‘喜代子の折々’ カテゴリーのアーカイブ

昨日の土筆

2017年3月25日 土曜日

170325_0845~01  昨夜は、灯の下で土筆のハカマを取り除き、それを湯掻いて鮨酢で漬け込んでみた。
意外な鮮やかさを見せて、朝食の卓上を彩っていた。

雑誌もとどくかもしれないので、不足の封筒を買ってきて、また灯の下でラベル貼りをした。昨日の土筆のハカマ取りも今日の封筒の宛名貼りも、なんとなくオママゴトめいている。

ににんの封筒を透明な袋にしてからは、発送の手間が半減した。それよりなにより封筒の価格の安価なのが有難い。

雑誌を発行するにあたって、おのずと必要な最低費用というものがある。ににんも30人くらいになった時にようやく同人費ですべてをまかなうことが出来るようになった。現在は雑誌社への広告代金なども、その会費の中で賄われている。

土筆が一気に

2017年3月24日 金曜日

170324_1949~01 郵便局へゆく道すがら土筆を見つけた。一本みつけると次々と見つかるものだ。 やっぱり春が来た。

足の親指を骨折したことをブログで公開してしまったので、あちらこちらへご心配をおかけしてしまったが、3回目のレントゲン検査で、ズレる心配もなくなったので、あとは骨の修復を待つだけになった。

さすが、吟行の予定はすべてキャンセルしたが、それ以外の予定はいつも通りのままにこなした。親指を庇って歩くのは、思わぬ疲れ方をするものだ。何度マッサージに通ったことか。

明日あたりは「ににん」66号が印刷から上がってくるらしい。今回から今までのクロネコをやめて佐川宅急便になるというお知らせも届いている。大和運輸が一箱千円ほどの値上げをするらしい。

ににん66号入稿

2017年3月9日 木曜日

やっと本日無事に66号の入稿が済んだ。

その忙しさのためでもないのだが、一週間前の家の中で転倒して足の親指を骨折してしまった。別に急いだいたわけでもない。通り過ぎながら戸の開いているのに気がついて部屋に入ろうとしたら、ものすごい勢いで部屋の中に倒れこんでしまったのだ。

履いていたスリッパが脱げないで、敷居の段差を滑ったような気がする。そこで勢いがついたようだ。倒れこんだときも、「何なの、この衝撃は」、と思うほどだった。

病院で、ドクターの言うには結構複雑だよという。それで、ギブスで松葉杖をつくような成り行きになりそうだった。それを、頑強に断って隣の指を支えにしてテープで固定してもらうことになった。「来週必ずいらっしゃいよ」とドクター言った。さらに「ズレていたら手術だよ」という声が追いかけてきた。

さすが吟行は断ったが、それ以外の仕事は足を庇いながら一週間を過ごした。ズレていないように、と願いながら病院へ行った。またレントゲンを撮られた。その結果、少し亀裂の一部が薄くなっていて修復され始めていたらしい。なんといっても、ズレなかったのは良かった。

入稿も済んでいたので、晴れ晴れとした気分で病院を出た。66号と言えば季刊の「ににん」にとっては16年半が経ったことになる。20周年もあっという間に来そうである。

一月も終り

2017年1月30日 月曜日

1月もあっという間だった。⒈日2日までは寝正月だったが、3日にドライブがてらの秩父の初詣から始まって、小さな句会、大きな句会。そうして小さな吟行会、大きな吟行会があり、その間を埋めて新年会がいくつも続いた。

極めつけの大きな会が角川書店の新年会、そのあとに続く角川賞受賞の松野苑子さんのお祝い会。なんとなんとその会で「岩淵さん乾杯をお願いします」と言われた。

「だって、乾杯って長老がやるものでしょ」と目をパチクリしたが、どうも、あちら側のひとたちには私は、長老なのだ。そんなのやったことがない、と地団駄踏んでも誰も見てない。

苑子さんとは、吟行会の一つのお仲間として何年も続いているが、初対面はドイツだった。俳人協会の方々とドイツを巡ったときに、ケルンだったろうか、日本大使館の中でドイツの俳人たちと交流した。当時、近くに滞在していた苑子さんがお顔を見せたのだ。

お互いにその日のことを覚えていなかったのだが、アルバムを整理しているときに、彼女の手書きの名刺が出てきたのだ。20年くらい前のことだ。

そうして、二番目のパーテイが昨日。霞が関ビルの最上階で行われた句友の句集『金剛』の出版記念の会。著者草深昌子さんとは結社「鹿火屋」からの長いお付き合いだ。三十年くらいになるかもしれない。

年を取るということは、そういう長いながいお付き合いを重ねた人たちとの年月が増えるということなのだ。明日のカルチャー教室が済めば、一月は本当に終わってしまうのである。

ににん初句会

2017年1月9日 月曜日

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3日は秩父の聖神社までドライブ。4日は初吟行で矢保天神に出かけた。なぜ句会の係りが谷保天神を選らんのか境内に入ってすぐ納得した。この神社は一年中鶏を放し飼いにしているのである。今年は酉年だ。

そうして、7日は新江戸川公園の施設内で初句会。そうして今日はににんの初句会。関西から飛行機で馳せ参じてきた方もいたので、にぎやかでお正月らしい華やぎも出た。

このににんの初句会も、年度初めには初詣をしているが、今年は近くの一陽来復のお札を出す穴八幡に出かけた。ここは冬至の日には、御札を受ける人の長蛇の列が出来る。今日でもまだ長い列が続いていた。

こんなにあちらこちらにお参りしてもいいものかと言われそうなので、お賽銭はしっかりあげてきた。

ににんも15周年が過ぎた。長くなるということはマンネリにもなるということである。何とか本当の意味で新しい展開があれば、と思っている。

あけましておめでとうございます

2017年1月1日 日曜日

約束したかのように今年も新年は穏やかに明けました。除夜の鐘を合図に近所の氷川神社にお参りに行くことも恒例の行事です。いつものごとく、長蛇の列が出来ていて家に帰ってきたのは1日の午前2時ごろ。

酉年の絵馬のついた破魔矢を買って初御籤も手に入れました。170101_1237~02なんと大吉、さらにおまけの毘沙門天のシール、勝運の神様らしいです。携帯の昨年の恵比寿様の隣にさっそく貼りました。

振る舞いの甘酒のせいもあって、寒さを感じない初詣でした。さてお参りしたのだから、何か今年の抱負などなければいけないのに、全く思いつかない。なにしろうろうろと目前のやらなければいけないことをやり切ることに追われています。

そんなわけで、年賀状はこれから書きます。ににんの仲間、それからすぐに出会える句会のお仲間には直接ご挨拶しようと思います。

本年もよろしくお願いいたします。
みなさまのご多幸をお祈り申し上げます。 岩淵喜代子

やっと帰ってきたパソコン

2016年12月23日 金曜日

前の書き込みを見ると12月8日になっているから、すでに二週間を越えているのだ。ずっとネットもメールもつながらなかった。

丁度ににんの初稿を済ませたデーターを送って間もなく、間違ってクリックしたばっかりに初期化してしまったのである。まー、それでも、中身が見えればよかったのだが、その中身が所有しているofficeの№を書き込めという表示が出た。

今考えれば、その指示に従っていたほうがよかったのかもしれないが、番号はほかにもあったので、もしこれ以上ヘマをしてもいけないとPCデポに持ち込んだ。

そうしたら、なんとなんとそれから戻ってくるのが二週間近くも経ってしまったのだ。詳細を言えば、Windows8になってしまっているので一度全部データーを移して、それからWindows 10に入れ替えるというのだ。

もうこの際仕方がないと思ってそれに従ったのだが、必要なフアイルをCDに移してもらって、古いパソコン(2004年のWindowsXP)で作業をすることにした。

締め切り日のきている原稿が、戻ってきたパソコンでやっと送ることができたのだが、まだまだ、以前と違ってしまった表示、無くなっているアプリなどなど、非常に不便になった。

パソコンも自分の使い勝手にするためには月日が必要なので、迂闊に修理に出してはいけないことも、この際肝に銘じた。漢字変換にしてもどのくらいもどかしい思いをすることか。

一番不便を感じているのは、今まであったスタートボタンが無くなっていることだ。電話をすると、本来は必要な出張費、それを無料で調整に来てくれるという。それも暮も押し詰まった27日でなければ順番が回ってこないという。やれやれ。

 

さいたまスーパーアリーナへ

2016年12月8日 木曜日

7日は、いつもはににんの編集部で校正したゲラをパソコンで訂正し終わって印刷所に入稿する日である。

しかし、昨日は埼玉スーパーアリーナで行われる『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ』を観に行った。60歳以上の人を募集して編成した芝居というかオペラというか、とにかくとてつもない大人数が舞台で演じるのである。6月に亡くなった蜷川幸雄さんの企画した群衆劇だという。

そんな演劇に出掛ける気になったのは、カルチャーの受講生がそこに出演するというからだ。出演者は1600人、観客が8,000人というマンモス劇場のある「さいたま新都心駅」も初めて降りる駅だった。

すべてがロミオかジュリエットである。そのロミオ達とジュリエット達に将来の夢を語らせる場面がある。この場面は二年程前に見た映画『滝を見に行く』を思い出させた。映画も一般公募の人たちによって構成されたものだった。

出掛けるまで修正していた「ににん」原稿の残りも帰ってきてからし尽した。これを印刷所に送ってしまえば安眠できるようなきがして、いつも真夜中でも印刷所に送ってしまう。

ところが、昨夜は睡魔が襲ってきて、パソコンの画面を見ながら眠ってしまいそうになる。やっとのことで送るだけおくって、ベットに辿りついた。

三種類の眼薬を寝ながらさすつもりだったが、最初の目薬を差しただけで、薬はみんな残っていた。さらには、もう一度、データーが無事に送られたか確かめてみると、何度も同じフアイルを添付していたりして、眠りながら行った痕跡が残っていた。

さらには、送信しないデーターが一点残っていた。とにかく無事に「ににん」65号の入稿が済んだ。

11月の初雪

2016年11月24日 木曜日

起きたら雪世界なんてことは何回も体験しているが、11月の初雪の記憶はない。ニュースで54年振りだというから覚えていてもいいかもしれないが……。

とにかく朝、眼が覚めたら雪景色になっていた。このごろの気象庁の予報は外れない。昨日の寒さの続きのように、雪がばさばさと降りしきっていた。

昨日思い出して、電車を待っている間にご無沙汰している荒さんにご機嫌伺いのメールを入れた。ついでに明日は雪だなどと、とんでもないことを言っていることもつたえたのだが、ほんとうに11月の雪が降った。

 

「円錐」創刊25周年祝賀会

2016年11月13日 日曜日

澤好摩という名前をいつ頃から意識したのだったか。とにかく幾十年か前である。本名なのか俳号なのかもいまだ知らないのだが、名前に先ずは惹きつけられたような気がする。

その澤好摩さんに出会ったのは10年くらい前の「俳句界」の座談会の席だった。他の俳人も初対面だったし、そのことに驚くことは無かったはずだが、澤好摩さんがその場にいたことは遭遇したという感覚だった。

こんなことを書くと、さぞや澤好摩さんの作品、文章、その業績を熟知しているように思われそうだが、全くその作品も文章も読んでいなかった。ただ年月の間に、活字上で澤好摩と言う名前に出会うたびに、そこに立ちのぼる人物の空気のようなものを蓄積してきていたに過ぎない。

本人が知ったら、ほんとうにがっかりしてしまうと思うのだが、俳句の世界の私とは遥かな反対側で生きている作家なんだというぼんやりした認識しかなかった。

そんな澤好摩さんの「円錐」での創刊祝賀会での企画が「どっちが名句だ」というもの。著名俳人の誰もが知っている名句と呼ばれる句を論じ合うのだ。

一満月一韃靼の一楕円   加藤郁乎

秋の航一大紺円盤の中   中村草田男

最後の「名句くらべ」はこの二句。途中で草田男の句に誰かが「これ名句なの」という声を発して、誰かが「草田男の句集の序文で虚子がとりあげているらしいよ」と答えた。

わたしも、どちらも好き嫌いでいえば嫌いの箱に入れてしまう。われわれはこの句を数ある作品の中から覚えたというよりは、名句として差し出されて覚えた、という不幸を背負っているのかもしれない。

とにかく面白い企画だった。この場でほんとうに久しぶりに藤原龍三郎さんに出合い、三宅やよいさん、関根誠子さんにも出会えた。池田澄子さんにも一年くらい合わなかっただろうか。忘れるところだった。十郎さんも何年振りっていう感じだ。

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