2012年9月 のアーカイブ

秋深し

2012年9月27日 木曜日

bara
今日は上田日差子さんの「ランブル」15周年祝賀会。写真の薔薇は前菜に添えられていたものである。可愛いのでテーブルに残しておいた。お隣の男性はちらっと、其の薔薇を手に取ってみたが、そのまま皿に戻してボーイに片付けさせていたので、「待って」と、その薔薇も貰っておいた。なんという種類なのだろう。薔薇のお茶になるのはこんな感じの小さな赤い薔薇である。

15周年と言うことは父上である上田五千石氏が亡くなったのはもう17年くらい経つのだろうか。原先生が亡くなったのは五千石氏より二年ほど後の筈である。どちらにしても、遠い日のことになった。この席で二宮に住んでいる「ランブル」同人のお一人からご挨拶を受けた。なんと、原コウ子が主宰であったころ鹿火屋に席を置いていた方だという。原裕が主宰を継承した時に上田五千石の「畦」に入会したという。私はN氏と入れ替わりに鹿火屋に入会したのだ。これはもっと遠い日の話である。

 上田日差子さんとご縁ができたのも遠い日の話である。まだ二〇代の日差子さんが俳人協会に勤めていて、当時国交が始まったばかりの中国へご一緒したのである。アルバムを開くと1988年だった。現在と変らない感じがするが、日差子さんは結婚して、お子さんも高校生くらいになっているのではないだろうか。「ランブル」主宰としてゆるぎない基礎を作り上げた。

遠矢』2012年10月号  主宰・檜 紀代

2012年9月21日 金曜日

現代俳句月評  筆者・関口 巌

蛸斟の国日の出日の入り響きけり 岩淵喜代子
                   「俳壇」六月号、「葦舟」より。

 生まれたての蝌蚪は群を成し黒い塊となっています。あたかも一つの国のように。蝌蚪も朝・夕は精力的に捕食行動にでますので、それを騒乱のようだと捉えています。水底の騒乱の音は、聴覚には反応
しませんが、視覚より心に強く響いてくるものがあると作者は詠われました。
 田舎育ちの筆者も同感です。三段切れにも見えますが、対比を用いた一句一章形です。

春月2012年10月号  主宰・戸恒東人

2012年9月21日 金曜日

句集の泉    筆者 長谷川耿人

岩淵喜代子句集『白雁』

 昭和十一年、東京生まれ。昭和五十一年、「鹿火屋」入会。原俗に師事。のち、川崎展宏の「招」創刊に参加。平成十二年、「ににん」創刊、代表となる。著書に、句集『朝の椅子』『螢袋に灯をともす』『硝子の仲間』『嘘のやう影のやう』、評伝『頂上の石鼎』など多数。 現在、「ににん」代表。俳人協会会員、現代俳句協会会員、国際俳句交流協会会員、日本文蓼家協会会員、日本ペンクラブ会員。平成十三年に句集『螢袋に灯をともす』で第一回俳句四季大賞、平成二十二年には評伝『頂上の石鼎』で第四十一回埼玉文芸賞を受賞。埼玉県朝霞市に在住。

 句集『白雁』は著者の第五句集であり、三百八句を収める。 あとがきに、句集名は

  万の鳥帰り一羽の白雁も
 の句から採用しました、と記してある。
  茎立や壁新聞の重ね張り

 フェルトペンに手書きで発行を続けた被災地石巻の新聞社を思い出した。厚くなった壁新聞に、読者と記者のつながりの深さを感じてしまう。

  ががんぼの打つ戸を開けてやりにけり

 心優しい著者である。風の強い日にはどうしているのだろう…と考えているかもしれない。自然界の多様性には分からないことばかりだが、人間に生まれたからには、すべての生きものに優しくしたいものだ。

  ふところに入らぬものに仏手柑

 ちょっと失敬して…は確かにできなさそう。枝が道にとびだしていたもので、美味しかった記憶がない。

  雁の声みづから夜具を敷く宿に

 連衆で雁の沼を訪れたのであろう、併せて十句が並ぶ。街で宿をとるような無粋なことはせず、雁の声を彼方に床へ。雁の気持ちに少し近づいた著者であった。
 清水哲男氏は帯に、万の人間の一人として万の鳥の一羽を詠む。等身大の人生から、ユーモアの歩幅とペーソスの歩速で抜け出してはまた、岩淵喜代子は地上の船に還ってくる、と記している。

敬老日

2012年9月17日 月曜日

 仙台の実家を離れてひとり暮らしを始めた孫から「17日に夕食を作りに行くから」というメールが入った。前日も休みなんだから、泊まり込みでくればと言ったら、日曜日は友達との約束があるという。もうすっかりひとり暮らしのリズムが出来ているみたいだ。

 今日は敬老の日。65歳以上の人口が3000万人を越えたという。割合で言えば24・1パーセント。団塊世代の先頭が65歳に達したからで、これから暫くは増え続けるそうである。24パーセントとは10人居たら2、3人は65歳以上の人ということだ。

 年齢から言えば私達夫婦は高齢者の大先輩だが、なんだかそういう感覚に目覚めていない。周囲には老人の世界に入ってしまった人もいるが、70歳を越えて毎年サハラ砂漠マラソンで完走している人もいる。今日の新聞には、70代の新人小説家がつぎつぎ誕生している話題があった。早稲田文学新人賞に75歳の黒田夏子さん、群像新人文学賞は74歳の藤﨑和男さん、短編集「神様のラーメン」を出した多紀ヒカルさんは73歳。そう言えば、出羽三山で買い求めた「見残しの塔―周防国五重塔縁起」の作者久木綾子さんは89歳の作家デビューだ。

 老人としての自覚がないなんて言っても、見た目十分お年寄りじゃーん」と言われそうだ。事実今年の盆休みに大挙してやってきた娘一族の唯一の曾孫が、私の手の甲を摘まみあげて「どうしてこうなるの」と聞くのだ。まるでグリム童話「赤ずきん」の場面だ。年寄りになればみんなこうなるのよ、と言おうとしたが、幼児にはもっと的確な言い方が有るのかなーなどとモタモタしているうちに「年をとったから」と宣う。なんだ知っているなら聞くなと思う間もなく、「うちのジイジーとバーバーはこうなっていないよ」と言う。

 うちのジイジーとは孫の嫁ぎ先の両親である。もう一組のジイジーとバーバーは紛れもない我娘とその連れ合い。すなわち曾孫がいつも「ボスとチナツ」と呼んでいる夫婦のことだが、それの説明もしそびれてしまった。この成り行きは時間にすれば一分くらいのことだったかもしれない。その間、言葉を発していたのは曾孫だけだった。なまじの分別がじくじく思いめぐらすことに終ってしまって、一言も返答しないうちに、我家の子悪魔は別のことに関心を向けてさっさと何処かへ行ってしまった。これが年を取ったということかもしれない。

現代俳句文庫――70・藤本美和子句集 2012年 ふらんす堂

2012年9月15日 土曜日

棕櫚剥ぎのはかどつてゐる埃かな
陽炎に入つてゐたる子供かな
瞬いてをりしところが芹の水
日の丸の上がつてゐたる冬支度
羽子つきのうしろが空いてゐたりけり
三枚に魚をおろせる野分かな
風呂敷に四角がありて桐一葉

現在『泉』副主宰。1950年生ということはこれから円熟をさらに見せてくれる作家なのであろう。しかし、句集ははじめから寂びを感じる作風で、これが泉風というのかもしれない。

橘いずみ第一句集『橘』 2012年九月 ふらんす堂

2012年9月15日 土曜日

エプロンの膝ついて摘むつくしんぼ
真つ白の毛糸編みゐて母となる
蜜柑むく母のとなりにすわりけり
噴水のてつぺんに雲湧いてをり
椎の実やこつんと孤独深めけり
教室のうしろに繭の深ねむり
せーたーより白き菟を抱きにけり

1963年生 「泉」同人。静寂な視線で身辺を掬い取った作品集。そのなかに子育て、学校と言う職場、父母のことなどが淡々と詠まれているのが好感を抱かせる。

峯尾文世第二句集『街のさざなみ』2012年9月  ふらんす堂

2012年9月10日 月曜日

帯・中原道夫
栞・大輪靖宏

靴下を干せば枯野に続くかな
日月や名もなき雲を乗する湖
ふるさとに水平線のある淑氣
鳥交る親のやうなる静かな木
ほんとうのやみとはこんな鹿のこゑ
夕鐘の色しみわたる夏座敷
ふところのふとこのごろの秋の風

第一句集以後の十年間が一集に収められているという。この十年という区切りは句集を編むのに適した歳月である。成熟の度を深めた峰尾文世さんの作品がそのことを、最も物語っているとおもう。靴下を干しても干さなくっても、枯野はそこにあるのかもしれない。しかし、ここには靴下を干しながら枯野へ近づいてゆく作者がいるのだ。何気ない日常も意識すれば特別な世界になることを教えてくれる一句である。

津川絵里子第二句集『はじまりの樹』 2012年8月 ふらんす堂

2012年9月10日 月曜日

帯文 山上樹実雄

笹鳴や亡き人に来る誕生日
日向ぼこ大樹の影が触れてくる
ビール飲む奥の座敷に詰み込まれ
池の水しづかにあふれ蓮の花
カーテンの襞から子ども冬日和
座布団のすべりの良さよ桜咲く

いずれも日常の風景であるにもかかわらず、非常に静寂な世界が繰り拡げられた。それは多分、作者の透徹した視野が生み出した世界なのだと思う。

『吉野』2012年8月号 主宰・野田禎男

2012年9月7日 金曜日

総合誌の秀句

闇匂ふ闇の中より闇を見る    岩淵喜代子 (俳壇6月号)

椎の花の夜を通しても強烈に匂ってくる様を、これまでの人生にも重ねて、これでいいのよね、と念を押している面白さがある。

『雉』2012年9月号 主宰・田島和生

2012年9月5日 水曜日

俳書紹介    筆者 二宮英子

『白雁』岩淵喜代子
 『白雁』は二〇〇八年に上梓した『嘘のやう影のやう』に次ぐ第五句集で三〇八句を収録する。
 句集の名の『白雁』は、《万の鳥帰り一羽の白雁も》から採る。

  夜が来て煽蛸はみな楽しさう

 蝙蝠の飛び交うさまを楽しそうだと受止めた句。蝙蝠のスピードを感じる大胆な句。

  晩年は今かもしれず牛蛙

 さらりと真実を言い遂げられていて、どきっとする句。晩年は確かにもう来ているのかもしれない。

  サングラス独りごころを育てをり

 サングラスをかけると世間と距離が広がる感じがする時もある。繭に籠るような心地かもしれない。「独りごころを育てをり」心の中を言われて粋だと思う。

  昼も夜もあらずわれから鳴くときは

 「われから」は正体不明の生物。例句を見たことがない季語である。昼も夜も鳴く「われから」に今の気持ちを重ねあわせてみた。俳句の可能性を広げてみせてくれた感じがした。

  盆踊り人に生まれて手を叩く

 人として生まれたからこそ、盆踊りの輪の中に入り手をたたいているのだ。切なくてうれしい。

  神棚は板一枚や法師蝉

 神棚は板一枚と見届けられたところが、この句のポイントであろう。法師蝉が鳴き始める朝夕には秋の気配が濃くなる。家の内に居て聞く秋の蝉である。

  地獄とは柘榴の中のやうなもの

 「地獄」と「柘榴」との果てのない離れようが見事である。美しい転進とも受け止めた。
 作者はあとがきでこう書いている。「書くことは《生きざま》を書き残すことだと錯覚してしまいそうですが、等身大の自分を後追いしても仕方ありません。句集作りは今の自分を抜け出すための手段のような気もしてきました」。改めて俳句の深さや幅の広さを実感する句集であ
った。

  尾があれば尾も揺れをらむ半仙戯
  幻をかたちにすれば白魚に
  登山靴命二つのごと置かれ
  鳥は鳥同士で群るる白夜かな
  風呂吹を風の色ともおもひをり

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