2012年1月 のアーカイブ

贈呈誌記録

2012年1月30日 月曜日

いつもご恵与ありがとうございます。 徐々に書き足していくつもりです。
『りいの』・代表檜山哲彦 編集卓田謙一
『やぶれ傘』・主宰大崎紀夫 編集牛久保勲
『青山』・主宰山崎ひさを
『沖』・主宰 能村研三
『紫』・主宰 山崎十生
『都市』・主宰 中西夕紀  編集 本田燐
『梛』・主宰永方裕子
『波』・主宰倉橋羊村 編集 霧野萬地郎
『百燈』.主宰 雨宮きぬよ
『春塘』・主宰 清水和代
『鴫』・主宰 井上信子
『貂』・代表 星野恒彦
『耕・Ko』・主宰 加藤耕子
『ふらんす堂通信』・出版社ふらんす堂
『未来図』・主宰 鍵和田柚子  編集 守屋明俊
『大』・主宰 境野大波
『雉』・主宰田島和生 編集 鈴木厚子
『谺』・主宰山本一歩
『方円』・主宰石渡 旬  編集 中川由実
『歴路』 ・主宰向田貴子
『運河』・主宰茨木和男 編集 谷口智行
『らん』・主宰 鳴戸奈菜 編集 皆川燈
『会津』・代表 小林雪柳  編集 飯塚恒夫
『暁』・代表 室生幸太郎
『握手』・代表 磯貝碧蹄館  編集 朝吹英和
『麻』・嶋田麻紀 編集 松浦敬親『
『あすか』・主宰 野木桃花
『泉』・綾部仁喜 編集 藤本美和子
『浮野』 ・落合水尾 編集 河野邦子
『宇宙』・島村正 編集 矢澤賢一
『海原』・主宰 木内怜子 編集 須藤昌義
『ランブル』上田日差子 編集 山本欣子 中島喜久子
『若竹』・主宰 加古宗也   編集 田口風子
『雲云』・主宰 山本千代子
『繪硝子』・和田順子 編集 石澤青珠
『円錐』・代表 澤好摩
『GA』・主宰 秦 夕美
『かいぶつ句集』・榎本パンソン了弐
『蕙』・主宰 成井惠子  編集 飛田伸夫
『鏡』 ・主宰 寺澤一雄
『樫』・代表 森田智子 編集 高橋弘
『かたばみ』・守田公司  編集 花田由子
『かびれ』・大竹多可志  
『鷗座』・松田ひろむ 編集 姉﨑蕗子
『刈安』・代表 大木孝子 編集 宮田和子
『寒雷』・主宰 加藤瑠璃子
『季』・主宰藤沢紗智子 編集 上川謙市
『季刊芙蓉』・
『木の中』・主宰折井紀衣 編集 池上元和
『饗宴』・山崎聡  副主宰 河村四響
『京鹿子』・主宰豊田都峰 副主宰 鈴鹿仁
『きりん』・主宰 梶山千鶴子
『銀漢』・主宰 伊藤伊那男 編集 武田禪次
『雲』・主宰 鳥居三朗 編集鴇田智哉
『くるみ』・主宰保坂リエ
『弦』・主宰 遠山陽子
『鴻』・主宰 増成栗人 編集 谷口麻耶
『澤』・主宰小澤 實
『湖心』・代表 佐滝幻太  編集 村瀬ゆき
『犀』・代表 桑原三朗
『笹』・主宰 伊藤敬子 編集佐藤美恵子
『里』・代表 嶋田牙城   編集仲寒蝉
『清の會』・主宰 下鉢清子  編集古藤とり子
『山暦』・主宰青柳志解樹  編集 中村姫路
『椎』 ・主宰九鬼あきゑ  
『静かな場所』・代表 対中いずみ
『蒐』・代表馬場龍吉
『十七音樹』・代表 平沢陽子  編集 古瀬博
『秀麗』・藤田直子 編集 田沢健次郎
『朱夏』・酒井弘司
『春月』・戸恒東人  編集 入江鉄人
『萌』・主宰 三田きえ子   編集宮田勝
『門』・主宰鈴木鷹夫 編集 長浜勤
『鏃』・代表 吉原三朗  編集斎藤かずこ
『八千草』・主宰山元志津香
『遊牧』・主宰塩野谷 仁
『瓔』・代表 火箱ひろ
『吉野』・主宰野田禎男
『四葩』・松村多美 編集松村響子
『雷魚』・代表 小安容義  編集小林幹彦
『さいかち』・主宰高岡すみ子
『少年』・主宰稲田眸子
『水眀』・主宰星野光二 編集星野和葉
『篠』・主宰岡田史乃
『星雲』・主宰鳥井保和  編集中村悌二
『船団』・主宰坪内稔典
『爽樹』・小山徳夫  
『草蔵』・代表佐々木六戈
『太陽』・主宰務中昌巳  編集柴田南海子
『瀧』・主宰菅原鬨也   編集梅森翔
『鬣』・代表 林 桂  編集 水野真由美
『築港』・ 代表 塩川雄三  編集 氷川絢子
『槌』・代表 小檜山繁子
『手』・松本ヤチヨ  編集 松岡ゆみ
『天衣』・岬雪夫 編集 武智徹
『なんぢや』・代表 榎本了  編集鈴木不意
『南風』・主宰山上樹実雄  編集 村上鞆彦
『にいばり』・主宰神原栄二
『白桃』・主宰伊藤通眀
『街』・主宰 今井聖
『松の花』・主宰松尾隆信   
『毬』 ・主宰河内静魚
『琉』 ・代表橋本榮冶
『雲取』・主宰鈴木太郎 編集鈴木多江子
『花歴』・主宰舘岡沙緻
『ことばの楽園』・代表吉野裕之

つづく

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手術

2012年1月29日 日曜日

手が滑って、剃刀で小指の第一関節の上を切ってしまった。浅くはないと思ったのはかなりな出血があったからだ。そのまましっかり包帯を巻いておいたら一週間ほどで切り口は塞がって傷口も乾いてきた。それで初めて気がついたのだが、どうも曲げることは出来るのだが手助けがないと曲げた指が真直ぐにはならない。

そのうちもっと完治したら、伸ばすことも出るだろうと思ったが、外出のついでに整形外科に立寄ってみた。ところが医師の言うには筋を切ってしまったので、手術をしなければ戻らないと言う。それで、病院への紹介状を書いてくれた。病院へ行ったのが25日。怪我をしてから三週間近く経っていた。

若い医師は親指や人指し指は掴むことにも支障をきたすから手術をしなければならないが、小指は使わなくても日常に支障がないから、と手術のリスクのほうばかり並べた。医師がいちばん気にしているのは、日にちがたち過ぎていて、筋がぼろぼろびなっているから再生しにくい、ということだった。

でも、このところパソコン教室でipadの操作を教えて貰っているのだが、左手の小指だけ曲ったままなのが妙に気になった。曲ったままよりは、曲がらないままのほうがいいような気もする。医師は手術をするにしても来週になると言った。私はがっかりしたような気持ちで「そうですか」というと、また考えて、土曜日の午後に入れてくれた。

それで今日はその手術日、もういちど医師から手術をするかどうかの確認を求められた。どうも手術をすすめたくないようだった。「キャンセルしてもいいんですよ」と言うのだった。「どうしていいかわからないわー」と実際、途方にくれてしまった。こんなことなら俳句関係にも医師はたくさんいるのだから、情報を集めるべきだった。結局、初心貫徹でいくことにした。

吃驚したのは、小指の先の手術でも医師が二人がかり、その他のスタッフが四人ほど。血圧計や心拍計を取りつけられて手術台の上に横になった。麻酔も小指の先だけに効いているようで、他の指の感覚はあった。手術の半ばに交通事故の救急患者の問い合わせが入って、待てるなら来てもいいと指示しているのが耳に入った。

手術は一時間半くらいだっただろうか。やはり萎縮して端はぼろぼろになっていたがなんとか寄せて繋げたらしい。あとは私が回復のために念ずるしかない。いつか、イボを念じて消したように念じ続けてみることにする。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

去就

2012年1月28日 土曜日

集まりがあれば去就はつきのもである。それは淡々とやり過ごすことにしている。5年ほど滞在したMさんが去った。もともと、それなりの場を築いてきた人だから、むしろ独立したら発展があるだろうと思っている。以前からそれは伝えてあった。ただ、今回の去就はににんの外側の人が介入してしまってややこしくなった。

このMさんの去就のきっかけになった某氏の吃驚するような記事を発見した。「あのときの言葉が悪かったと、謝ってもゆるしてくれないで、10月からたびたび誹謗のメールが入ってくるので弁護士に相談しようと思っている。」というものだ。怖い人と思った。それで、改めて経緯だけを書き残して置くことにした。

★9月の下旬、某氏から突然「Mさんを苛めているの?」という電話があった。この発端は9月の中旬の朗読会にある。そこで、お手伝いをしたMさんが私に関わる話題を周囲にしたのが、集約されて某氏の電話の内容になったのである。分かりにくい箇所も出てくるかもしれないが、長くなるので枝葉は省く。

★10月のににん句会後の団団の席で突然Mさんが泣きだした。そこでの会話の流れから、ピアノを弾くTさんとチエロを弾くMさんで15周年祝賀会の席で共演すればと、私が言ったのが嬉しかったというのだ。Mさんは某氏から「我結社に来るか、自分で雑誌を立ち上げるかしかあなたに道はない」という電話を受けていたのだそうである。私は「苛めているの」という某氏の電話をはじめて伝えた。

★後にMさんから聞いたことだが、某氏は翌日も電話してきたという。「岩淵が某氏の結社賞を貰ったMさんに嫉妬している」という内容だ。そういえば、最初の電話の「苛めているの」の次の言葉は「Mさんに賞をあげちゃって不味かったかな、と思っている」だった。

★その賞のことは昨年の6月、Mさんから報告を受けた。そうして、某氏の苛め云々の電話は9月の下旬である。実家に不幸が続いていたMさんは、会も休みがちな時期でもあった。

★Mさんが泣きだした夜、某氏に抗議のメールを入れると、「他所の会に口を出して申し訳なかった」という謝罪メールがきた。某氏が「謝ったのに」というのはこの事を指す。しかし謝ったとは言っても、「苛めた」という問題は私達に残されてしまった。

★年末に二人になる機会を得たとき、Mさんは某氏の電話の内容を否定した。翌日、某氏へ「妄想を抱いてしまったのですか」というようなメールを書いた。その内容はMさんにも転送した。そちらの二人で片付けて貰いたいからである。どちらからも返事は無かった。わたしはこれを答えとして受け止めた。

★抗議のメールはこれで二回、某氏の束ねる会への退会届のメールが一回の都合三回が、某氏のいうたびたびという言葉に当たる。

齟齬とは、言葉の感覚の相違だと思っている。話し合えばわかるというのは理論に過ぎない。今回のやりとりで、Mさんとの間にもそれがあると思った。Mさんは、二度目の某氏からの電話へ「岩淵さんが、五年居てもいいと言いました」と返事をしたという。その何気ないような言葉だが、私は、洋服を後ろ前に着てしまったような居心地の悪さを感じた。

この居心地の悪さは、Mさんの泣いた場に居合わせた人には理解出るだろう。わたしは年末に区切りをつけるために「熟考しました。度量がなくて申し訳ありません。」、という書き出しで退会を促した。

私が正しいというつもりはない。そうしてMさんが悪いというつもりもない。ただ私の中に湧いた「嫌だ」という拒絶感が打ち消しがたく居座ってしまった。そのことで四面楚歌になっても、会員が激変しても、はたまたMさんの「苛められ歴」の3番目に連なることを想像しても、嫌なものは嫌なのである。

菅原鬨也著『鯨のこゑ』 2012年1月  滝発行所

2012年1月22日 日曜日

著者のあとがきによれば、題名の「鯨」は付けたい雅号でもあったようで『鯨のこゑ』は「私のこゑ」くらいな謂だと書き記している。一書は副題「 俳誌「滝」虚実潺潺セレクション」でもわかるように、ながい年月俳誌「滝」に書き続けてきた随想であり俳論である。

随想は折に触れて感応したものを書き込んでいるが、その内容に共通するのは、「滝」の本拠地である宮城とその周辺の所縁を持った人の話題であることで貫かれている。例えば、「加藤楸邨逝く」では草田男が楸邨を戦争協力者として非難していたのだが、第一回松島芭蕉祭がその草田男と楸邨だったこと。

芝不器男の「あなたなる夜雨の葛のあなたかな」が東北帝大に入学したときに詠まれたもの、というふうに、著者の郷土を軸にしていることで、密度を得ていて惹きこまれる内容になっている。

角川俳句賞・短歌賞 贈呈式

2012年1月20日 金曜日

初雪が一日だらだらと降り続いたが積もることはなかった。東京会館で、恒例の角川の俳句と短歌の授賞式が行われた。今回の俳句は「ふくしま」昭和28年生れの永瀬十悟氏。短歌は「一人、教室」立花開(はるき)氏。平成五年生れ、高校三年生である。まずは俳句の世界では、十代の受賞者はいまだ現れていない。短歌選者の一人島田修三の話しが面白かった。次点の作者との差を技と心の差で心が勝利を得た、と語った。

うすみどりの気配を髪にまといつつ風に押されて歩く。君まで

ほんとうは(涙もろくて努力家でピーマン苦手な)君が好きだよ

しあわせを探しに行ったチルチルとミチルのようにちょっとそこまで

私にはわからぬことが多くなりすこし寂しい三年過ぎて

 俳句「ふくしま」は題名を見ただけで、その内容を想像出来てしまった。そうして、50句読み進んでもやはり想像出来る内容だった。だが、本当の震災禍は言語を超えた、想像できないところにあるのではないだろうか。島田氏のことばを借りれば、「俳句賞」のほうは技でこなした50句である。何が問題なのかと言えば、俳句定型に納めようとする努力が、失敗に繋がっている。震災の背景は謳おうとするときにすでに失敗につながるのではないだろうか。謳う意識で季語へ逃げ込んでいるからである。

激震や水仙に飛ぶ屋根瓦
戻らない子猫よ放射線降る夜
再会を約す合掌雪解川
陽炎の中より野馬追ひの百騎
雁風呂と名付けて六日振りの風呂
流されてもうないはずの橋朧

戦争の句を思い出して見た。そこには定型に収めようとか、季語を押し込めようとかいう意識がなく、それ自体を追い詰め切る意識が働いている。

手と足をもいだ丸太にしてかへし       鶴   彬
射抜かれて笑って死ぬるまで馴らし     堤 水叫坊
退却が待ち遠しい銃をかついでいる    中山仮面坊
からくりを知った人形へ鞭が鳴り       岡本 嘘夢
軍橋もいま難民の荷にしなふ         平畑静塔
タンク蝦蟇の如く街に火を噴きつ       仁智栄坊
塹壕に一つ認識票光る             西東三鬼

『雲取』2012年2月号 主宰・鈴木太郎

2012年1月19日 木曜日

現代俳句管見       
           筆者  下條杜志子

八月の柱一つが拠り所  「ににん」秋号     岩淵喜代子

ことのほか暑かった昨年の夏だ。この句の八月はそんな極暑を思い出させる。そして、 柱は実物の柱とともに、乗りきるための精神的支えだといえようか。八月という月は年配者には遠いしかし忘れがたい月として記憶されていよう。従ってこの句の柱はさまざまに読める。ある者には信念だったり、ある者には思い出であったり。柱は頑丈な方が良い。    

初句会

2012年1月9日 月曜日

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松島海岸に近いホテルで正月を過ごした。料理に添えられていたつくばねの実。葉の長さが3センチもないような小さなものだが、羽子板で衝く追羽根そっくりである。いつだったか、石鼎の吉野を訪れた時に、つくばねの樹へわざわざ案内してくれた人がいたので、結構珍しいものなのかもしれない。この実に出合ったことを吉祥と思って、新しい年を歩み出すことにしよう。

初句会は祭日であったことから、平日では来られない人の参加もあって部屋は満員状態だった。俳句は集まることで相乗効果を自分に齎すものなのかもしれない。それだからこそ、みんなが集まるのだろう。事実、わたしにしてもこの会があるからこそ俳句を生み出せるような気がしている。これまで幾度も吃驚するような名句も生れている。人の句だからここに紹介するわけにはいかないが・・。

衝羽根(つくばね)はビャクダン科の落葉低木。写真の4枚の葉の根元が実である。塩漬けで保存して料理の飾にするそうである。今年はひさしぶりに吉野に行ってみよう。

大関靖博第四句集『五十年』 2011年 ふらんす堂

2012年1月9日 月曜日

「轍」主宰の大関氏は中学校で能村登四郎に出合ったことが、俳句を作るきっかけになったという。只今の己を見詰めた自照の句集である。どの作品にも静かに佇む作者の視線を感じる。

春暁に出てゆく猫を見送りぬ
ぼうたんの白き炎を燃やす闇
父の日はたとへば天の昼の月
仮の世といへどもこたびも障子貼り
生き恥を曝して生きる海鼠かな
柏餅無口の口を開きけり
豆を撒くおのれ自身の鬼にも撒く

小檜山繁子第七句集『坐臥流転』 2011年 角川書店

2012年1月8日 日曜日

 昨年度の現代俳句協会賞受賞者である著者は、加藤楸邨の沙漠の旅に幾度となく同行している。その薫陶ぶりは女楸邨の名を被せているひともいる。

見回せば柱総立ち秋の暮
冬晴れの身の芯を川流れをり
旅の果新じゃがいもを煮ころがし
原爆忌猫の溜り場水置かれ
白鳥の闇ひた寄せてねむるなり
山独活や空のかけらが沢の中
肺の写真切り売りしたる枯野かな

最近作の単純化がかえって奥行きを感じさせるようになった。

林檎一つ大きな夜に入りけり
木枯の底をこりこり小擂鉢
葉桜のうおーんうおーんと幹の芯

週刊俳句編『俳コレ』 2011年  邑書林

2012年1月7日 土曜日

野口る理「眠くなる」
象死して秋たけなはとなりにけり

福田若之「302号室」
白鳥を三人称の距離に置く

小野あらた「隙間」
鷹去つて双眼鏡のがらんどう

松本てふこ「不健全図書」
コスモスに次から次へ風が吹く

矢口 晃「白壁に蛾が当然のやうにゐる」
あと二回転職をして蝌蚪になる

南十二国「星は渦巻」
遠ければ山はそらいろ桃の花

林 雅樹「大人は判つてくれない」
枯野にて曽良が芭蕉を羽交締め

太田うさぎ「蓬莢一丁目」
梟なら少しきつめに抱いてやる

山田露結「夢助」
給油所をひとつ置きたる枯野かな

雪蛾狂流「こんなに汗が」
母の日はキリンの首を見て帰る

齋藤朝比古「良夜」
囀りや日影と日向隣り合ふ

岡野泰輔「ここにコップがあると思え」
シチリアへ行きたし玉葱を焦がし

山下つばさ「森を飲む」
あぢさゐに潜水艦の浮上せり

岡村知昭「精舍」
折鶴のところどころの沙漠かな

小林千史「エチュード」
波はげしければはげしき踊かな

渋川京子「夢の続き」
螢よりさきに来てゐる男かな

阪西敦子「息吐く」
人日の顔のすみずみまで洗ふ

津久井健之  「ぽけつと」
休講と知りてぎんなん匂ひだす

望月周  「雨のあと」
一本の冬木をめがけ夜の明くる

谷口智行 「紀のわたつみのやまつみの」
囲炉裏辺のみな老猿に見えて来し

津川絵理子 「初心の香」
ものおとへいつせいに向く袋角

依光陽子 「瓢然」
天井に風船あるを知りて眠る

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