後書きには中学生のころから俳句を始めたとある。その作者(1938年生)の第一句集であるから、膨大な句数から抜粋されたものということになる。
東京に逢ふ人のあり春の雷
句集名になったこの句は、昭和51年で、原裕主宰に師事して間もなくの作である。長い年月ではあるが、句集名にしたこの句に、作者の俳句志向が象徴されているような気がする。
含羞草みな眠らせて島を去る
雲の峰海へせり出す工場群
白猫を汚して帰す春の月
雲が雲押して夏野に夕べ来る
げんげ田に鬼の放ちし子がふたり
着ぶくれて鶏の機嫌をそこね