2015年3月 のアーカイブ

渋谷東急プラザが閉店

2015年3月22日 日曜日

神奈川の藤ヶ丘に着くころにはやはりもう春コートだったなと思った。藤ヶ丘の駅前の有料老人ホームに暮らしているににん同人のYさんを編集者と訪問した。そこで、絵と俳句と文章とを、センスよく一冊にしてくださいとお願いした。

この老人ホームはもう何回も訪れている。老人ホームとは言っても健常者しか住んでいないので、ちょっとしたプチホテルという感じの静かな施設である。昼時にお邪魔したのは、本造りの相談になるべく時間を掛けたかったからである。食事と言っても、施設の中の人が利用するもので三種類くらいのメニューしかない。すごく安価なのに、セルフではなく、お茶もコーヒーもすべて運んできてくれる。

Yさんとは同時に「鹿火屋」に入会して、いつも同じグループで行動していた。40年くらいのお付き合いになるだろうか。原先生との旅行も一緒だった。川崎展宏先生の「貂」への入会も一緒だった。そうして、15年前に創刊した「ににん」にもお付き合いして貰って今日に至っている。

一度はいまさら本など作っても、と思ったこともあったようだ。私もそれもそうだな、と思ってあえて勧めることもしなかった。ところが5月に鳩居堂の画廊で墨彩画の展覧会を開催する運びになった途端に本も作りたくなったようだ。

何かの行動を起こすと、細胞が活気づいて行動的な志向になるのかもしれない。手にしたときに「わーきれい」という感じの本にしたい。帰りに渋谷で降りたら、東急プラザが今日で閉店とかで賑っていた。営業年月が49年間だったとか。

『骨と酸漿』 2015年 齋藤礎英  風の花冠文庫

2015年3月20日 金曜日

~文学と映画に関する104章

『戦後俳句の探求〈辞の詩学と詞の詩学〉』2015年 筑紫磐井 ウエップ 

2015年3月20日 金曜日

――兜太・龍太・狩行の彼方へ

『飯田龍太の彼方へ』 深夜叢書社、1994年
『近代定型の論理 標語、そして虚子の時代』 邑書林、2004年
『定型詩学の原理-詩・歌・俳句はいかに生れたか ふらんす堂、2001年
『詩の起源-藤井貞和『古日本文学発生論』を読む』 角川学芸出版、2006年
『標語誕生-大衆を動かす力』 角川学芸出版〈角川学芸ブックス〉、2006年
『女帝たちの万葉集』 角川学芸出版、2010年
『伝統の探求〈題詠文学論〉 俳句で季語はなぜ必要か』ウエップ、2012年

『桂信子文集』  2014年 宇多喜代子編  ふらんす堂

2015年3月20日 金曜日

端から律儀に読んだわけではなく興味のあるところを開いては読んでゐいるうちに殆ど読み尽した。桂信子の文章は読みやすいのである。それは、文章を書くという意識より、自分の納得したことを言葉にしているからだろう。

『島根県近代文芸史稿-資料と考察ー』寺本喜徳 2014年 山陰文藝協会

2015年3月20日 金曜日

目次から
島根県近代文芸略史/諸相/
(河井咀華ー美文体験とその終焉)
(河井咀華作品年譜)
(須藤鐘一ーその生涯と文学)
(須藤鐘一年譜)
(与謝野鉄幹添削「奥原碧雲歌稿」の整序)
(中国山地の「明星」詩歌人・河野翠瀲-略伝・作品年譜・資料)
習作時代の原石鼎
島根県近代文芸年表

『鬣』について

2015年3月19日 木曜日

俳誌『鬣』は知る人ぞ知る「知」の集団である。毎号の文章が俳誌というよりも文芸誌と呼べる香りの高い内容で毎回読みふけっている。最新号は54号、2月に発刊されたもの。そのときも、いつものように暫くバックに入れて、電車の中、待ち合わせの間に読むことにしていた。

そんな折、邑書林の牙城さんから「鬣」俳句賞の受賞おめでとう!、というメールを頂いた。拙書「二冊の鹿火屋」が賞に選ばれているというのだ。思わす「どこに発表されているんですか」と返信してからーあれかなー、と思い当った。今まさに持ち歩いている「鬣」をはじめから繰ってみた。14頁の第13回鬣TATEGAMI俳句賞 という文字が飛び込んできた。

確かにこのページにもちらりと視線は走らせたかもしれない。しかし、ごくごく端の宇多喜代子という名前に目を置いたかおかなかったという速さで次のページに移動させていたのだろう。その次の16pから句集評、俳句評、エッセイがびっしり続くのだ。今回は、エッセイの九里淳子・瀬山士郎・青木陽介・神保明洋・中島敏之・江里昭彦・外山一機・堀込学・後藤貴子・西平信義が殊に面白い。賞を頂いたから言うわけではないが、大結社でもこんなに書き手のいるグループはないだろう。

 

ににん58号校了

2015年3月9日 月曜日

58号は昨年末から『二冊の鹿火屋』特集の執筆者も決まっていた。ところが、年が明けたら俳人協会評論賞を頂けることになって、急遽受賞風景の写真も入れる事になった。他の編集はすべて終わっていたが、3日の受賞式に出た方から送って貰った写真を集めて、なんとか、見開きのページに写真を収めた。編集は毎度のことで慣れていたが、あとはまだボーットしたままでなにも手につかないまま一週間がすぎた。

授賞式5    授賞式の挨拶の中でも言ったのだが、これからも石鼎についての気になることを書いていくつもりである。5年程前の『頂上の石鼎』という一樹の枝葉をすこしでも茂らせることが出来ればいいと思っている。

 

 

聖書から吹き飛ばされし夜の蟻   西池冬扇

2015年3月8日 日曜日

聖書にはーー怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て知恵を得よ。ーーという箇所がある。作者もこの話を下敷きにしているだろう。だが、作者の目の前にいるのは、家の中を単独でさまよっている蟻であろう。夜の屋外などでは蟻は目に入ってこないからである。ただただ一匹の蟻を見つけただけなのに、(聖書から)の一語によって果てしない荒野にも思える空間が生まれた。

こうした思惟的な句の他に(冬に入る石を転がす象の鼻)のような作為のない句まで、幅の広い作風が詰まっている。西池冬扇第四句集『碇星』2015年 ウエップ

花の下からまつさをの眼の馬を曳く  田吉 明

2015年3月7日 土曜日

ーー1つの《組曲》は1頁乃至見開き2頁に収められる。一主題としての情景は、一句数句それぞれの一つにあって、語であり句(行)であることの相関に、展開の構造をもつ。ーーと作者自ら後書きに書き記している。

私のブログの形式上一句だけを抽出してあるが、それでは本当の鑑賞にならないのだ。要するにこの一書は句集というより詩集というほうがいいのだろう。
花の下から真っ青な眼の馬が曳き出されたとする一句だけでも十分不思議な世界を提示している。

忘れこしものの眼がある春の闇
  この馬に乗れば輪廻を駆けるのか

しかし、この二行が加わることで、もう一度真っ青な馬の眼がさらに印象的になる。

それは、「洋燈」と題された次の作品を読むことでも理解すると思う。

冬木立の似合ふランプを買つておいで    田吉 明 
  遠き日のかなたに青き灯を入れる
  失くした天に似合ふランプを買つておいで

田吉 明『憂愁平野』2014年  霧工房

サッカーの帰りに花の蔭通る  林 桂

2015年3月6日 金曜日

「御岳山公園のひらひら」と題された8句中の一句である。極めて温厚な自然諷詠である。あえてそういうのは、作者が林 桂だからである。ところが、この句を抽出した句集『ことのはひらひら』は四〇近い章から成り立つ作品集。そのすべてのタイトルに「ひらひら」が使われている。たとえば「さよならのひらひら」「ライト感覚のひらひら」「はつなつへのひらひら」というように。この「ひらひら」の使い初めは1985年から始まって現在まで続いていたのである。

当然、後書きは「ひらひら」について書き込んである。しかし、わたしには「ひらひら」はある種の音頭であると同時にオマージュに思える。掲出のタイトルは「御岳山公園のひらひら」は御岳山公園へのオマージュ、「山梨のひらひら」なら山梨のオマージュと解することで、28年の歳月の持続を納得した。
林 桂句集『ことのはひらひら』 2015年  ふらんす堂

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