初雪が一日だらだらと降り続いたが積もることはなかった。東京会館で、恒例の角川の俳句と短歌の授賞式が行われた。今回の俳句は「ふくしま」昭和28年生れの永瀬十悟氏。短歌は「一人、教室」立花開(はるき)氏。平成五年生れ、高校三年生である。まずは俳句の世界では、十代の受賞者はいまだ現れていない。短歌選者の一人島田修三の話しが面白かった。次点の作者との差を技と心の差で心が勝利を得た、と語った。
うすみどりの気配を髪にまといつつ風に押されて歩く。君まで
ほんとうは(涙もろくて努力家でピーマン苦手な)君が好きだよ
しあわせを探しに行ったチルチルとミチルのようにちょっとそこまで
私にはわからぬことが多くなりすこし寂しい三年過ぎて
俳句「ふくしま」は題名を見ただけで、その内容を想像出来てしまった。そうして、50句読み進んでもやはり想像出来る内容だった。だが、本当の震災禍は言語を超えた、想像できないところにあるのではないだろうか。島田氏のことばを借りれば、「俳句賞」のほうは技でこなした50句である。何が問題なのかと言えば、俳句定型に納めようとする努力が、失敗に繋がっている。震災の背景は謳おうとするときにすでに失敗につながるのではないだろうか。謳う意識で季語へ逃げ込んでいるからである。
激震や水仙に飛ぶ屋根瓦
戻らない子猫よ放射線降る夜
再会を約す合掌雪解川
陽炎の中より野馬追ひの百騎
雁風呂と名付けて六日振りの風呂
流されてもうないはずの橋朧
戦争の句を思い出して見た。そこには定型に収めようとか、季語を押し込めようとかいう意識がなく、それ自体を追い詰め切る意識が働いている。
手と足をもいだ丸太にしてかへし 鶴 彬
射抜かれて笑って死ぬるまで馴らし 堤 水叫坊
退却が待ち遠しい銃をかついでいる 中山仮面坊
からくりを知った人形へ鞭が鳴り 岡本 嘘夢
軍橋もいま難民の荷にしなふ 平畑静塔
タンク蝦蟇の如く街に火を噴きつ 仁智栄坊
塹壕に一つ認識票光る 西東三鬼