2012年3月 のアーカイブ

藤沢紗智子第一句集『逢ふ人のあり』 2012年 角川書店

2012年3月31日 土曜日

 後書きには中学生のころから俳句を始めたとある。その作者(1938年生)の第一句集であるから、膨大な句数から抜粋されたものということになる。

  東京に逢ふ人のあり春の雷

 句集名になったこの句は、昭和51年で、原裕主宰に師事して間もなくの作である。長い年月ではあるが、句集名にしたこの句に、作者の俳句志向が象徴されているような気がする。

  含羞草みな眠らせて島を去る
  雲の峰海へせり出す工場群
  白猫を汚して帰す春の月
  雲が雲押して夏野に夕べ来る
  げんげ田に鬼の放ちし子がふたり
  着ぶくれて鶏の機嫌をそこね

山崎十生句集『悠悠自適入門』 2012年 角川書店(21世紀俳句叢書)

2012年3月31日 土曜日

一瞬句集であることを忘れる句集名であるが、「悠悠自適の本来の意味は、俗事にわずらわされず、ゆったりと自分に合うように静かに暮らすことである」と自ら後書きにしている。また、巻末に酒井佐忠氏の山崎十生論の展開には、安易な諧謔を目指しているのではない、山崎氏の志向に迫っている。

まだ揺れている筍の願いかな
大海月ゆらりはるかに富士の山
万緑は産褥熱に等しかり
血を全部取り替えている雁わたし
着席をしてから気付くゐのこづち
靡かむと息をひそめてゐし芒
空蝉は既に雲水超えている
後鳥羽院なのかも知れぬ雁渡し
起き上がり小法師の果ては虹である

南うみを第二句集『志樂』 2012年 ふらんす堂

2012年3月23日 金曜日

帯文 神蔵 器

  蟷螂の子にして揺らぎ進むなり
  氷にも箒目のあるお寺かな
  楮小屋氷柱を折つて入りけり
  猪垣の内外雪の押し合へり
  菊を折る音としばらく日溜りに

どの頁を開いても、身辺の微かな気配を掬い取っている視線が感じられた。それが、一集の好感度となっている。

 河内静魚句集『夏風』 2012年  文学の森

2012年3月23日 金曜日

新書版の句集は持ち歩くのに便利である。「馬酔木」「寒雷」を経て「毬」創刊主宰。
馬酔木のおだやかな自然諷詠に「寒雷」の人生諷詠が加わった作品集である。『夏風』というタイトルの表紙には小さな窓を配した装丁。それもまたシンプルで、作者の俳句姿勢や俳句の詠みぶりに重なる

  避暑の椅子いつも遠くの見えてをり
  長雨を眺めてゐたり業平忌
  遅れずに来てやあと言ふクリスマス
  雨一滴すみれの国に落ちてきし
  空のある静かな村や鶏頭花

現代俳句文庫―69 『井上弘美句集』 2012年 ふらんす堂

2012年3月23日 金曜日

「俳句は型、型以外考えられない」という覚悟を持った作家。それがこの作者の基本となり、背骨でもある。

  六道の辻に金魚の売られけり
  春の風小さな鍋を使ひけり
  ひとの子に手にこぼしやる螢かな
  母の死のととのつてゆく雪の夜
  夜神楽の闇が詰まつて来たりけり
  引鴨をゆすぶつてゐる汀かな
  大いなる夜桜に抱かれにゆく

二物衝撃が俳句の短詩形、ことに俳句を面白くする。踏切を越える金魚、海辺を通る金魚売りなど、やはり金魚売りはその背景にによって生かされる。ここでは六道の辻にいる金魚売り。そこで金魚を買い求める人々が只の人ではなくなるのだ。

喜田進次句集『進次』・詩集『死の床より』 2012年 金雀枝舎

2012年3月23日 金曜日

二冊が一つの箱に収まった生涯の一書と言っても大袈裟ではない。所属していた『街』の主宰は――喜田進次は五十五年をかけて「喜田進次」を脱ごうとしていた。脱皮する痛みが言葉になった。 本書はついに此岸から飛び立った進次の羽化直前の連続カットである。――と書いている。1952年~2008年。55歳で没している。

  おぼろ夜の動かざる水巨きかり
  銀行の前がさびしき天の川
  猫去つて畳の上に秋の海
  粕汁や先祖ぞろぞろあるいて来たり
  綿虫に石の大きな息ありぬ
  年の市川を見て時計合はせをり

一編を通して、作者の志向や表現の質は統一している。後半の作品は理が濃くなっているが、全編を通して並々ならぬ独創性を求めようとする姿勢が見えてくる。
詩集は後書きによれば詩集のタイトル通り、最晩年の熱量高い独白である。

ipad その4

2012年3月19日 月曜日

ipad の新機種が発売されたようである。何日も前からその新機種を手にするために並んでいるというニュースを見ていたが、そんなに画期的な変化があるのだろうか。新機種の発売の情報は知っていたが、待とうとは思わなかった。その代わりに私の買ったipad2 は殆ど無料と言っていい割引がついていた。

ところで、目的のブックスキャンの入力はなかなか始まらない。というのは、スキャンの仕上がりに日数を必要とするからだ。お試しで三箇所に発注した最後のものがまだ届いていない。それが届いたら本格的にipad に入力して、今度は大量にスキャンの発注をする予定。本格的に利用するのは半年くらい掛りそうだ。でも始めなければいつまで待っても実現しない。若者たちは自分でスキャンをして、ipadならぬiPhone入れているが・・・。

雁の玉章 創刊号

2012年3月7日 水曜日

★2月29日の雪は、この地方としては大雪だったが、それでもやはり春の雪、解けるのは早かった。その大雪の日の夕方から「句集を読む会」のために神保町まで出かけた。今回は後藤夜半。
★1日は歯医者へ、
★2日は外科へ。
例の手術した小指に入っていた金属を抜く日。小指の中心に直径1ミリくらいの針金が通っていたが、その先端が指先から1センチくらい出ていたのである。我指ながら包帯を変えるたびにゾッとしていた。来週抜きますからね、と医師が言ったとき、「麻酔は?」と聞いたが、なにもしないで抜き取るというのだ。冗談で言っているのではない。「なに、麻酔の注射するときよりも痛くないですよ」というのだった。
看護師さんが目の前でペンチとガーゼを渡しているので、諦めて手を差し出して見ないようにしていた。棒は一瞬の間に抜いたようだ。「痛かった?」と聞かれたが、たしかにほんの僅かな傷みだけだった。これからはリハビリを頑張って、と私の膝をぽんと叩くのだった。任せたからね、というふうでもあった。
★3日の雛祭の日は『詩歌梁山泊ーー詩型交流企画』第2回シンポジウム「詩型の融合」に出席。
そのあと高円寺のAさんの新装開店一周年というお知らせが来ていたのを思い出して寄り路をしてきた。顔見知りの俳人がつぎつぎと訪れてきた。一年前の開店の日はYさんに誘われて訪れたのだが、それ以後Yさんの姿を見たことがない。どうしているのだろう。
★5日はににん定例句会。その後「ににん46号」の第一校正。
★6日は志木のカルチャーセンターの俳句教室へ。そのあと京王プラザホテルの俳人協会総会に一時間遅れで出席。
★7日。用事の合間に整理した「ににん46号」が印刷所へ入るまでに漕ぎつけた。
この号から「ににん」に栞を挟み込む。これはににんのクラブ活動のようなもの。小冊子は自宅で制作することにした。
山西雅子さんの雑誌「舞」はパソコンで制作したもの。中綴じはホチキス仕上げだ。その中西さんに俳人協会総会の会場で出会った。作成の解らないところがあったら相談に乗っていただけるという強い味方を得た。さらに安価な紙屋さんも紹介してくださるという。わくわくしてきた。これが単独で発展していってもいいのである。
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『麻』2012年2月号 ・主宰嶋田麻紀

2012年3月1日 木曜日

俳誌展望  ――ににん――   筆者井口あやこ

◎『ににん』(二〇一二年、冬号)
 平成十二年十月、朝霞市にて岩淵喜代子氏が創刊代表。方針に、「『ににん』は同人誌である。それは、自分の発揮したいものを思いっきり発揮することが可能な場でもあるのだ。
そこが結社誌と違うのである。」とある。今号は四十五号。表記は歴史的仮名遣い。季刊。
 先ずは、二〇〇〇年秋号の岩淵喜代子代表の「創刊にあたって」の文章を紹介しておく。
「俳句の俳とは、非日常です。/日常の中で、もうひとつの日常をつくることです。/俳句を諧謔とか滑稽など狭く解釈しないで、写実だとか切れ字だとか細かいことに終わらないで、もっと俳句の醸し出す香りを楽しんでいきたいとおもいます。/そして、『ににん』は誌上サロンです。そのサロンには美人の母娘がいると思ってください。サロンに立ち寄ればおいしい珈琲がいつも用意されていると思ってください。そして、珈琲を飲みながら俳句の深いところで語り合えることを願っています。」とある。
 代表の喜代子氏は、昭和十一年、東京生まれ。昭和五十一年『鹿火屋』入会。原裕氏に師事。昭和五十六年『貂』創刊より八年在籍。川崎展宏氏に師事。著書は、句集に『朝の椅子』(昭和六〇)、『蛍袋に灯をともす』(平成十二)、『硝子の仲間』(平成十六)、『嘘のやう影のやう』(平成二十)他、俳詩集に『淡彩望』(平成十二)、連句集『鼎』、評伝『頂上の石鼎』等、多数。
 俳句文学館にて、句集と俳詩集『淡彩望』を読ませていただいた。『淡彩望』は俳句の延長線上にある文章を集めたエッセイ集で、静かな語り口の中に、日々の心情を深く書き留められていてとても感動した。

 句集より感銘句をひく。
  朝の椅子欅の冬を迎へけり(『朝の椅子』)
  まんさくは鬼の振りむいてゆきし花(〃)
  月山の木の葉かぞへて寝ねむとす(〃)
  人影を得ては濃くなる蛇苺(『蛍袋に灯をともす』)
  逢ひたいくて蛍袋に灯をともす(〃)
  座りても立ちても秋の水平線(〃)
  空蝉を硝子の仲間に加へけり(『硝子の仲間』)
  青空のひらと舞ひ込む雛祭(〃)
  暖炉からみんなI緒にゐなくなる(〃)
  嘘のやう影のやうなる黒揚羽(『嘘のやう影のやう』)
  草餅をたべるひそけさ生まれけり(〃)
  椎子の匂ふ方向音痴かな(〃)
  湯たんぽを儀式のごとく抱へくる(〃)

 それでは、『ににん』冬号を開く。
 初めに俳句からご紹介する。

 「ににん集」より。(「今号から兼題は、「灯・火」の歳時記とします。」とある。三十五名出向、ひとり五句掲載)
 
喜代子代表作品「行火」より。
  狐火や体重計に乗りながら
  火の中に大の渦濃くて神迎
  炉にかざすワインの透けて神無月
  霜除けの残りの藁を焚きにけり
  河東碧梧桐とは行火とは

短日の灯に珈琲の濃きかをり    浜岡 紀子
炭青く炎ゆる一点芭蕉の忌     木津 直人
秋深み甘き火を焚く風呂五右衛門 栗原良子
遠火事や人くろぐろと去りゆける  長嶺千晶
信号に赤灯りたり菊咲月       四宮 暁子
 
「さざん集」より。(三十二名出句、ひとり五句掲載)
 
喜代子代表作品「鷹渡る」より。

  矢印を担いでゆくや刈田道
  足元に波伸びてくる神迎へ
  ほとぼりのやうに残りし冬の菊
  葦原も枯れてしまへばみな温み
  青空の真ん中は濃し鷹渡る

乾びたる鬼灯丸く風を待つ      中村 善枝
鳥籠に留り木二本日脚伸ぶ     宮本 郁江
秋灯を消せば画の中昇る月     尾崎じゅん木
新蕎麦のわんこ重ねて百余杯   木佐 梨乃
雪原に梢の揺らぐしじまあり    兄部 千達
蓮の実の飛んでかめ虫転がれり  武井 伸子
 
 伊丹竹野子氏の「『ロンリー・ウーマン』を詠む」(二十四句出句)より。
  年の火のつるりと青き空なりし

 『ににん』は読み物が充実している。 大変面白く読んだのが、清水哲男氏の巻頭言「下連雀からの眺め 八-過ぎにし我が家」である。
 田中庸介氏の「わたしの茂吉ノート」、正津勉氏の「歩く人・碧梧桐」、長嶺千晶氏の「預言者草田男」と、連載評論が三本もあるのも素晴らしいと思う。各氏、詳細な研究をされて健筆を揮っておられる。田中氏は、茂吉歌集『白き山』から「最上川の増水」の連作を取り上げ、自然詠を残した茂吉の喜びを個性的に説く。正津氏は、碧梧桐二六歳から三三歳までを、子規逝去を絡めながら纏めている。
長嶺氏は、草山男の第一句集『長子』を二〇回にわたり追ってきて、今号では『長子』の持つ意味を記す。俳句における伝統と革新を個性的に論じているのが印象的である。
 
 感心したのが、今号の特集、「原石鼎俳句鑑賞ブログより転載」だ。十四名の方は、石鼎の句を、独白の言葉で確かな鑑賞をされている。中でも、〈風呂の戸にせまりて谷の朧かな〉を取り上げた菊田一平氏は、句に奥行きを与えている「せまりて」は、二次元の世界を三次元の世界に変える3D効果と同じであると、現代的な視点で読んでいる。
 栗林浩氏と坂本登氏は、長嶺千晶句集『白い崖』を丁寧に鑑賞している。
 他にも、「英語版『奥の細道を読む』」の木佐梨乃氏、「俳句の風景」の浜岡紀子氏、「復興の記録」の四宮暁子氏、ミニエッセイの五十嵐孝子氏、伊丹竹野子氏、川村研治氏、それぞれの方が自由にのびのびと、読む者の心を捉えるような文章を書かれていて、一気に読んでしまった。
 
 前述の「原石鼎俳句鑑賞ブログより転載」が気になり、俳誌から離れるが、「『ににん』のWEBサイト」に寄り道をした。開けてみると、新年に入ってからも「原石鼎」の鑑賞文がどんどん追加されている。他にも代表の「喜代子の折々」など、『ににん』の世界に浸れるものが盛り沢山あり、結構な時間を過ごしてしまった。「創刊にあたって」の喜代子代表の、「『ににん』は誌句サロンです。立ち寄ればおいし珈琲がいつも用意されている」というお言葉が改めて蘇ったのである。
 
 同人誌『ににん』は、二〇一一年冬号を「創刊十周年記念号」として発行され、一月には記念祝賀会を催された。記念号には、自分で選んだ小説の舞台を机上で彷徨しながら作句するという、独創的な「物語を詠む」のアンソロジーを掲載している。また、兼題句の「ににん集」は、十五周年まで「火・灯の季語」を集める企画という。その掲示に「(略)追々、その季語を掲載してゆきますが、各人が季節ごとの火・灯がテーマになっている季語を探したり、その行事を追う旅を試みてはいかがでしょうか。」とあった。十周年を超えて、『ににん』はまた新しい挑戦を始めている。ますます楽しみな俳誌である。
 喜代子代表のご健康と『ににん』の更なるご発展をお祈りいたします。

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