2018年12月 のアーカイブ

年末

2018年12月27日 木曜日

こんなに忙しい年末は初めてかもしれない。15日に「ににん」の仲間とボロ市吟行をしてから家は寝るためにあるだけだった。

なにしろ、この押し詰まった時期に何でこんな講座を申し込んでしまったのかと、友人にぼやいたのだが、もう取り消しができない。22日から24日までの三日間(9:30~17:40)、教室で何度こっくりをしたかわからない。

講師は、いつもはスーツを着てくるのだが、腰痛なのでとニットのワンピース姿だったが、声が明瞭で助かった。横から見るとわが娘と同じぐらいのふくよかさが何だか親近感、というより可愛く思えた。

このスクーリングの合間を縫うように親戚の葬式が入り、今日やっと家に居られた。午前中はそれまで保留しておいて貰った郵便物や宅急便を受け取り、ににん73号も受け取った。しかし、まだ明日は発送準備ができないので、来年にずれ込みそうだ。

集荷をしてくれる郵便局に年末年始の休みを問い合わせると年末も年始もいつでも受け取りに行きますとのこと。元日でも来てくれるという。何と郵便局には休みはないんだ、と思ったら急に体が楽になった。ヨカッタ!温泉に行ける。

ふたご座流星群

2018年12月17日 月曜日

DSC_0653鴨 黒目川に鴨がきていた。よく見ると左端に半分鷺も写っていた。
 
14日15日あたりは流星群が見られたはずだったが、消灯のベランダあたりからでは星は見えても流星は見られない。大きな流星群は年に3度ぐらいはあるそうだ。来年は、心がけて流星群の思いっきりみられる宿に泊まろう。

この黒目川のあたりに来れば、きっと流星も少しは見えるはずだと思うのだが、一人で真夜中に出かける勇気はない。

草蝨

2018年12月9日 日曜日

DSC_0652エコパックの底についてきたもの。草蝨(くさじらみ)とはよくぞ名付けたものである。ほんとうに虫のようにも見える。要するに草の種なのである。

こうして遠くに運ばれて繁殖する。この草蝨は自ら飛べないが蒲公英の絮毛は自ら風に吹かれて遠くへ飛んで行く。私が運んできた草蝨はなんの草だったのか分からない。

脚のように見える二本の突起がセーターの網目にもしっかり食い込んでいて、外すときにはかなりな抵抗感が伝わる。生き物の意思みたいなものだ。なんか、健気に思える。

武蔵野

2018年12月8日 土曜日

DSC_0640 友人と『竹取物語』を俳句に詠む試みをしていたが、どうも思うようにならない。午後になって思い立って平林寺に出かけた。あそこには見事な竹林があって、その脇を通る径があったことを思い出したからである。

平林寺の後ろの雑木林は第二次大戦中、国から畑にするように要請されたのを住職が必死に抵抗して守ったと聞いたことがある。それは、単なる林ではなく武蔵野の雑木林だったからである。

それを強く意識しているのは、地元新座市である。平林寺に近い市立の図書館の前には国木田独歩の銅像が立っている。独歩はそれをどんな風に書いていただろうか。
  ***
昔の武蔵野は萱原かやはらのはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。すなわち木はおもに楢ならの類たぐいで冬はことごとく落葉し、春は滴したたるばかりの新緑萌もえ出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞かすみに雨に月に風に霧にしぐれに雪に、緑蔭に紅葉に、さまざまの光景を呈ていするその妙はちょっと西国地方また東北の者には解しかねるのである。(国木田独歩著『武蔵野』)
           ***
まー紅葉もないわけではなかったが、雑木林が全部赤くなったのは最近のことだと思う。こんなに紅葉がなかった以前には、平林寺はいつも閑散としていた。

庫裡のあたりも本堂にも足を踏み込めないように、工事用の冊が回らされていた。そうして、通りたいと思った竹林の脇の小径にも行けなくなっていた。

久しぶりの平林寺

2018年12月4日 火曜日

平林寺1平林寺がいつの間にか紅葉山になっていた。全山いたるところに紅葉が植えられて、バスツアーもきている。大方がまだ若木なので、これから毎年賑わうことだろう。

しかし、禅寺、それも格の高い平林寺が全山紅葉山というのは、似合わない気がした。以前は寺の後ろに武蔵野の雑木林が広大に広がっていた。冬になると根元まで日差しが届いて、林の隙間を青空が埋めている風景が気持ちよかった。

もちろん、これから紅葉の葉が落ちてしまえば、そういう風景になるには違いないのだが、なんとなく憮然とした気持ちを抱いて帰ってきた。もちろん紅葉も美しいが、武蔵野の雑木林をむやみやたらに赤くしてしまうのもどんなものだろうか。

2018年12月1日

2018年12月1日 土曜日

あまりご無沙汰していると、ブログを書くのがどうでもよくなってくる。昨年11月の末に句集『穀象』が出来上がって、これでようやく一段落と思った。それなのに、それからの方がなんだか落ち着かない日々のままあっという間の一年が過ぎた。

それでも「ににん」の発行だけは、滞りなくいつもの順序で進めてきた。昨日ページを整えて、最後に編集後記を書き終えて、あとはプリントして、月曜日にみんなで校正をすればいいところまで片付いた。それで、最後に用心のために外付けハードデスクに入れようとした。

ところが、なぜか入っていない。しかもそのデスクトップに置いたアイコンもなくなっていた。ハードデスクにも前号の同じ名前のデーターが入っていたが、それが更新されたわけでもなく、半日かけてやり遂げた編集のすべてが消えていた。どこかに紛れ込んでしまったのではないかと、端からアイコンを開けてみた。

直前の作業の履歴が表示されるので、それをクリックしてみると、削除されたか移動されたためか開けない、というような表示になる。体がふわふわしてくるような脱力感が襲った。

いつも問題が起こると駆け込むパソコン教室に持ち込んで調べて貰っているうちに、見付かった。ピクチャーの中に紛れ込んでいた。そこだって見たつもりだったが、私が見た時には見付からなかった。ハードデスクに入れようとドラッグしたときに、マウスから外れたのだろう言う。

どちらにしても、半日ですむ筈が一日掛になってしまった。使う私も老体だが、このパソコンも老体で、バッテーリは全く使えなくなり、DVDの出し入れもうまくいかなくなっている。

その上に、今年になってからある時期輪ワードを保存しようとすると、「保存できませんでした、という表示が出る。ほんとうに、ふざけたパソコンだ。仕方がないので、ときどき上書き保存をして使っている。

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