敬老日

 仙台の実家を離れてひとり暮らしを始めた孫から「17日に夕食を作りに行くから」というメールが入った。前日も休みなんだから、泊まり込みでくればと言ったら、日曜日は友達との約束があるという。もうすっかりひとり暮らしのリズムが出来ているみたいだ。

 今日は敬老の日。65歳以上の人口が3000万人を越えたという。割合で言えば24・1パーセント。団塊世代の先頭が65歳に達したからで、これから暫くは増え続けるそうである。24パーセントとは10人居たら2、3人は65歳以上の人ということだ。

 年齢から言えば私達夫婦は高齢者の大先輩だが、なんだかそういう感覚に目覚めていない。周囲には老人の世界に入ってしまった人もいるが、70歳を越えて毎年サハラ砂漠マラソンで完走している人もいる。今日の新聞には、70代の新人小説家がつぎつぎ誕生している話題があった。早稲田文学新人賞に75歳の黒田夏子さん、群像新人文学賞は74歳の藤﨑和男さん、短編集「神様のラーメン」を出した多紀ヒカルさんは73歳。そう言えば、出羽三山で買い求めた「見残しの塔―周防国五重塔縁起」の作者久木綾子さんは89歳の作家デビューだ。

 老人としての自覚がないなんて言っても、見た目十分お年寄りじゃーん」と言われそうだ。事実今年の盆休みに大挙してやってきた娘一族の唯一の曾孫が、私の手の甲を摘まみあげて「どうしてこうなるの」と聞くのだ。まるでグリム童話「赤ずきん」の場面だ。年寄りになればみんなこうなるのよ、と言おうとしたが、幼児にはもっと的確な言い方が有るのかなーなどとモタモタしているうちに「年をとったから」と宣う。なんだ知っているなら聞くなと思う間もなく、「うちのジイジーとバーバーはこうなっていないよ」と言う。

 うちのジイジーとは孫の嫁ぎ先の両親である。もう一組のジイジーとバーバーは紛れもない我娘とその連れ合い。すなわち曾孫がいつも「ボスとチナツ」と呼んでいる夫婦のことだが、それの説明もしそびれてしまった。この成り行きは時間にすれば一分くらいのことだったかもしれない。その間、言葉を発していたのは曾孫だけだった。なまじの分別がじくじく思いめぐらすことに終ってしまって、一言も返答しないうちに、我家の子悪魔は別のことに関心を向けてさっさと何処かへ行ってしまった。これが年を取ったということかもしれない。

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