2011年9月 のアーカイブ

9月尽

2011年9月30日 金曜日

換乎堂句会のひとたちと武蔵嵐山の国立女性会館に出掛けた。ここはいつ行っても静寂な雰囲気があって、よほど大勢の団体が入らない限りは静かである。それも広大な土地に棟を離した建物は、どの窓からも緑が見えてほっとする場所である。ひととき国会の仕分けで危うく廃止されそうな気配もあったが、存続されるようだ。

110929_0922~02嵐山駅前の店がハローウインのデコレーションを施していた。同じ場所に何回も通うと施設の中の木々にも馴染みが出来る。一番の馴染みは、本館から研修棟へゆく途中の芝生に一本ある花梨の木だ。たくさんの実をつけているがまだまだ小さくて青い。台風で落ちたのか、木の根元にたくさんの実が寄せてあった。いつもは11月ごろ来ていたかもしれない。花梨の大きな実が数えるほどしか残っていないが、今の何倍もの大きな実を見ている。            

 

辛夷の実をしみじみ見たのも初めてである。辛夷は拳に通じているらしい。直径二センチほどの実が二つだったり三つだったり、時には五個くらい、不規則に連なって、それがはじけて中のオレンジ色を覗かせていた。 帰ってきたら、「ににん」が出来上がったという印刷所の連絡があった。 明日とは言っても広島からの便は夕方になるだろう。わたしがクロネコへ渡すのは早くて3日ごろだ。台風の押し寄せた9月も終る。                                                                                                     

神話へ、その彼方へ

2011年9月26日 月曜日

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2011年9月25日 毎日新聞朝刊
先日のポエトリーフェスティバルの記事が早々に載っていたので、とりあえずUPしておくことにする。

神話から詩歌は始まるというのは、三冊子ですでに語られている。それをときどき再認識する必要があるのだろう。先へ先へと視点を延ばすことも必要だが、過去へ視線を延ばすことも必要である。酒井氏のいう詩歌に歌う「悲しみの質」が問われている、という意見を肝に銘じたい。作句に行き詰まるときは、原初に戻ることがいちばんだと思っている。

この祭典に参加した各国の詩人は日本の詩歌に精通し、松山なども既に訊ねた人も多い。この詩人たちは「五七五、それが五七とおいて最後を反対にする」というような言い方でその俳句認識を言葉にしていた。最初は言っていることが分からなかったが、俳句は二句一章の形であり、二物衝撃をモットーとする旨を言いたかったのを察した。最後をあるいは最初を「ハンタイにする」というのは、付過ぎにならないことばをぶつけあうことと、しっかり認識していた。

山口優夢第一句集『残像』 2011年 角川学芸出版

2011年9月24日 土曜日

帯・中原道夫 栞・櫂未知子
俳句甲子園出場がきっかけとなり句を作りだしたという1958年生れ。この一集はその俳句甲子園以後の学生生活の成果だという。優夢というお名前は本名だと、ご本人から伺ったことがある。名は体を現わすっていうのは、やはり本当かも知れない。

 あぢさゐはすべて残像ではないか
 火葬場に絨毯があり窓があり
 春雨や木の階段が書庫の奥
 大広間へと手花火を取りに行く
 腕に腕からめて春は忌日多し
 泣くときは眼鏡外せり額の花

 心臓はひかりを知らず雪解川
 硝子器は蛍のごとく棚を出づ
 鶏頭の上に煙草の煙消ゆ
 さはやかや金平糖に波の音
 親戚を町の名で呼ぶ茸飯
 弁当を四つに仕切り風の盆

いつもいつも、こんなふうに二物衝撃の句を作りたいと思いながら果たせないことを、この作者は軽々とやって見せてくれていた。

戸恒東人評論『誓子ーーわがこころの帆』 2011年9月 本阿弥書店

2011年9月24日 土曜日

 山口誓子の軌跡が眼目だとおもう。それを句集を辿りながら書きすすめていた。誓子の句も境遇も風聞で知っていることはたくさんあったが、それでもやはり一本に繋げた評論からは確かなものが得られる。透徹した筆の運びが、先へと読み継ぐはずみになって一気に読んでしまった。

 ことに『黄旗』にある平康里を中国に訊ね廻る旅は面白かった。また初版本の『激浪』が戦争の句を削って改訂版を出版していることも目を引いた。終戦後まもなくの出版は活字についての規制もあったようだ。

山西雅子『花の一句』 2011年 ふらんす堂

2011年9月24日 土曜日

 本書は、2010年1月1日から一年間、ふらんす堂のホームページに連載したものを一冊にまとめたもの。タイトル通り花にかかわる季語を選んで鑑賞したものである。

 文字数は大方150字前後の短文なので、何処でも気軽に開きながら参考にも出来る。この365日の花の季語で一年作って見ることに挑戦するのもいいのではないだろうか。

 鑑賞の俳句は鑑賞者自身が選んだものと思う。真摯な人生や生死にか関わる句が多いのは、いかにも山西さんらしい。

柿本多映エッセイ集『季の時空へ』 2011年9月 文学の森

2011年9月24日 土曜日

 現代に必要な俳人とは柿本多映さんみたいな方だろうと思っている。俳句はもちろんのこと、彼女はいつでもどんなことにでも、真髄を見詰めながら、それを拾いだすかのように語る。柿本さんには生家である近江の三井寺を案内して頂いたことがある。

 そんな柿本さんのエッセイ集が出た。大方は京都新聞に発表したものだとか。淡々と旅のこと、人との出会いのことを綴っているが、ことさら珍しいことを語っているわけでもないが、引きこまれるような文章であるのは、ものの真髄を探ろうとする心が書かせているからだろう。

 『季の時空へ』とあるように、「きさらぎ」「椿」「たんぽぽ」「白い桜」……と発表する季節に合わせて書き綴ったことが想像できる。その中には第二次大戦という時代が投影されている。昭和3年生れの柿本さんには戦争は人生史の中でウエイトの大きい事項だと思う。

帰宅避難民

2011年9月23日 金曜日

一昨日の台風12号は各地に爪あとを残したが関東地方はあっさり通り過ぎていった。12号の予報が夕方から関東地方ということは知っていたので、予定の時間を早めて銀座へ出掛けた。文も書も人なりというが、絵画も人なりである。画廊に入ると涼風が吹いているような草花の絵画。訴える絵というものもあるが、訴えない絵というのはいい。淡々と野にある草花を自分の胸中に植え替えるかのような絵を堪能してきた。

画廊を出たのは4時半ごろだっただろうか。居合わせた3人で地下鉄に急いだ。私は有楽町線で真直ぐかえれるので少々の台風は影響しないと思っていたが、意外や、池袋で電車が止まってしまった。勿論乗車するときに東上線は運転取りやめの情報は流れていた。何時動くとも分からないので取りあえず駅を出て池袋の地下道でウインドショッピングをしていたが、電車の動く気配はなかった。

どのくらい強い台風なのか見るために地上に出た。出口の向きによって強さも異なるかもしれないが、驚くような勢いはない。それても風をついて往来まで出た人たちの傘が一様に反り返ってしまっていた。連れでも居れば食事でもしながらやり過ごしてもよかったが、一人で夜の町で食事をする気にもならない。一時間くらいは地下街をうろうろして過したが、もう草臥れてきた。駅の階段に新聞紙を敷いて腰を降ろしていた。みんなそうしていた。

水も多少の食料も用意したのでとにかく待つことにした。家人には事情を電話して大勢の人が避難民になっているから心配ないでと伝えた。交通機関が動いたとしても真夜中だろうなーと覚悟していた。JRも地下鉄もすべての交通機関が止ってしまったのである。20年くらい前にローマへ向かっていた飛行機がストライキで、ミラノで降ろされてしまったことを思い出した。

今回もそれほど緊迫感をもたなかったが、あのときはもっと緊迫感がなかったのは、自分で処理する術が全くない状況で任せるしかないからだった。何時間くらい待っただろうか。当時ミラノの飛行場はガランとした市場みたいな建物だった。もちろん自販機さえなく飲まず食わずのまま飛行場のベンチのような椅子に待っていた。

そのうち東上線の改札近くに居た人が中へ入り始めたので、私も急いで改札を潜った。電車を運転する旨の放送も流されていた。帰れない人達がたくさんいる割には駅は混雑していない。多分連れのいる人達は食事でもしながら台風をやり過ごしている時間帯だったのだろう。家路を辿る頃には台風は通り過ぎていて雨も止んでいた。まてば椎が一面に散っていてた。

楽しい時間

2011年9月19日 月曜日

「忙しい?」と聞かれると戸惑ってしまう。たしかに、毎日まいにちなにやかやで時間があっと言う間にすぎてゆく。だが、それ等のおおかたが、やらなくてもいいことに時間を費やしているのだ。だから忙しいのか暇でしょうもない事にのめり込んでいるのか、本当のところ分からない。そのせいかうっかり忘れてしまうことがよくある。いや、これは忙しいのではなく歳のせいだよと言う声が飛んできそうだ。

春に2泊の旅行から帰ってとき、某出版社から「誌上句会」の依頼のフアックスが入っていた。受信日が旅行に立った日だったことを確認したので、早く返事を出さなければ、と読んだ時には思った。だが、後ろを向いた途端にそのことを忘れてしまったらしい。2日程経てから同じフアックスを受信して思い出したのだ。その間、全く思いださなかったのだから、フアックスを手から離した途端に完全に記憶が消されていたのだ。

今日は殆どそれに近い忘れ方をしてる事に気がついた。俳人協会からの今年度の会費請求の案内だ。大概は請求がくるとその振込用紙をケースに入れておく。それは会費だったり通販の振込用紙だったり何枚にもなることがある。大概はその方法で支払い完了になっているはずだった。が今回の請求の文章を読むと6日に発送してあるけどいまだに納入されていないので……となっている。それで思い出した。

たしかに以前に振込用紙を貰っていた。本来なら年度始めには支払わなくてはならいもの。それがどうして払っていなかったのかは勿論わからない。とっくに納めなくてならないものを納めていないのだから、その時も早く納めなければ、と思ったのだ。それがなぜ、その振込用紙が無くなったのか。振込用紙が目の前にあれば支払いにいっただろう。わたしの整理の仕方が悪いのだろう。でもよりによって俳人協会の会費のが2回もどこかに紛れ混んでしまうなんて、不運な振込用紙である。連休明けの火曜日には忘れないで郵便局に行かなくては、と思って透明なケースに入れて特別目立つ所に立てかけておいた。やれやれ。

時間の過ぎるのも忘れてしまう「しょうもない事」が、幸せなことだと特別実感したことがある。神話の出雲を訪ねた帰りの寝台個室に落ち着いたときである。出雲発19時の列車に乗って宍道湖の夕日を見終るまでは友人の個室で外の風景を楽しんでいたが、そのあと一人になってからは、お互いに出しておいた兼題やら2日間の旅の句の整理に、個室が専念するのによい空間になった。19:30分頃から24時ぐらいまで、時々我に返ると、なんて楽しい時間なのだろうと、その空間の空気を再確認したりしたものだ。

糸大八第三句集『白桃』 2011年 糸大八句集刊行会

2011年9月17日 土曜日

 作者は現在ご病気のようである。その状況から「円錐」の澤氏を中心に基金を募って、糸氏の句集を出版した。これは糸大八氏の作品を埋もれさせたくないという気持ちを形にしたものと受け止められる。

  板の間の軋む九月にさしかかり
  絵蝋燭点してゐたる鯨かな
  戸板一枚担ぎ出したる桃月夜
  木枯しとまがふ真赤な包装紙
  玉乗りの象をはるかに稲穂波
  つちふるや畳んでありし飛行服
  口に歯の無きは怖ろし蝉の穴
  雨傘を差して胡桃の木に集ふ
  蓮根を掘りたる他はみなまぼろし
  濁流を見て来て薄き敷布団
  海底を電車が走る青葡萄
  敗蓮に金の喇叭が吊しあり
  桐の葉の落ち尽したる能衣装
  狼の絶えたる国の鏡拭く

句は大方が日常のどこかを偶発的に切り取ったようにも思える。しかし、どの作品も日常が異次元へと運ばれてゆく内容である。

北川あい沙句集『風鈴』 2011年8月 角川マガジンズ

2011年9月17日 土曜日

  朧夜の運河にかかる橋ふたつ
  まつさをな巣箱は夢の中にあり
  レタスから少し離れて雨の降る
  街にゐて街のさくらを見てをりぬ
  端居して遠くの夜を見てゐたる
  うたた寝の夢より覚めて素足かな
  灯台を見てから髪を洗ふ夜
  風鈴の音色はきのふよりはるか
  手に持ちて葡萄は雨の重さかな
  秋風が吹けば聞こゆる海の音
  紅葉してゐる誰も居ない家
  煮凝は日の暮れてゆく街に似て
  極月の川の向うに街のあり

 序文の中で今井杏太郎氏が方丈記の書き出しの部分を引用し、それを甘えととるか無常観ととるかという提示をしている。北川あい沙氏は2000年に今井杏太郎氏の「魚座」から俳句をはじめた。一集にはその今井氏のやわらかなリズム、対象に向かう感性の透明感が満ちている。

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