断できないものであろうか。しかし……なんともうまい訳かもしれない。「くつろいでいる」という意味なら、他にも「I am relaxed」という表現だって使えたはずだ。だが「lie at ease」という、そのままなら「横たわる」という意味となる語句を盛り込むが、ニュアンスは「楽にする」となる、という憎い演出。あるいは、どっちに転んでもいいように訳したのであろうか。英語でのリズムも、なんとなく五七五っぽく三段に分ける効果も、こちらの表現なら可能だったろう。

 正直、この尾花沢の章にはあまり興味がなかった。旅の情けを知ってる長者さんがもてなしてくれて、その御礼に賛辞をこめた挨拶句を残した、という以上の主旨はないと考えていたからだ。だがキーンの英訳版と照らし合わせることで、なにやら俄然おもしろ味を帯びて来た。「ねまる」の方言的意味を知らないままだったら、「この章、あまり言及したい要素もないし、どうしようか……」と迷ったままだったかもしれない。
 ところで、このコラムの主旨からはちと外れる話題ではあるが、この章には儒教の影響も見て取れる、と思う。村田清風は、紅花の流通や金貸し等を生業としている人で、儒教的にはそういう人種は卑しいことになる。実際には生産する人の他に、こういった流通や金融をまかなう人もいなければ、生産も無駄になり経済は活性化しない。社会においては実に重要な「血流的ポジション」を担当しているので、「(商売で)富めるもの」=「いやしい」は儒教的偏見だと考えている。同じく金持ちに世話になった石巻と、この尾花沢の扱いの落差は、少し興味深い。石巻は、あまりに都会で、詩情にふさわしくなかったのかもしれない。

よはこともなし

2012年6月7日 木曜日

5月21日の金環食は見たのだが、その後の6月4日の月蝕も6日の見ることなく過ぎてしまった。その最中の「ににん」47号の編集も無事完了して今日印刷所に入った。このごろ締め切りに届かない原稿にやきもきしない。してもしなくても集まるものは集まるし集まらないものは集まらない。夕べは「読む会」の河東碧梧桐に参加して深夜の帰宅。それから最後の一人の原稿の校正をして筆者に送って一日から解放された。おかげで、もう、お風呂に入る気力もないまま就寝した。

昨日の「読む会」のテキストは岩波文庫で昨年10月に出版された『碧梧桐俳句集』を使用。この本が出ることは加藤郁乎賞受賞式に参加したときに聞いていた。岩波の編集者自身が「二千句くらいの句集を計画していますのでよろしく」と挨拶していた。同じテーブルの奥坂まやさんと「文庫版はいいわねー」と頷き合った。あれから2年くらい経っている。文庫本は手近かに持ち歩いて読めるという利点はある。

この本が出ていれば「ににん」の碧梧桐を語る座談会も共通のテキストにしたかもしれない。碧梧桐の作品は時代によって全く変ってしまうので、碧梧桐の何の焦点をあてるかを決めないと選びにくい。こんなに作品の読み方が変遷した作家はいないだろう。そういう意味では虚子とは正反対である。もっとも指導者が碧梧桐だったら弟子はついていけないで右往左往してしまうだろう。虚子の主張が俳句界の中枢を成した理由の最大の原因はここにある。

石鼎が頭角を現した大正の初めには碧梧桐はすでに破調の句作りに移っていたので、碧梧桐と顔を合わしたことはなく、眼中にもなかったかもしれない。碧梧桐は旅を続けながらの作句だったが、

新聞を買ふ宿に桑の捨値を聞く

などという句を作っていたのはジャーナリストだったからだ。旅をしながら放哉や山頭火のように隠者的な句はなく、軽やかかな明るい空気が漂っている。

公園に休み日南の犬の芒枯れ
ミモーザを活けて一日留守にしたベットの白く
窓の高さのすくすくとしてゐる冬木

森田智子句集第四句集『定景』  2012年 邑書林

2012年6月1日 金曜日

昭和13年生、「樫」代表。

深吉野の春いせいに米を研ぐ
腹帯を授かりしあと象を見に
石臼を回しておれば蓮枯れる
鴨鍋にむかってきたる巨き船
木枯しの吹いて赤子に歯が二本
命日というが加わり初暦
宿題の無くて西瓜を切ってくる
春の雲付箋一枚ついてくる
長月の等身大のポスト立つ

 すみずみまで俳味を醸し出している一集である。俳味は例えば「深吉野の」のように何気ない日常の切り取り方に。また「腹帯を」「鴨鍋」のような取り合わせの意外性に。さらに、一筆書きのような鮮明な映像となる「石臼を」「長月の」のような句。就中「春の雲付箋一枚ついてくる」には上記の要素のすべてがある。

金子敦第四句集『乗船券』 2012年 ふらんす堂

2012年6月1日 金曜日

1959年生れ。結社「出航」所属。

 一集は、きわめて透明な世界が掬い取られている。というよりは金子氏が掬い取る風景は透明になる、と言ったほうが正確である。平明なことばで紡がれている作品群は、明るい淡彩画を想わせる心地よい風景である。それは作者の現在身を置いている環境への賛辞でもあるのではないかと思った。

囀りやくるりくるりと試し書き
すぐそこに春の海見ゆオムライス
少しづつ粘土が象になる日永
待たされてたんぽぽの絮吹いてをり
月の舟の乗船券を渡さるる
仏壇に白桃ひとつ灯りけり
月光がピアノの蓋を開けたがる
それはもう大きな栗のモンブラン

次の四句は句集巻末に近いあたりの見開きの四句。いずれもが喧騒が静寂に反転したあたりの空気を捉えている。このあたりに金子氏の透明になる視点の秘密がありそうである。

冬ざれやペットボトルの凹凸も
ガードレールに凭れてゐたる焼薯屋
影踏みの子のゐなくなる返り花
とほき日のさらに遠くに冬夕焼

トップページ

ににんブログメニュー

HTML convert time: 0.838 sec. Powered by WordPress ME