2016年4月 のアーカイブ

野遊びや日向のつづ<ところまで    岩淵喜代子

2016年4月30日 土曜日

『山繭』5月号 主宰・宮田正和

ーー現代俳句鑑賞ーー 筆者・佐々木経子

俳句四季二月号「巻頭句」より。春は野や山に明るさが溢れ、木々が芽吹き、鳥が鳴く。 まさに万物が動き始めるのだ。人々も屋外で楽しく遊び一日を過ごす。

ただこの句は、人の姿を直接詠まないで、「日向のつづくところまで」と把握した所に心惹かれる思いがした。きっと一日中太陽を浴び、日を追いかけながら開放感に浸ったに違いない。

「天為」主宰・有馬明人 2016年5月号より

2016年4月30日 土曜日

「天為」主宰・有馬明人 2016年5月号

ーー新刊見聞録ーー  筆者・嶋村耕平

岩淵喜代子「一冊の「鹿火屋」―原石鼎の憧憬』 「ににん」代表による第二評論書、二〇一五年俳人協会評論賞受賞作品。二〇一四年一一月、邑書林刊。

本著は〇九年の『評伝 頂上の石鼎』に続く第二弾で、ホトトギスの代表作家でありその生涯に謎の多い石鼎の生涯を丁寧につづっている。本作は石鼎に関するトリビア的な話題から掘り下げていくため、ある程度石鼎に関する前提知識あるいは前作を読んでおく必要がある。

前作「頂上の」では、出雲に生まれホトトギスに華々しくデビユーした吉野時代、あまり知られていない東京時代、晩年ヘ至るまでを時系列で紹介し、島根、国栖、乃木坂、広尾、二宮と石鼎ゆかりの地を岩淵氏と鹿火屋同人が訪ねてゆく。

評論とは異なり、読者も岩淵氏と共に旅をしている錯覚に陥り、時折見せる主観的なコメントがその気にさせる。文中で指摘されているが、俳人の多くが「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」に代表される吉野時代の石鼎を知っている。

それはホトトギス誌上で虚子から激賞を受けたが故であるし、多くの石鼎作品として記憶されているのはこの「頂上や」の周辺の句であろう。石鼎の辞世の句などよっぽど詳しくなければ知らないのではないか。 この観点でその後の東京時代や疎開先の二官での晩年の記述、鹿火屋創刊と虚子との仲、コウ子夫人の献身はどれ一つとっても非常に興味深いエピソードがつづられている。

本作「二冊の」は前作で残されたフラグを回収している。特に二宮時代に発行された石鼎のためだけに印刷された鹿火屋が本著のタイトルである二冊目の鹿火屋である。   これは、同人や会員向けと主宰石鼎に向けてそれぞれ印刷したものという意味である。

当時の編集部の判断で、精神的に不安定であった石 鼎によってかかれた消息などを幻の鹿火屋に、雑詠や巻頭句などはどちらの鹿火屋にも掲載している。本著の中段では貴重な二冊目の鹿火屋のコピーが載せられており一見の価値がある。

初午や刃物を研げば空映り    岩淵喜代子

2016年4月29日 金曜日

大高霧海主宰「風の道」5月号より

ーー現代俳句月評ーー 筆者・佐藤一星

「俳句四季」三月号掲載作品。二月の最初の午の日が初午で稲荷社では午祭りが行われる。この起源は京都の伏見稲荷大社の創立記念日とのことで、和銅四年(711年)からというから古い習わしである。

五穀豊穣、家内安全、商売繁盛と広く願い、稲荷寿司や油揚げ、米などを奉納する。稲荷神社の稲荷は、稲生り(いねなり)からの言葉で、初午の日は農作業の始まる日と言われる。

掲句の「刃物」は、農具の刃であろろう。丁寧に研ぎ上げた刃に、二月の澄んだ青空と白い浮雲も映っている。辺りの空気は清列でまだ冷たい。怜悧という語が頭に浮かび緊張感の漂う作品である。

接骨木の花はじめからぼんやりと   岩淵喜代子    

2016年4月22日 金曜日

「松の花」5月号 主宰・松尾隆信

現代俳句管見(二〇七)

総合俳誌より筆者・平田雄公子

「接骨本の花」は地味だが、円錐花序に小さな白い花が無数に付く。その「花」の有様は、曰く有り気ではある が、捉えどころが無い。この場合の「はじめからぼんや り」は、巧まずして愛敬なのかも。

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『郭公』・主宰井上康明  2016年5月号
ーー俳壇今の今ーー  筆者・若林蕗生

(俳句四季3月号)より   「巻頭三句」より。接骨木は山野に自生する落葉低木である。 接骨木と書くのは、本を煎じて骨折や打撲の箇所を温めると効 有りと言われるからとのこと。

春に淡い黄色の小花を密集して 咲かせる。庭木にも仕立てる事もあるが、特段美しいという程 ではない。しかし、淡淡とした花の姿が見るものの心を和ませ るようだ。

この句は「はじめからばんやりと」の表現が、正に 接骨木の花であることを思わせる。表現の妙と言えるかも知れ ない。作者が接骨木の花にいつも思いを寄せているのであろう。

金毘羅歌舞伎

2016年4月20日 水曜日

160412_1457~01一度観たいと思っていた金毘羅歌舞伎を観るチャンスを得た。
以前ツアーでその歌舞伎を行う金丸座を見学したことはあったので、想像はしていたが、なんと一人分の桟敷が小座布団一つ分だから、窮屈このうえなかった。しかし、大舞台とは違うのは、役者の空気と観客席の空気が一つになってしまうことだ。

絵島生島の芝居通いもこんなちいさな芝居小屋だったのだろう。小さくても花道もあり奈落もある。その奈落の部分は以前のツアーで見学しておいた。

出し物『あんまと泥棒』は半年くらい前にも同じ中車のあんま役で観たことはあるのだが、なぜかまるで印象が違う。舞台が低いせいもあって、役者の空気がこちらと同化するようだ。他に中村扇雀の「鷺娘」、それと「封印切」。

地震があったのは、四国の旅を終えて、旅の荷物を開いているときだった。あれからずっと揺れている。それだけではない。旅の疲れが大風邪となって、地震が関東にもあるかのように体がずっとゆらゆらしている。

花筏

2016年4月8日 金曜日

160407_1550~01 昨日は一日雨。そのおかげで、花の盛りは完全に通り過ぎてしまったが、雨の中の落花を思う存分堪能することができた。

花筏なら花びらの塊になったものが、水の中に浮かんでいるのをいうのだが、花筏の終着点のように花びらが湾を模っていた。なんとなくその湾を縁取る真下の水の暗さが気になった。160408_1412~02

160408_1416~01平林寺の厨から流れてくる水に、そうして禅寺の隅から隅まで、花びらの届いていない場所はなかった。今日は花祭、本堂の花見堂の脇には甘茶が用意されていた。

『鷹』・主宰小川軽舟  2016年4月号

2016年4月7日 木曜日

俳壇の諸作  筆者・大西 朋

三角は涼しき鶴の折りはじめ 岩淵喜代子

「ににん」冬号より。この句の後に詩の抜粋がある。

青/の三角/の髭/の/ガラス
白/の三角/の馬/の/パラソル
黒/の三角/の烟/ の/ビルディング
黄/の三角/の星/の/ ハンカチィフ

北園克衛詩集『煙の直線』「単調な空間」の一部から。俳句を作る時、季語は勿論のこと、題などからも発想を得ているのだが、詩から季題を感じとるという試みは私には新鮮であった。
三角という言葉やガラス、パラソル、ビルディング、色の様々。 これを作者は涼しいうう季語に乗せて形作ったのだ。なるほど三角は鶴の折始めである。四角から三角、そして複雑な折鶴へ。鶴を折る作者の指先と美しい紙の色も涼しく見えてくる。

発掘の石に番号鳥の恋    菅 美緒

2016年4月7日 木曜日

菅美緒第三句集『左京』2016年 ふらんす堂

即物的な描写で発掘の石に番号の振られてゆく光景が展開されている。
日常のようでいて日常とは少し違う空間。発掘の石同様に、そこにある鳥の恋も太古から続いているのである。(菅 美緒第三句集『左京』2016年 ふらんす堂)他に、(炎昼の牛舎に牛の目があまた)(引き抜きし根ぞたのもしき薺摘み)(日脚伸ぶ甍に糸屑ほどの魚)など。

『波』2016年4月号

2016年4月6日 水曜日

 

『受贈誌展望』  筆者 長野保代

『ににん』2016年冬号通巻61号。代表・岩淵喜代子
平成一二年秋、埼玉県朝霞市で岩淵喜代子創刊。「同人誌の気概」ということを追求していきたい。(季刊)四五〇部発行。創刊一五周年記念の祝賀会・俳句大会の大特集号である。
代表は「創刊十五周年に寄せて『ににん』のベージは自分と向き合う場」と記している。「五周年は一ににん」の会員は「同人誌とは」というテーマで書いています。十周年でも同人誌のありかたについての寄稿が巻頭を占めている。「ににん」に参加する在り様を認識しながら自分の発揮したいことを誌上に出し発行し、今後も『ににん』は散文・評論、俳句の発表に付いての制限なし、書きたい人が書く、書く場がある
ことが自分と向き合う場、今年度は特に俳句の試みに焦点を当てたい。二十周年にはその「試みの俳句」で編まれること夢見ています」と岩淵喜代予代表は述べている。

『ににん』十五周年記念句会  兼題  「百」
一位 百年の柱磨きて菊の酒        谷原恵理子
二位 百年を生きるつもりの秋刀魚焼く   浜岡 紀子
三位 百歳のはじめは赤子草いきれ     岩淵喜代子

齋藤愼爾特選
百代の巡請鍚菊の香少し帯び        高橋寛治
露葎百千万の光得て            鈴木不意

岩淵喜代子特選
思い出す百年前の夕涼み         田中庸介

川村研治特選
百本の菊お日様に万歳す        小笠原高志

ににん創刊十五周年企画「俳句と詩と」
三角は涼しき鶴の折りはじめ      岩淵喜代子

評論も読み応え十分な誌。今後のご発展をお祈り申し上げます。

『貂』代表・星野恒彦 2016年4月号

2016年4月5日 火曜日

画と俳句   筆者・星野恒彦

先頃『藤が丘から』と題する大版の本を贈られた。墨彩画と俳句から成り、著者は山内美代子。「紹」の初期に在籍していたが、墨絵に打ちこんでいる人の印象が強かった。
「墨絵を始めて間もない頃、季節感を忘れないようにと師より一言があった」ので、俳句にも手をそめたいきさつを「あとがき」に記している。添えられたエッセイに、興味深い一節があり、以下に再録する。

先日、画家。中川一政の随筆集『画にもかけない』を読んでいたら次のような文章があった。

「けさ新聞の俳句欄をみていたら
ストーヴの真赤な焔精神科

と云う句が目についた。このストーヴの火は原色の赤である。而もこの原色の赤がきいている。画でこれ程鮮明な生かし方が出来たら練達の士というべきだろう。
俳人達は勉強していて、句をつくっているつもりで画かきよりも写生をしている。

他所者は去りゆく焚火おとろへて
 差しのべし火にのけぞりて毛虫落つ   (中略)
これらは文字で画を書いているのだ。こういう観察眼があれば絵は描けると思う。(後略)」

画家の眼の鋭さに感心した。俳句という文字で描いた 画は、何枚も現実の画となってこの画家の眼には見える のではなかろうか。彼の眼力には到底およばないが、同 じような眼で句を見直してみた。しかも赤い色のおよぼ す効果を意識したと思われる句が数多く見うけられた。

ドラム缶真赤五月の岩壁に      新渡戸流木
喰べる苺よりも真赤に蛇苺      瀧  春一
舞初のまなじりの朱に灯りたる    田村 稲青
風車赤し五重塔赤し         川端 茅舎
新涼に雲丹の丹を塗る朝御飯     川崎 展宏
軒下に古釘ちれり赤とんぼ      星野 恒彦
滲みでてくる鶏頭の中の闇      岩淵喜代子

赤い色のさわやかさ。暗さ。明るさ。強さ。変化に富 んだこの色の奥行の深さをこれからも探ってみたい。

石楠花の蕾をごにょごにょとした線で描きたい弟子に、 即座に線描によるデフォルメで応じた墨絵の先生は、「中 気になったつもりで線を描いてみよ」とアドバイスしたそ うだ。それを「惚けたつもりで作句してみよ」と私は読み 替えてハットした。山内さんの絵てがみの豊かで伸びやか な滋味を愉しみつつ、まことに画と俳句はシスターアーツ で、たゆまぬ工夫と努力が必要なのだと痛感した。

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