‘ににん燦燦’ カテゴリーのアーカイブ

ににん78号発送済

2020年3月31日 火曜日

IMG_tukusi実家の墓参に行った日はお彼岸日和だった。墓石の端っこから土筆が一本だけ生えていた。

そうして日曜日には春の雪、それよりびっくりするのは、コロナ感染者が次から次へと発生していることだ。東京だけで今日は72人とか、恐ろしいことである。ひたすら籠っているしか、防ぐ手立てが解らない。

籠っているおかげで、ににん78号の発送が一日でできてしまった。夕方には郵便局に集荷をお願いして、あっという間に、部屋がすっきりした。

人生に二度とは起こらないこんな恐ろしい巡り合わせ。わたしとしては籠ってなんとかやり過ごすしかない。

「ににん」77号発送すみ

2020年1月2日 木曜日

IMG_20200102_0002 「ににん77号」が予定通りに発行されました。私の段取りが早ければ、ホームページを管理している木佐梨乃さんが、目次、その他のUPもして貰えてしまうのだが、いまだデーターを送っていない。

今年は喪中なのだが、それでも、食べたり飲んだりはするので、娘一家が訪れていた間には、手をつけることが出来なかった。これから、木佐梨乃さんに送るものは送って、「ににん」の新年度のページを埋めてもらうことにする。

この号から、少し編集の助っ人を増やした。例えば俳句を集める人、「雁の玉章」を纏めてもらう人、順番におこなっている仲間の俳句鑑賞などを、担当してもらえる人が決まった。わずかなことのようだが、個々に順番ですよと声をかけたり、遅くなれば「まだですか」と遠慮がちに促さなければならないし、文字数が多かったり少なかったりでも、また修正して貰わなければならない。

けっこう、一企画ごとに、手のかかるものである。

ににん75号最終校正

2019年6月14日 金曜日

 今日は本当の最終校正。この場に至るまでには、一つの原稿はまず、私が読んで次に担当の校正係が読み執筆者も再度の確認をしてもらってある。それを3日に改めて全員で校正した。

 そして出来上がった印刷所からのゲラ。それを今日は本当の最終校正となる。それなのに、ここでも結構ポストエイトは貼られていく。何度行っても問題は発見されるのを、しみじみ感じた。

 前回、その幾行程の中でもやり過ごされてきた見落としがあったので、たくさんの人が見ればいい、と言うものでもないのを実感。まーそれでも、今日も無事に終了して、勇んで蛍狩りに出かけた。

県立四季の森公園の螢は、凄い。園内のいたるところから螢が現れる。もう何度訪れたかわからないが、いつも螢の現れ方が違う。今日は何故か飛び方が重い。高くも飛ばない。遠くへも飛ばないで同じところで浮き沈みを繰り返していた。

ににん70号

2018年4月1日 日曜日

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「ににん」70号も発送が済んで、ぼつぼつと届いたというお知らせも頂いた。ほっとしたところで、黒目川沿いを散歩をした。上げ潮時期なのか、川面一面の桜の花びら。そうしたら、もう四月になっていた。

なんという時の早さよ。

ににん集の兼題

2018年2月8日 木曜日

ににん創刊十周年を機に「火と灯」を兼題にして、ににんの旅も火や灯を追いかける旅が始まった。 もともと、火と灯を追う旅は創刊初期から浮上していたのである。当時は、やがてくる創刊五周年の記念号企画にするつもりだった。

火と灯に関わる歳時記になれば、身近に置いて何度も紐解く機会があるだろうと思った。千葉の海の日に行われる行事を何と言ったのだったか。誰がそんな行事を見つけてきたのか、今になると曖昧になってしまった。北海道のイヨマンテにも出かけた。十二月の北海道はどこもかしこも真っ白だった。ことに、その熊祭り行事の会場は山間の広場で、雪の起伏があるばかりだった。

海の日や火を持つ海女の勢揃ひ    岩淵喜代子
星を打つ矢を何本も熊祭

その現場に立てば、確かに作品が得られるものであることを実感した。この二句は角川俳句大歳時記に採用されている。

その後も、埼玉の北川﨑の虫追い、山焼きや野焼き、大磯のどんど焼き、牡丹焚火、などなど数えきれない吟行をしてきた。そのうちに、不思議な火や灯にも触手を延ばしはじめた。例えば不知火、夜光虫、蛍烏賊、螢、蜃気楼、ブロッケンなど、きりもなく追いかけたいものが出てきた。その「火と灯」の作品は、別ブログで全員の作品を保存してある。

そんなわけで、いまだに歳時記は出来上がらない。結局創刊五周年のときには会員全員が「同人誌」というテーマで、文章を寄せて貰った。十周年のときには、小説をテーマにした作品のアンソロジーとなった。

十五周年は、自分の代表句と呼応する詩を探し出してきて、「詩と俳句と」というテーマで作品を揃えた。数年すれば二十周年になるが、「火と灯」の歳時記は出来上がりそうにもない。三年ちかく続いた「火と灯」の兼題を一度中止すことにした。

あまり長く続くのも、だれてしまうものである。兼題も、もとの言葉に戻すことにしたが、せめて二文字の漢字にすることで、後戻りの形にはしない、というのが周囲の会員の意地があった。

「ににん」65号発送

2016年12月30日 金曜日

今年最後の仕事、「ににん」の発送も完了した。あとは郵便屋さんの集荷を待つのみになった。数えれば創刊17年目に入っていた。その節目の昨年秋号から「~共存~というテーマで生き物を詠む企画が始まった。

第一回目として「水母の余韻」とする23句を発表。65号は「じぐざぐ」という蟻の23句が発表される。同じ生き物での連作は難しいのだが、難しいものに挑むのが「ににん」の「ににん」たるところである。

短期間に多少の無理も承知で、口火を切ったわけだが、理解してくれる人も現れた。
「こんなときには無理矢理作るのよ」と言ったら
「いやいや、その痕跡は見せていない」と言ってくださる方もいた。

「岳」12月号~ では展望現代俳句で水母を取り上げてくださった。全文を転載させていただくことにする。

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海月また骨を探してただよへり     岩淵喜代子

筆者・佐藤映二

「ににん」秋号より。「余韻の水母」と題して、23句すべて水母の季語を配した意欲に惹かれる。〈骨を探して〉から、どうしても東日本大震災の大津波に遭難した幾多の人を想起する。5年半経った今でも、行方不明者の捜索が節目ごとに実行されている。無力感に幾度も押しつぶされながら、その片鱗もとの願いに寄り添う気持ちが(また)の措辞によって表されている。同時作「忘れよと水母の海に手を濡らす」も、今は何事もなかったかのような海に手を浸すことで、却って忘れ得ない現実に引きもどされる哀しさを表しているのである。
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この企画を20周年の特集号として一挙掲載することにしている。一月発行の65号には第二弾として「じぐざぐ」川村研治さんの蟻を詠んだ郡作、そして66号では「海鼠の郡作」が発表される予定。

にんん64号

2016年10月7日 金曜日

 

img_20161007_0001ようやく「ににん」発送のすべてが終った。次回の発送は新年号だから年末になる。新年号だから、当然表紙の絵も変わる。今年度は山内美代子さんの墨彩画から選んだが、言わなければ墨彩画だったとは思わない斬新さがあった。

表紙絵は、初期には街の絵を線描で……と拘っていたが、このところ、表紙のデザインを変更したので、真中に窓のような空間に置く絵に拘わりを持たなくてよくなった。「ににん」にも、いろいろな才能を持った人がいるので、順次紹介していきたい。

 

ににん62号 発送済み

2016年3月31日 木曜日

 

IMG_20160331_0001  62号を発送した。今年の表紙絵は数か月前に『藤が丘から』という句画集を出版した山内美代子さんの画を使わせて貰っている。彼女の絵は墨彩画であるから、もっと日本的な雰囲気になるかと思ったが、意外や軽いトーンで墨の暗さに重苦しさがない。

早速読んだ人の感想の中で、装本が豪華で綺麗になり、その上読みやすい、というお言葉を戴いたが、決して前よりお金を余計に支払っているわけではない。豪華にみえれば本望である。もう一つのご指摘は、相変わらず誤植である。これは、なかなか思うようにならない事項である。

『六曜』2015年41号から 

2016年1月5日 火曜日

『575の散歩路』寄贈誌を読んで
筆者・佐藤冨美子

「俳句ににん」2015年 夏号59
(ににん発行所・埼玉県朝霞市 代表 岩淵喜代子氏)

まず表紙裏のページ、本佐梨乃氏の「英訳版 奥の細道を読む」白河の関の「day after day hadpassed vague uneasinessー 心許なき日かず重なるままに―」は刺激的だ。
岩淵代表の「鬣賞」受賞ので一冊の「鹿火屋」―原石鼎の憧憬」の書評(水野真由美氏「俳句史の地平」鬣TATEGANI155号転載記事)、また「石鼎余滴三 鈴木芳如」には、石鼎ゆかりの人々が登場する。連載評論とエッセイなど味い深い。

ににん集兼題 「正座」より。以下の六句が印象に残った。

幼子の正座の膝や春の風    大豆生田伴子
春の山町の後ろに正座せり    川村 研治
若葉さわぐ正座のできぬ闇ばかり 木津 直人
正座せずでんぐりかへる海月かな 高橋 寛治
夕暮れて正座を崩す花氷     服部さやか
正座より解き放たれて青き踏む  浜岡 紀子
八月の雲は動かずただ真白    小塩 正子

平明な言葉で詠まれ「八月」と限定している。雲は風で流されるものだが「雲は動かず」と、雲に主体性を持たせ「ただ真白」と結び詠んでいる。この「ただ」が句の重量感を増し、作者の深い想いを表しているようだ。

しやらしやらと夕風に乗る小判草    石井 圭子

小判型の小穂を一、二個ぶら下げて咲くという小判草。「しやらしやら」と風と触れ合う音が、やや古風で軽く涼しげだ。夕風に乗ってどこまでいくのだろう。夕暮れを惜しむかのようだが、明日へと続く風だ。繊細な感じの中七と、存在感のある在五の名詞止め。リズム感とバランスが心地よい。

数え日

2015年12月17日 木曜日

IMG_20151215_0001     一年がかりで編集した15周年特集号が出来上がりを待つばかりになった。ほっとしているひと時である。写真でもわかるように、それぞれの巻頭の句には、著名な詩人の作品を添えて、ことばの掴む空気を比較していただきたい。

気に入った俳句があったら、その人の句集をひも解いていただきたい。気に入った詩があったら、その全文を是非読んでいただきたい。加えて、特集ページにはデザインのプロにおねがいして、写真のような情緒のあるページになった。

特別企画がいつもの「ににん」と一緒になって一冊になるので、今までの三倍の厚さになる。発送もちょっと手間取るかもしれないし、袋もいつものでは入らない。

いよいよ私の数え日である。

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