2012年12月 のアーカイブ

明日は晴れ

2012年12月30日 日曜日

 12月も明日で終りである。今年もいろんな人と食事の卓を囲んだ。多分今日の同級生たちと囲んだ卓が今年の最後になるだろう。ひょんなことから話がまとまって、哲学堂の近くの鰻屋で食事をした。新井薬師の駅から鰻屋までの道中に共通の同級生の家があった。だが、もう亡くなっている。もうひとり同級生の家の前を通ったが、実家が跡形も無く消えていた。同級生に会うたびに一人づつ友が消えていくような気がする。

 鰻屋に居る間、向かい側の席のの携帯が何度も鳴った。が「おいおい仕事柄、たくさん入るだろう。とりあえず受けてみろよ」と口添えしたが「掛けられない」というのだ。最近、家族全員が同じ携帯に変えさせられたのだという。それがスマホなのだ。「社長命令だから仕方がない」と呟く。社長とは息子のことだ。何年か前に座を譲って、自分は会長として収まっているのだ。

 若い人には子供時代からゲーム機などでパソコンも携帯も自然に使いこなせるのだが、ある年代から突然そうした電子機が壁のように立ち塞がってしまうのだ。多分彼の息子さんも掛け方くらいは説明したのかもしれないが、一回ぐらいでは理解できないのだ。若い人には、そんなものがどうして使えないのだろう、思えるらしい。今日の私の電話が繋がらない理由も納得できた。

 
 「とりあえず掛けてみろよ」と促したも、私が送ったCメールを読んでいないのだ。そんなことが出来ることも知らなかった。飲み合っている間も、いくたびもの携帯が鳴った。その度に気になるのか、取りだして指先で突っついていたが、最後は将棋盤の駒を崩すかのように液晶画面にぐるぐる輪を書いてはポケットに入れてしまった。なんだか可笑しくて吹き出しそうになったが、わたしもまだ旧式の携帯を使っている。

 そのが私のことを「まだ女に成りきっていない」と、とんでもないことを吐かすのだ。帰りのタクシーの中でも言い続けて「何とかしなくちゃ。おい、来年の目標にしようぜ」とに同意を促していた。私は、「何言ってるんですか。携帯も人並みにかけられないくせに」と言い返していたら目白駅に到着した。携帯のカレンダーを開くと、大晦日にはお天気マークが入っていた。

『太陽』2013年1月号 主宰・務中昌巳

2012年12月30日 日曜日

他誌拝見               伊東  亮
「ににん」夏号(通巻第四十七号)

 平成十二年秋、埼玉県朝霞市で岩淵喜代子代表が創刊。「批評眼を待った自立の作家をめざす」がモットー。画一化する傾向の強い結社俳句の世界でこのモットーは注目に値し、岩淵代表の意欲に敬服する。そのモットーは俳句集の中にも現れ、代表の句も同数、しかも同列、順位もつけていない。また代表ご自身が「同人誌」といわれているように、この句誌は他の句誌と違い特色があるので目次にそって紹介してみよう。

○巻頭言「父のこと すこし」     清水 哲男
 最近亡くなられた元軍人のご尊父の思い出をエッセイ風に。こわかった父の思い出も伝わってくる。

O「物語を読む」三人の同人が、それぞれの異なる小説を題材に各三四句ずつ詠む。面白い企画(やってみたい)だが、紙面の都合で各人一句ずつ紹介
 
高橋治著『風の盆恋歌』を詠む    宮本 郁江
  左手に指輪の光るおわら盆
 
三島由紀夫著『金閣寺』       及川 希子
  血の匂ふ密会ありて寒々と
 
宮本あや子著『花宵道中』      伊丹竹野子
  吉原に不審火多き年の暮

○ににん集・・・火・灯(課題句各五句)
  日蝕の始まる前の夏椎        岩淵喜代子
  手をつなぐ子がひとり居て門火焚く 
  火取虫つめたく空を落ちて来し    浜岡 紀子
  誘蛾灯くちびる薄き人擢ひ      浜田はるみ
  火取虫庚申の夜はゆるゆると     高橋 寛治

○さざん集・・・ (雑詠 各人五句)
  頭痛など無きがごとくに海月浮く  岩淵喜代子
  雷鳴の立方体に囲まるる      同前悠久子
  御恩忌果っ金輪際の正座解き    西田もとっぐ
  「ににん集」「さざん集」とも細やかな観察眼と表出の明るさに好感がもてる。

○ミニェッセイ「火と灯の祀り」小塩正子他八名

○連載評論
 上島鬼貫「独りごと」から             伊丹竹野子
 わたしの茂吉ノート二十五 家康と秀吉(その二)  田中 庸介
 縁辺の人更衣着信(一丸二〇~二〇〇四)      正津  勉
 この世にいなかった俳人⑥ 郷土信仰        岩淵喜代子

それぞれ硬質で質の高い評論である。

『再読 波多野爽波』 2012年 邑書林

2012年12月29日 土曜日

  想えば現れる、ということがよくある。
  一ヶ月ほど前に榎本享さんの句集『おはやう』の感想のなかに、近頃波多野爽波が気になっていると書いたら、まだお目に掛ったことのない榎本さんから「青」波多野爽波追悼号と爽波のことばだけを雑誌から纏めた「枚方から」という貴重な冊子を頂いてしまった。

 そうしてまた、昨日は邑書林から『再読 波多野爽波』が発刊された。巻頭言として金子兜太・深見けん二・和田悟朗・黒田杏子他・各氏の爽波論が展開されたあとに一句鑑賞と、榎本氏から頂いた「枚方から」の収録もされている。今年の正月は娘一家と箱根に泊るくらいしか予定がない。じっくりこれらの本と爽波の句に浸れそうだ。
souha

ににん冬号発送完了しました

2012年12月27日 木曜日

 11時ごろ「ににん」冬号をクロネコさんに託したので、今年の仕事は完了した。発送はいつも最終の31日に近いのに2日ほど早まった分、大晦日までの日にちがおまけのような気がしている。さて余った日を何に費やそうか。映画はいまのところ食指の動く映画はない。強いて見ようかとおもうなら「レミゼラブル」。この映画、もう亡くなってしまった友人が20年以上昔活字「レミゼラブル」をで読んだ後、「地下水道の話だったのね」と言ったことが心に引っ掛っている。映画と活字の両方で見極めてみるのもよい。

 あとは散歩がてらの山種美術館へいくのも一案。最近青山七丁目交差点から骨董通りまでの150メートルほどが開通したことで、山種美術館から根津美術館・国立新美術館・岡本太郎・サントリー美術館・東京都写真美術館・森美術館が一本の道で繋がったようだ。気儘な散歩にはよい距離である。

 散歩と言えば、わが家から数分の黒目川沿いをじっくり散策するのもいい。近頃は鴨が集まってきて、川面のみならず畑にも群れている。この散歩道に最近碑が建った。「土木学会デザイン賞・優秀賞 黒目川つくり」とある。  121208_1106~01
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 この碑によって、私が快い散歩道と感じていた川沿いの遊歩道が結構朝霞市の努力によって管理されているのを知った。そういえば、以前この川の両岸がコンクリート製であったことを思い出した。自然の川に戻すために、そのコンクリート壁を除去したのである。あのときは何やってんの、と思ったが鴨が幸せそうに川面を占領している光景に納得した。

陽山道子句集第一句集『おーい雲』 2012年12月  ふらんす堂

2012年12月25日 火曜日

船団に所属する作家。跋文・池田澄子氏。

青葉風屋根の大きな家を買ふ
ゆびきりの指長くなる春の雨
踏ん張って遠くを見てる守宮かな
草の実を弾いて嘘をつく男
黄落や見知らぬ人と歩を合わせ
綿虫に逃げる力や茜雲
リビングの真ん中通る海鼠かな

いろいろな側面を見せる作家だな、と思った。一句目の「大きな屋根の家」という対照を鷲掴むような方法。「ゆびきりの」「黄落や」の抒情性。「リビングの真ん中通る」の諧謔性。いずれも無理なことばの使い方がなく、好感の持てる一集だった。

榎本好宏第八句集『知覧』 2012年12月 飯塚書店

2012年12月25日 火曜日

知覧とは鹿児島の茶の産地だが、以前は第二次大戦のとき、特攻隊の出撃基地だったという。榎本氏は幼時に戦争で父を失っていることで、若い兵士たちが知覧から次々と出撃したことへの想いもことに強かったことが一集から伺える。

掃立ての羽のほどよき音のして
梅干して針魚を干して魚屋は
河鹿鳴く限りこの世に戦なし
寝押しせし吾らに三月十日来る
麦星に手紙書くべし知覧より
誰よりも戦嫌ひで瓜好きで
広島忌柱に凭れをりたれば
ラムネ壜のくびれ詔勅聴きし日よ

照井翆第五句集『龍宮』  2012年 角川書店

2012年12月23日 日曜日

「龍宮」という題名は、亡くなったものへの想いなのだろう。今回の東日本大震災の体験者でなければ詠めない作品集。

双子なら同じ死顔桃の花
ポンポンと死を数えゆく古時計
泥?くや瓦礫を己が光とし
春中の冷蔵庫より黒き汁
卒業す泉下にはいと返事して
いま母は龍宮城の白芙蓉
柿ばかり灯れる村となりにけり
穴と言う穴に人間柘榴の実
酔ひて罵る霜のホームの全員を
朝の虹さうやつてまたゐなくなる

長田群青第二句集『押し手沢』 2012年 花神社

2012年12月23日 日曜日

飯田龍太の甲斐、広瀬直人の甲斐を受けつぎながら、その風土を読み継いだ端正な作品集。

雲流れをり栃の芽の濡れてをり
秋冷の寂光院に木の匂ひ
筆圧の一信届く秋の風
古巣抱く大きな欅一周忌
蔵の向うに木犀の花ざかり

山田露結句集『ホームスィートホーム』 2012年 邑書林

2012年12月23日 日曜日

カステラの底の薄紙春うれひ
風呂敷に包んで帰る蜃気楼
つばくろや顔に慣れたる朝の水
あるときは妻の昼寝を見てゐたる
ぼんやりと妻子ある身や夏の月
鈴虫が鳴かなくなつて広き部屋

1967年生れ「銀化」所属。奇抜な発想をしているわけでは無い。誰もがもう少しで気がつきそうなところを掬いとって、読み手を惹きつける。

浦川聡子第三句集『眠れる木』  2012年12月 深夜叢書 

2012年12月23日 日曜日

顕微鏡三十倍の蝶の舌

 蝶の舌とはかなり微小なもで、顕微鏡で30倍くらいにしなければ存在感もないかもしれない。1999年公開のスペイン映画に「蝶の舌」というのがあった。そこで初めてしったのだが、蝶の舌は、使わない時には、ぜんまいのように巻かれて収まっているらしい。

水買ひに出てたくさんの春の星
ふらここの真正面に海の線
八朔やつまんでみたき壺の耳
みづうみを皮手袋の指でさす
泣いて泣いて泣いて菜の花あふれをり
旅果ての鞄ひらけば花吹雪
水中花パソコン端末機の微熱

一集は柔らかな感性で取りこまれた日常の風景。それがセンチメンタルになる寸前で留まるところに共感を呼ぶ。

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