2013年4月 のアーカイブ

花行脚の最後

2013年4月27日 土曜日

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25日・26日の旅は桜を思いっきり見る旅。といっても写真のように盛は過ぎていたが、その代わりに樹相がみごとに浮き上がって、錦絵のようになった。

旅行のあとは食傷気味になるのはいつものこと。今回の宿はそれほどの御馳走があったわけでもなく、最後に佐久平途中下車での鯉料理くらいだったのだが・・・。今日の食傷気味は多分旅の疲れからだろう。お茶やコーヒーは咽喉を通るのだが、食事をする気にはなれないまま神保町の東京堂に出掛けた。会の始まる前に喫茶店に拠る余裕があると思っていたのだが、目論見が外れてそのまま会場に入る羽目になったので、ドリンクはジュースを選んで、一息ついた。

今日のトオークショウは、『最後の思想』の著者富岡幸一郎氏と『吉本隆明論集』の著者田中和生氏。発行元のアーツアンドクラフツ刊行記念の催事である。司会が正津勉さん。語りを聴いているうちに、三島由紀夫と吉本隆眀という二人の作家が、戦後という時代と闘ってきたことが少し理解出来た。生き残ってしまったとい想いと助かったと言う想いの両方を抱えていたのだ。俳人ではそれに近い思想を持っていたのは高柳重信あたりなのだろうか。

そして、『最後の思想』・『吉本隆明論集』の本と並んでいたのが正津さんの『風を踏む』であった。同じアーツアンドクラフツ社の刊行だ。著書は写真でも解るように小説「日本アルプス縦断記」、すなわち碧梧桐の足跡を追っているらしい。この日本アルプス縦走は作者正津勉氏自身も辿ったのだろうと思う。
burogu

花の果て

2013年4月18日 木曜日

 夜のカルチャーでは、毎回持ち句5句の句会をするのだが、そのほかに当日の直前に兼題で作ることにしている。そのため教室に入ったとたんに嫌でも緊張度が高まるのである。俳句は集中度と瞬発力が必要なので、こうした瞬時の作りかたは大いに役立つ筈だと思っているのである。実際、一ヶ月かけて作ってきた句と瞬時に作った句を比較しても、時間をかけた句がいいとは限らないからだ。

先日、その兼題に「花の果」「花果て」を出した。ところが、みんながぶーたれはじめた。歳時記にも無いし、広辞苑にもないというのだ。わたしは目を白黒させてしまった。

  花果てのうらがへりたる赤ん坊   『嘘のやう影のやう』

わたしの作品のなかでは好きな句なのだが、この季語「花果て」っていうのは案外ポピラーな季語と認識していたからだ。現にこの句はいろいろな人が鑑賞してくれたが、歳時記にないことに着眼した人はいないのである。みんなすんなり花の散り果ててしまった時期を詠んでいると感じてくれた。たとえば、この句を歳時記にないことに気がついて「花過ぎ」に直すだろうか。いや、それでは本来の明るさが損なわれるような気がする。

あわてて歳時記を繰ってみたが、そこには「花過ぎ」は出ているが「花果て」はたしかに出ていない。俳句検索をかけてみると、やっと二句の「花の果」が見つかったので、ないわけではないのだ、とやっと動悸がおさまった。

新橋に居ると電話や花の果     依光陽子
継橋に老の十歩や花の果      村上光子

「花過ぎ」と「花果て」にはかすかな季節のずれがあるような気がする。「花過ぎ」とする時に、その語音がかすかな花の湿りをもたらすが、「花果て」になると花の感触も消えてからりとした空気が漲る。そういえば昨日4月17日は平林寺のお祭りだったはずだ。いつもは八重桜の落花が祭を彩るのだが、今年はその八重桜も散ってしまっていただろう。

安西篤句集『秋の道(あきのタオ)』  2013年  角川書店

2013年4月12日 金曜日

   春霞猫がひきずる寝巻紐

 春霞からひきだされ猫の光景。紐はまさか猫自らの寝巻の紐ではあるまい。飼い主の着替えたばかりの寝巻のそれである。そうしてまた、視線は春霞へ戻るのである。ここでは、猫と春霞が楔を打たれたようにゆるがない。

  蟇轢かれやがていつもの土となる
  打水やちょっとそこまで逝きし人

年齢からくる諦念のようなものが、現れる

  憲法九条座敷に椿象いる気配
  陽炎や鳥獣戯画の端に人
  春の砂丘男の影が折れている
  陰干しの人間がいる白夜かな

作者の中枢をなす作品ではないかと思う。重厚な油絵的な構図が
印象にのこる。

中戸川朝人句集『巨樹巡礼』  2013年 角川書店

2013年4月12日 金曜日

ーー巨樹の前に立つと、巨樹の方からの発信が実感出来て、ときに震えるような感動を覚えることがある。--という作者のことばが帯にある。

手をあてし松をはじめの巨樹めぐり

たしかに、あの巨木の幹には不思議な懐かしさを感じるものである。この句集は遺句集になってしまっているが、作者が用意していた句集なので、頁を繰るたびにさまざまな巨樹が立ちはだかる。

彩曳いて新幹線過ぐ椨の花
柏槇の風に発ちゆきヨットの帆
一行を容れ大杉の木下闇

どこをひらいても気持ちのいい巨樹に出合えて、作者中戸川朝人の意欲的な句集への姿勢が感じられる。

今年の桜

2013年4月10日 水曜日

 振り返ってみると、3月下旬の吟行を決めるときに、ちらほら桜が見られればいい、と言い合ったのだが、当日24日は殆どどこもかしこも満開になっていた。
 ことに桜スポットのひとつである中野区の哲学堂の古木が見事だった。あの日は、期待していなかっただけに思わぬ贈り物を貰ったような気分だった。
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 あれ以来、さー、これから桜見物の日々だ、と張り切っていたのだが、今年の桜のなんと慌ただしかったことか。
 咲き始めてから、2回も激しい嵐に見舞われた。こんなに荒れた春は初めてである。今はもう八重桜の時期である。

 結局思いかえすと、やはり哲学堂の桜が、今年の唯一の桜見物だったことになる。ここの桜には思い出がある。小学校のときに担任の先生に連れられてきて、詩を書けと言われた。みんな小さな遠足のような気分でいたので、今度は吃驚したのだが、それからどうしたのだっただろう。

 教室に帰ってから、先生が後ろの黒板一面に詩を書きはじめた。

    春のお花見きてみれば そよ風吹いて花散るよ

 私の書いたものだった。この後も「春のお花見来てみれば」を繰り返しながら、あたりの風景を書きとめたと記憶しているが、全然思い出せない。あれが人生の初吟行だったのである。

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