‘喜代子の折々’ カテゴリーのアーカイブ

ににん83号入稿

2021年6月11日 金曜日

karasu鴉いつもながら久しぶりの投稿である。書くことが無いかといえばそうでもない。先月末の26日頃だったが、知人の絵画展を観るために上野の森美術館へ出掛けた。

上野駅構内はいつもと同じように感じたのだが、上野公園口を出て文化会館と西洋美術館の間の広場を動物園方向に目をやると、あたりにひと影が無い。全く無いのである。雨が降っていたがそのせいではないだろう。

いつもだったら動物園へ向かう列があって、噴水の周りのベンチはみんな塞がっているのに。真夜中だって、上野の森に人影がない事などないだろう。木々が青々としていて綺麗だった。それなのに、その一人も人影のないような上野を撮り忘れてしまった。残念である。実はあまりの人影のないのに怖ささえ感じてしまって、そそくさと美術館に入ってしまったのである。

83号も無事に予定通りに出来上がりそうである。

またまたの自粛生活

2021年4月18日 日曜日

夫が亡くなったのが2019年12月。その葬式が済んだとたんのコロナ感染騒ぎが今も続いている。その葬式で顔を合わせて以来、孫にも会っていない。今年の12月には三年忌になる。

足掛け三年ってこういう単位を言うのだろうか。オリンピックもやる気でいるみたいだし、ワクチンも9月までには行き渡る見通しが立ったと、今日聞いたばかりだ。やっと少し先が見えてきた。

昨日は前橋の教室に、今年初めて出席した。みんなは足を引きずりながらやってくるのではなかと心配していたが、意外や今回の怪我は歩行には影響しなかった。

それにしても入院すると言うことは、それだけで筋肉が衰えてしまうようだ。入院している間も院内を三千歩くらいは歩いていたつもりだったが、そんなのは歩いたうちには入らなかったらしい。

その弊害はもろに身体のいたるところに現れた。はじめは歩行のたびに腰のあたりが重くなって、家に着くころには腰の周りにお米の袋でもぶら下げられたような重さになってやっとの思いで家に着くのだ。

その腰の重さも湯船に入るとスーと消える。引力が作用しているのが歴然と証明された。歩行は最初に慣れてきたが、今残っているのは背中の疲労感である。何となく背中を庇う起ち居を続けていたが、祟ったのだろう。でも仕方がないのである。背中を切って手術は行われたのだから。

それでも、日にちが加わるごとに、筋肉が付いたのか、あるいは慣れてきたのか少しずつ解消されてきたのを感じるので、まー、気長に慣れていくことにした。岩淵喜代子

開花宣言

2021年3月16日 火曜日

hana3月15日に開花宣言が行われた。わが地元の黒目川沿いのさくらも、ちらほらしてきた。

それにしても、ながいながい自粛生活だった。なんとかここで終わって欲しいものである。長いのはわたしのブログの空白も続いた。入院生活をしたが、病院では、Wi-Fi環境を作って個室にいたから、ブログの更新は出来るはずだった。だが、締め切りやら、メールの整理やら、地方版の新聞俳句欄の選句などをするに留まった。

しかし、病院生活は子供を出産したとき以来である。あの時は、病院は医師と看護婦さんだけしがいないように思ったが、入院したのは大病院、いろいろな職種の人が入れ替わり立ち代わり病室にやってきて賑やかだった。1月30日に入院して2月16日に退院した。

七種

2021年1月7日 木曜日

I和銅開宝G_1172 (002)三日に秩父市黒谷にある聖神社に初詣にいく。年号「和銅開珎」の由来にもなった銅の出たところが近くにある。この神社は無人なのであまり早く出かけて行っても神主さんがいない。車で出かけるのだが、何回かの経験で、八時ごろ出かけてゆくと待たないでお札も買えた。

今日、七日は七種粥を食べて一日が始まったのだが、何んとコロナ感染者が2447人。去年は百何人かの数で学校まで休ませて自粛を続けたが、その何十倍もの数を突きつけられて、もっと積極的な方法はなかったのかとも思うのだが…。

とにもかくにも、この驚異的な数字が、そんなに急に減るわけはないのである。結局、都内のカルチャーは昨年の二月の自粛からずっと自粛のままである。

自粛に続く自粛のまま、さらなる積極的な自粛をせざるを得ない。娘にメールすると、「そうそう、家に居てね。必要なものがあったら送るから、と「その言葉を待っていた」と言う感じで即座に返信がきた。

黄金の城

2020年10月29日 木曜日

フエイスブックに登録しているのだが、開けるのは誕生日だけ。自分でも忘れている誕生日に気が付くのはお知らせがくるからだ。お祝いしてくれる人たちのところにも、お知らせが行っているのだ。だから私の書き込みは年に一回だけ。わたしより少し遅れて28日に孫の誕生日が来る。孫と言っても30歳になる一児の母だ。

その孫の去年の私の投稿を今頃読んだ。『あーしゃん見てると、歳とっても楽しいと思えるよ!』と書いてあった。へー、そんなふうに見えるんだ、と改めて家族の目に映った私を認識した。

夕焼7

夕焼時の一瞬、我が家の窓から眺める位置に黄金の城が出現する。ふだんはコンクリート色のアパートで、人の出入りも見える5階建ての建物。その隣の建物が重なって、10分くらいの間だけ黄金色になるのだ。わたしは、その黄金色の城を眺めながら、夕暮の散歩を兼ねた買い物に出かける。

誕生日と「ににん」20周年

2020年10月23日 金曜日

かげ4  朝8時ごろの風景。朝などあまり行かない部屋なので、こんな影絵がでていることに何十年も気が付かなかった。これって「ににん」の記念号の挿絵のようではないか。

「ににん」二十周年もまだあと八十一号に続くのだが、次号はこんな挿絵は入らない。入れられるところがあれば、入れてもいいかなと思っているほど気に入っているデザインである。そうしてなんとなんと誕生日だけは確実に来る。

娘から今夜8時から集合!という声が掛かった。集合と言ってもラインのビデオ通話だ。そこで、娘夫婦、孫二人の家族が集まって、突然お誕生日おめでとうと声がかかり乾杯という声があがった。祝われているのは私だった。

本の断捨離

2020年10月23日 金曜日

書棚の本をときどき片付けないと、足の踏み場もないほど本が溢れてしまう。思い切って断捨離をすることにした。一回読んでまた読むこともたしかに有るのだが、最近は目が疲れてなかなか読書に時間が割けない。

一部屋書庫にしてもいいのだが、その本たちを誰が管理してくれるのかと思えば、なかなか書棚を増やすわけにはいかない。必要な人に貰ってもらうことにしている。

それと石鼎に関わる資料はほとんどは、スキャンしてPDF加工にしてもらったので、いつでも、パソコンの中で読むことが出来る。古い「鹿火屋」誌などは、そうしなかったらぼろぼろになっているだろう。

PDFに加工してあるデーターの良さは、検索ができるのが強み。ときどき、石鼎のこの句はどこにある?
あるいは、これで間違っていない?などとの問い合わせなどがあったりするが、検索機能が発揮されて、一頁ごと繰っていく作業をしなくていい。

このPDF加工を施したおかげで、石鼎に関する本をもう一冊書こうかなと思い立つことが出来そうだ。

鬼アザミ

2020年7月31日 金曜日

アザミ

鬼薊と勝手に呼んで、そのたくましさに出会うたびに吃驚していた。大きさだけではなくその棘で人が刺せそうな鋭さなのである。子供がうっかり倒れ込んだら大怪我になりそで、草花などとは侮れない植物である。

今日改めて鬼薊をネットで調べてみた。鬼薊は本当の名はモリアザミと言い、巷には育たないという。写真のアザミは外国から紛れ込んできた別種で、モリアザミと勘違いして、その根を食べてはいけないようである。

7月も終わりかけている。コロナの猛威は収まりそうにない。今日は400人を超えるらしい。ににんの編集も、このコロナ禍のお陰で集まらなくても熟せる方法をいろいろ習得した。

作今、ズームとかリモートとかで人が集まらないでも世の中が回るようになってきた。しかし、それが先行して、校舎を持たない学校なんか出来るようにならないことを願う。ににんの今回の兼題は「反対」だ。

ゴーヤ

2020年7月30日 木曜日

IMG_0692昨年までは連れ合い任せのゴーヤだったが、今年は自分で植えてみた。と言っても何処へ延ばせばいいのかわからない。植えた場所が木犀の木の隣だったので、放っておけば木をよじ登るだろう。そうさせないためにベランダから何本も綱を垂らしてその綱へ誘導した。ようやくベランダに届いた。何個か収穫もできた。やれば出来るもんですね。

東京が今日のコロナ感染367人。恐ろしいはずなのに実感がない。周囲で見たこともないし、コロナ禍で大惨事になったという実態はテレビの中だけのようにも思えてしまう。それでも毎日毎日コロナにかかった人がいる。大昔、スペイン風邪も今回のように多くの人が亡くなった。

島村抱月もスペイン風邪で亡くなった筈である。須磨子はその抱月の詩集を纏めるべく原石鼎を訊ねてきている。今まで、どうして石鼎を訪れたのか分からなかったが、島村抱月は島根県生まれというところに鍵がありそうだ。大正7年のことである。

一ケ月振り

2020年6月30日 火曜日

きのこ34

           きのこ2peg

家から出られないときには、近所の土手を歩くのが唯一の外出だったので、ブログを開くひんども多かったが、解除とともに日常が戻ってきて、今日の更新は一か月ぶりの書き込みになった。ども、時間に余裕がないと書くのも億劫になるようだ。

友人との定例吟行も久しぶりだったが、あまり遠くへは行けないので、府中にある郷土の森へ出かけた。梅雨茸がこんなに大きくなっていた。大国魂神社に回ってコロナ禍の日々がはやくなくなるように祈ってきた。

ということで、私にとって、ブログはどうしても必要というものでも無いようだ。

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