『山繭』5月号 主宰・宮田正和
ーー現代俳句鑑賞ーー 筆者・佐々木経子
俳句四季二月号「巻頭句」より。春は野や山に明るさが溢れ、木々が芽吹き、鳥が鳴く。 まさに万物が動き始めるのだ。人々も屋外で楽しく遊び一日を過ごす。
ただこの句は、人の姿を直接詠まないで、「日向のつづくところまで」と把握した所に心惹かれる思いがした。きっと一日中太陽を浴び、日を追いかけながら開放感に浸ったに違いない。
『山繭』5月号 主宰・宮田正和
ーー現代俳句鑑賞ーー 筆者・佐々木経子
俳句四季二月号「巻頭句」より。春は野や山に明るさが溢れ、木々が芽吹き、鳥が鳴く。 まさに万物が動き始めるのだ。人々も屋外で楽しく遊び一日を過ごす。
ただこの句は、人の姿を直接詠まないで、「日向のつづくところまで」と把握した所に心惹かれる思いがした。きっと一日中太陽を浴び、日を追いかけながら開放感に浸ったに違いない。
「天為」主宰・有馬明人 2016年5月号
ーー新刊見聞録ーー 筆者・嶋村耕平
岩淵喜代子「一冊の「鹿火屋」―原石鼎の憧憬』 「ににん」代表による第二評論書、二〇一五年俳人協会評論賞受賞作品。二〇一四年一一月、邑書林刊。
本著は〇九年の『評伝 頂上の石鼎』に続く第二弾で、ホトトギスの代表作家でありその生涯に謎の多い石鼎の生涯を丁寧につづっている。本作は石鼎に関するトリビア的な話題から掘り下げていくため、ある程度石鼎に関する前提知識あるいは前作を読んでおく必要がある。
前作「頂上の」では、出雲に生まれホトトギスに華々しくデビユーした吉野時代、あまり知られていない東京時代、晩年ヘ至るまでを時系列で紹介し、島根、国栖、乃木坂、広尾、二宮と石鼎ゆかりの地を岩淵氏と鹿火屋同人が訪ねてゆく。
評論とは異なり、読者も岩淵氏と共に旅をしている錯覚に陥り、時折見せる主観的なコメントがその気にさせる。文中で指摘されているが、俳人の多くが「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」に代表される吉野時代の石鼎を知っている。
それはホトトギス誌上で虚子から激賞を受けたが故であるし、多くの石鼎作品として記憶されているのはこの「頂上や」の周辺の句であろう。石鼎の辞世の句などよっぽど詳しくなければ知らないのではないか。 この観点でその後の東京時代や疎開先の二官での晩年の記述、鹿火屋創刊と虚子との仲、コウ子夫人の献身はどれ一つとっても非常に興味深いエピソードがつづられている。
本作「二冊の」は前作で残されたフラグを回収している。特に二宮時代に発行された石鼎のためだけに印刷された鹿火屋が本著のタイトルである二冊目の鹿火屋である。 これは、同人や会員向けと主宰石鼎に向けてそれぞれ印刷したものという意味である。
当時の編集部の判断で、精神的に不安定であった石 鼎によってかかれた消息などを幻の鹿火屋に、雑詠や巻頭句などはどちらの鹿火屋にも掲載している。本著の中段では貴重な二冊目の鹿火屋のコピーが載せられており一見の価値がある。
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