2011年10月 のアーカイブ

南瓜グラタン

2011年10月30日 日曜日

このところ孫娘がよく我家に来る。講習だったり、面接だったり、サポートしている障害者バスケット選手の試合があったりで、我が家は丁度いいところにあるのだ。今回は最近決まった就職先の運動会のお手伝いだ。研修も兼ねているのだろう。金曜日の授業を終えて、我が家には夜10時到着した。翌朝は7時には家を出て行った。仙台からはるばると思っていたが、集まった多くの人が九州だったり鹿児島だったりと、もっと遠い所の人だったという。

仙台みたいな都会からわざわざこっちに就職しなくても、と言うと、人は仙台なんて都会だと思っていないと孫娘はいう。私には杜の都仙台はとても心地よい街だと思うのだが。

それで、昨日の夜はハロウインでもあることを思い出して、我が家にごろごろしている南瓜を器にした南瓜グラタンを作ることにした。待つという言う時間を久しぶりに味わった。なにしろ料理は熱々でなければ意味がない。で、今朝はまた7時に家をでていった。仙台からきているバスケット選手の試合をサポートするために8時半までに航空公園までいくのだという。

家を出て一時間ほどしたら「着いたよー! いつもばたばたしていてごめんね」というメールが届いた。久しぶりに我が家が活気付いた週末だった。

『山彦』・主宰 河村正浩

2011年10月30日 日曜日

他誌拝見           筆者 藤井サカエ

 ににん  夏号 通巻四十三号
代表 岩淵喜代子 平成十二年、埼玉県朝霞市にて創刊。主張 同人誌の気概ということを追求していきたい。

巻頭言 「震災詩歌」     清水 哲男
 文中から転記させていただく。「いま(震災詩歌)とても名付けたいような作品群が続々と登場しつつある。(略)ざっと目を通した感想を書いておくと大いに失望したというしかない。失望を通り越して腹立たしさえ覚えた(略)」。
天災はともかく原発事故さえも天災のように見なしたり、白身とは無関係という立場の作品へ我慢がならないと警鐘を鳴らしている。
 「太陽の季節」を詠む           伊丹竹野子
  火に油そそぐ逢瀬の花衣
  ヨットの帆上げる男の心意気
  夏の夜の熱きくちづけ海の中
 映画「太陽の季節」が若者に与えた影響は大であった。時代を先取りし、ぎらぎらと輝く大陽のような映像・エネルギーの爆発は若者を魅了した。今も懐かしい心躍るシーンが蘇る。
にににん集 課題「独」三十七名二八五句)
  独逸語の怒れるごとく胡桃割る    長峰 千晶
  独身の友一人減る薄暑かな      服部さやか
  独り酌ぐ音透きとほる夜長かな    今井 宗睦
  おそろしきかな朧夜の独り言     川村 研治
  独鈷杵の黒光りして雷の音      木佐 梨乃
  年の瀬の雑踏に居て独言       中島 外男
さざん集
  遠足の眼泳がす水族館         平林 恵子
  柏餅過保護な母といわれても     石井 圭子
  船腹を真赤に塗つて夏兆す      宇陀 草子
  箱に箱重ねてみたる日永かな     武井 伸子
ミニエッセイ 「月下独酌」 代表をはじめ十人の方々の月に因んだミニエッセイが掲載され、肩の力を抜いて読み進められるように構成されている。
連載評論「預言者草田男」(一一十回)    長嶺 千晶
  降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男 良く知られているこの句についての評論が掲載されている。昭和六年の初句会で虚子の選を受けたが、「や」
「けり」の重なり「瀬祭忌明治・こ の類想句だと糾弾されたりとこの句は物議をかもした。続いて何故「明治なのか」と言う事にも触れられており一気に読ませる読み応えのある作品である。
 六十ページ中巻頭言を除き前半三十ベーダが俳句で、後半が評論四編・エッセイ等々書き手の揃った同人誌である。俳誌の主張にもある通り「同人誌の気概」が溢れている。

西原天気句集『けむり』 2011年 西田書店

2011年10月17日 月曜日

ゆふぐれが見知らぬ蟹を連れてくる  
風鈴を指に吊るして次の間へ
冬ざくら空のはじめは大むかし
カステラにまづは四月の木の匂ひ
春の夜のピアノのやうな水たまり
荒川の蟻のでんぐり返りかな
枝豆がころり原稿用紙の目
野遊びの終りはいつもただの道

後書きを読んだら西原さんは偶然訪れた西念寺の佐山哲郎さんに出会ったことが俳句のきっかけらしい。知っている人はその佐山哲郎氏が映画「コクリコ坂」の原作者であることを思い出すだろう。余談だが、最近発刊された佐山氏の句集『娑婆娑婆』の売れ方は凄いらしい。

西原さんにもある俳句の枠を抜けた世界が描かれていて、文体を得た俳句作家と言えるだろう。文体を得たことで捕まえられる独特の世界というものがあるような気がする。そうなりたいと私も憧れtている。

尾崎人魚句集『ゴリラの背中』 2011年 文学の森文庫

2011年10月17日 月曜日

朝寝してふたり魚のやうにゐる
夢に見る木蓮はいつも白です
走り梅雨慣れぬ枕で聴いてをり
赤絵の具一本絞り秋隣
秋空の青きところに梯子挿す

一句目の比喩のかるやかさを、比喩とも思わず読み進む。全体には曖昧さのない輪郭と色彩を持った新鮮さを感じる作品集。作品が文庫本という形にも合っていて、ポケットの中から取り出して読みたい句集。

現代俳句文庫ー67 『小島健句集』 2011年 ふらんす堂

2011年10月17日 月曜日

やぶからし引けば真昼の匂ふかな        「爽」
大桶に鯉の回りて祭笛
花茣蓙の上に置かれて通知表          「木の実」
だんだんに日傘大きく神楽坂
草刈つて故郷大きくなりにけり          「蛍光」
焼芋の熱くて妻に渡しけり
障子よりくれなゐのこゑかかりけり

ときどき10代からあるいは20代前半から俳句を始めている人に出会う。この作家も17歳から始めたようだから、60代半ばの現在すでに大家の域に入るのかもしれない。俳句の形式を自在に駆使出来る作家と感じた。

山本洋子第六句集『夏木』 2011年 ふらんす堂

2011年10月17日 月曜日

じゃがいもが咲いてにはとりよく啼いて
敦賀より北に用ある時雨かな
銀杏散るところで母の待つてをり
室生寺へ行くかと問はれ春の風
海外といふ大いなる春の闇
ライラック咲いて机の塵を拭く
海見ゆるところまで麦踏んでゆく
灯の点いてからも椿の落ちること

関西の地名そのものが季題のように、実によく句のなかで生かされている。地名が匂いだすような懐かしさを抱かせる。

小原啄葉『季題別全句集』 2011年 角川書店

2011年10月17日 月曜日

小原啄葉『季題別全句集』
蛇捕りの義兄なりしが自殺せり
桑括る人に飛島見えてきし

翌年の股間をくらく靴磨
馬も家族大寒の夜の尿長し
鉄屑量る分銅吊す冬日の上

大正10年生れのその半世紀の歴史が見える全句集。たとえば今は見なくなった靴磨きや馬も同じ屋根の下に暮らす風景などが、ここでは一緒に並んでいる。

映画『沈黙の春を生きて』

2011年10月14日 金曜日

地下鉄はあまり好きではないのだが、目的地に近い出口の案内が出ているのが、方向音痴の私にはありがたい。道だけではなく乗り換えもさっぱり覚えない。神保町に行くのに携帯で検索すると必ず丸の内線淡路町経由で都営新宿線というコースの案内がでる。市ヶ谷経由で都営新宿線だと思っても不安になってくる。時間をずらしても、朝霞からの検索は何故か淡路町経由が表示される。それだと二回も乗り換えなくてはならないのに。上映開始時間ぎりぎりだったので迷いたくない。

映画『沈黙の春を生きて』はアメリカ軍によって、1961年から1975年まで散布され続けた枯葉剤によって続出した奇形児の惨状である。このことでは日本ではベトちゃんドクちゃんの愛称でニュース欄で幾度も登場した。下半身がつながった結合双生児の写真は衝撃的だった。

しかし、このベトナム戦争の惨さ、この双生児の背景を当時ほとんど認識していなかったことを、改めて映画は教えてくれた。監督坂田雅子は以前『花はどこへいった』を制作し、今回の映画はその続編と言ってもいいドキュメントである。枯葉剤被害はベトナムの人々だけではなく、アメリカ兵士にも及んだ。映画の主役はベトナム戦争に遠征したアメリカ人を父に持つ障害を持った女性。その彼女が同じ障害をもつベトナムの人々を訪ねる実録である。

改めて広大なベトナムの森林に飛行機で枯葉剤を散布してゆく光景の残酷さに驚いた。ベトナム戦争と言えばもう30年以上昔になるわけだが、朝霞には当時まだ町の中心を米軍が占領していた。その米軍基地の中に病棟を建設してベトナムからの負傷兵をヘリコプターで運びこんでいた時代があった。その隣にあった小学校からその運び込まれる負傷兵が丸見えだったことから、町は学校を別の所に建て替えたのである。

だが、この枯葉剤は現在もまだ沖縄に在るかもしれないらしい。1998年に米軍復員兵が沖縄で枯葉剤を浴びたことで補償を受けている。2009年には移送された科学剤のなかに枯葉剤が含まれていることを認めている。2011年には日本外務省は米国防省に沖縄に枯葉剤の貯蔵についての再調査を依頼している。『沈黙の春を生きて』は過ぎた話ではないのである。

今日は東京でセシーム値の高い地域があるということで、その周辺通学路を迂回させていた。こんなに影響力があっても政府は日本から原子力発電を無くす方針には踏み切らない。踏み切りたくないから管降ろしがあったわけだろう。

後の月

2011年10月12日 水曜日

今夜は十三夜、後の月、窓から見る限り真ん丸く見える。十五夜は天候が悪い事があるが、後の月は大概晴れていて、どこにいても月が見える。こんな時には十二月に泊りで雁をみにゆくろまん館の周囲ならさぞ煌々としているのだろう。今朝の新聞には月を過る雁の列の写真が載っていた。あー、こんな仕事をする人もいるんだなー、と改めて写真を撮った人を想った。北海道で映したものだ。

今年は雁を機会のあるかぎり見に行くつもりだ。すでに12月の初めは「ににん」の仲間で予約した。これは塒入りと朝の飛びたつ雁の両方を見せてくれるツアーだ。その前に、11月20日に塒入りだけ見るツアーに参加する。一人で行くつもりでいたが、話を聞いた人がいくというので結局4人でいくことになった。日帰りで気楽に行ってこられるのがいい。あの雁の夕空の空気はなんと説明したらいいのか分からないが涙が出るほど感激する。病みつきになってまた行きたくなる風景だ。

「ににん」44号で上田禎子さんのささやかな追悼頁を組んだが、遺族の方には喜ばれる文章なのだろか、とちょっと不安だった。しかし今日、余分にあったらもう少し冊子がほしいという娘さんからの礼状が届いていたのでほっとした。夕方、古事記の旅をしている仲間から、テレビで島根県が映っているという電話が入った。火野正平のこころの旅だった。11月の初めにはまた出雲に行く。この冬は旅が多くなりそうだ。

守宮

2011年10月11日 火曜日

雨戸をあけたら、その敷居の上にばっさと何かが落ちて来た。よく悪戯に使われるゴム製の蛇や蛙のように弾力を感じる落ち方だった。一瞬「ヤモリ」だと思った。全体が鼠いろの体長20センチのそれは、まさにゴム製品の擬似動物のようであった。だが、それがゴム製品でない証拠に「キャ」と怯んだ私が、ガラス戸を閉めたときには消えていた。

何十年も住んでいるが、家の外でも守宮を目にしたことはなかった。見たのは随分昔、江の島の休み茶屋の個室を借りたら天井に何匹もの守宮が張り付いていたのだけである。なんでこの秋も半ばを過ぎている今頃、と思ったが取りあえずは一件落着である。ところがそれから2日程経た夕べ、トイレに入ったら便器の蓋の上に以前見た守宮の何分の一かの小型の守宮が張り付いているではないか。

今度は小さいが家の中、それもトイレの蓋の上にいるので更に悲鳴を上げて退いた。その間に自動センサーが働いて蓋が開いてしまったので、守宮は縦になった蓋の裏側に隠れてしまった。夫を呼んでその蓋の裏側を確かめると、同じところに張り付いているのだった。きっと親子でどこかに住みついたのよ、と言っているうちに夫はそのちいさな守宮を摘まんで、ひよいと外へ投げた。「悪さはしない」といったが、やっぱり気持ちが悪い。お願いだから驚かせないで。

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