2014年6月 のアーカイブ

中山葛子第七句集『かもめ』 2014年5月 角川学芸出版

2014年6月29日 日曜日

帯に金子兜太氏がーーかもめは小生のなかの山中葛子の映像でもあるーーと書き記している。

さくらさくらもんどりうっている臓器
またひとり減る野遊びの鍵音
きたさのさ男踊りは鳥のごと
鵯もいて水色の金平糖
かもめ橋さわやかな佐藤家のおにぎり
からっぽの舟すれ違う天の川
小鳥来る鎖の先に象の脚

平成14年から24年までの10年間の集成は、かわいた感性で対象を目前まで引き寄せてくる、といった感じで句の世界を展開させてゆく。その軽やかさのなかに、(からっぽの舟すれ違う天の川)のような不思議な時空を描き出している。

豪雨

2014年6月25日 水曜日

埼玉県朝霞市で1時間に110ミリの猛烈な雨だったとか。他人事のようだが、東北からの帰りの道中で聞いたので、さて私が飛んで帰ってもどうなるものでもない。仕方がないので車中では読書三昧で過ごした。

下車する頃は、雨も上がっていたが、我が家の近くまで来たら消防車が道を塞いでいた。マンションの地下駐車場の水を汲みだしているのだ。昨日は三鷹に雹が大量に降ったのだ。学校帰りの子供が膝まで埋まりながら下校している姿を旅先のテレビで見た。

これまであまり聞かない竜巻やら、都会の大量の雹やら集中豪雨やら、なんだか凄まじい現象が起こる。こんな時には地中の蟻のお家はどうなるのだろう。

 

 

善光寺

2014年6月22日 日曜日

久しぶりの善光寺参りをしてきた。長野新幹線には二度目だが、長野まで行ったのは初めてである。Kさんが正津勉さんと谷川俊太郎さんの対談があるんだけど、と連絡してきたとき、それでは、大人の休日パスを一日は長野に使ってもいいかな、と思った。対談は信濃新聞社の中で午後行われるので、午前中の2時間ほどを、とりあえず善光寺さんに足を運んだ。

__ 2  __ 1    駅から善光寺までまっすぐ伸びたメイン通りに芝居小屋があった。中はどんな感じなのか、歌舞伎座風の造りで、いろいろな催しが行われるみたいだ、途中で対談を行う正津さんに出会った。「えっ」とびっくりしているみたいだが、正津さんもとりあえず会の始まる前の時間を善光寺さんへお参りすることにしたのだろう。

どこの路地からも山が見えるというのは全国にあるが、信濃の山は間近かに、しかも聳えたっている感じかする。対談は谷川俊太郎さんと正津さんの『老いのレッスン - 悼む言葉』というタイトル。「なんといっても83歳の谷川さん」と正津さんが言うと「82歳だよ」と訂正するのだ。しかし、83歳とインプットして会場に入ってきてしまった正津さんはなんども「83歳の谷川さんが」という。すると、そのたびに谷川さんが「82歳だよ」と訂正しながら詩を朗読した。

会が終わったあと、この会のあることを教えてくれたkさんが、川のほうから帰りましょうか、というので、ついていくと水路のような小さな幅の流れが、ものすごい勢いで流れていた。たぶん落ちたら必ず流されてしまうだろう。それなのに、川の脇をゆくみちには欄もなく、ときどき道は一人しか通れないほど、狭くなる。

四日簡乗り放題の「大人の休日パス」は、月曜日は財布に眠らせておいて、火曜日、水曜日の二日間に遠野まで足をのばしてこうようと思っている。

折井紀衣第三句集『石の眼』 2014年6月 文学の森

2014年6月16日 月曜日

はじめから花の混み合ふシクラメン
春風に置かれてありぬ筐かな
菜の花の黄なり騙されやすきかな
止まれば揺るる木の橋冬の鳶
てのひらの乾きコスモス遠くまで
夕顔の花のひとつが初めなり
夏休み遠くに川の流れをり

「椎」主宰原田喬に師事。2000年9月より俳句誌「木の中」創刊。

宗教観を感じるような静寂さがある。その静かな視点で花が見詰められ、春風を物のように捉えている。三句目の菜の花の黄いろ、そこへぶつける言葉が(騙されやすき)である。黄から一気に騙されるという展開が、もういちど菜の花の黄いろを鮮やかにする。
なかでも、句集を特長付けている静寂感の際立つ句が(夏休み遠くに川の流れをり)である。

仁平勝著『露地裏の散歩者 --俳人摂津幸彦』  20014年5月  邑書林

2014年6月16日 月曜日

「摂津幸彦ていったいなにもの?」、というのが、その名前を目にしたときのつぶやきだった。それからずーっとそのままなのは、身近に摂津幸彦を語るものもがいなかったので、なんとなく積読の本みたいな感じで、その作家名が傍らにあった。

この感覚は、初学のころに林田紀音夫という名前に反応していた感覚に似ている。気になりながらも、覗いただけでやり過ごしていた。その後、「貂」に林田紀音夫論らしきものを書いて、恐れ気もなく林田紀音夫に送ったことがある。

『路地裏の散歩者』を読んで、摂津幸彦論が仁平勝氏によって解かれていくのは、摂津幸彦を語るのには何故か絶妙な組み合わせだと思えるのだ。それは読んでいてさらに確信するのだった。仁平氏の文体は「語り」という種類になるのではないだろうか。その語り口の上手さに惹きこまれて読み進んしまう。そのうまさとは、たとえば<路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな〉の一句の鑑賞にしても、まず語り初めから説得力がある。

ーー「路地裏」「夜汽車」「金魚」という名詞の取り合わせから、さらに切字の「かな」を除けばすなわち摂津の文体が残る。ーー

何でもない説明に見えながら、この切り込み方は新鮮である。そのあとも、「路地裏を夜汽車と思ふ」がわからない、とわれわれの次元に沿う叙述になる。次に作者は助詞は言葉と言葉を繋ぐためにあるだけで、それ以上の意味に執着していないのだ、あっさり打っ遣りをくわせられ、読み手の心を揺さぶりながら話が続く。

それから比喩として解かれるという仕掛けで、物語めくほど語りの部分が豊富である。この本を読み終わる頃、著者からふらんす堂刊の現代俳句文庫『仁平勝句集』が届いた。

探偵の一寸先は闇の梅    仁平勝
いじめると陽炎になる妹よ
だんだんと畳を汚す菫かな

読み始めて同じ空気の中で俳句を作っていたのを知るのである。

『遊牧』2014年6月号・主宰塩野谷仁より

2014年6月16日 月曜日

俳誌探訪   筆者 高野礼子

『ににん』2014年冬号 第53号
代表・岩淵喜代子
発行・埼玉県朝霞市

目次に続いて、吟行・火と灯の祭
「若草山山焼」と題し。
作品「山談義」12句より

山焼きの山を下りて山談義    伊丹竹野子

作品「冬萌」12句より
冬萌や石に埋もれし石の貝    岩淵喜代子

「ににん集」兼題・広場より

のどかさや猫は広場の哲学者    木佐梨乃
椋鳥鳴きて広場は影の中にある   木津直人
しづり雪鉄の匂ひの広場かな    武井伸子

「さざん集」

無我無我と秋蚕這いゆく音立てて  岩淵喜代子
手囲ひの蛍と歩く橋の上      及川希子
何気なき母の一言水の秋      牧野洋子
一誌の特徴として俳論に重きが置かれて、「乞食路通」「定型詩の不思議」「などがある。俳誌の最後に付録のページ「雁の玉章」があり五名の担当執筆されている。

梅雨入り

2014年6月10日 火曜日

梅雨入り宣言したとたんに洪水被害があちらこちらで発生している。
水害が心配というわけではないが、時折メールで季節のご挨拶をする人がいる。石鼎の麻布の旧居を探す時にお世話になった荒さんである。いつもはすぐに返信があるのに何日も音沙汰がなかった。そんなこともあるかも知れない、と思うような年齢でもある。

ところが今日になってメールが入ってきた。腸閉塞で救急車で入院したという。まだ検査検査の明け暮れで、現実の89歳は厳しいです、と書いてあったので、改めて荒さんの年齢を認識したが、淡々としているようで、回復もはやいのではないかと思っている。

このところ、ブログもあまり更新していないのだが、「旧・喜代子の折々」が最近になって復旧したのである。2006年から2010年だけではなく、それ以前の数年も移し替えておいたので、見られなくなるのは非常に残念だった。初はコメントがみられなり、そのうちブログも読めなくなっていたので、あきらめて削除しようかと思っていたところだった。やはりプロはすごい。

宮崎斗士第二句集『そんな青』 2014年6月  六花書林

2014年6月4日 水曜日

1962年生れ。「海程」所属。「青山俳句工房05」編集発行人
栞・言葉の跳躍力へー安西篤
感覚と喩とー塩野谷仁
「おっぱい」という語感ー柳生正名
ひとりっきりのポストモダンー小野祐三

東京暮らしはどこか棒読み蜆汁
地平線描けとうるさい春の馬
バックミラーに向日葵今だったら言える
棉虫や旅は睫毛に触れてくる
葉音からはじまる手紙如月は
蓑虫揺れて悲しい手紙でもなかった
帰省子に夜が来て朝が来て大盛り

句集を読みつづけながら、語感ということばを反芻していた。
たとえば宮崎氏の句を花鳥諷詠の方法でも読めるだろう。
しかし、作者はその古典的な表現は選ばなかった。
ここに、作者の語感が作者の思想となって、作品化していくことを感じた。

藤田直子第三句集『麗日』 2014年5月  本阿弥書店

2014年6月4日 水曜日

前句集の『秋麗』、そして結社誌『秋麗』を創刊して5周年になる。その期を同じにして『麗日』は上梓されている。

残されし身の揺れやすき燕子花
巻いてもらふ長マフラーの軸になり
七度目のひとりのさくら仰ぎけり
身の丈の舟に寝てをり花のなか
姥とならむこの世の落花食べつくし
一舟に立ちてひとりの白露かな
鶴一羽とほき日差しを歩みをり
山城は山に還りぬほととぎす
草の根へ春雨とほる出雲かな

自身の人生を静かに辿る詠み方が人柄を現わしている。
(一舟に立ちてひとりの白露かな)、この句には「秋麗」創刊のまえがきがある。白露の季語の斡旋そのものが意志を表現している。
季語が目の前にあるというのではなく季語が自身の思想になっている句集である。
その思想を託されてマフラーが巻かれ、桜を仰ぎ、鶴が見詰められている。

塩野谷仁句集『私雨』 2014年5月  角川学芸出版

2014年6月4日 水曜日

塩野谷氏の第七句集。「遊牧」主宰

麦飯は日暮れの匂い私雨
盆過ぎの一本にして影ひとつ
人去りて坂の残れることが冬
日の暮は指ひらくとき大冬木
野遊びの終りはいつも大きな木
落日を確かめにゆく蝸牛
にわとりを真っ白にして十一

以前から詩情の濃い句を作る作家、という認識を持っている。
今回の句集もその期待を裏切らない。
一句目の句集名になった麦飯の句比喩、二句目、三句目四句目の透徹した視点。ことに四句目(野遊びの終りはいつも大きな木)の詩情豊かな風景が魅力的である。

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