2014年6月16日 のアーカイブ

折井紀衣第三句集『石の眼』 2014年6月 文学の森

2014年6月16日 月曜日

はじめから花の混み合ふシクラメン
春風に置かれてありぬ筐かな
菜の花の黄なり騙されやすきかな
止まれば揺るる木の橋冬の鳶
てのひらの乾きコスモス遠くまで
夕顔の花のひとつが初めなり
夏休み遠くに川の流れをり

「椎」主宰原田喬に師事。2000年9月より俳句誌「木の中」創刊。

宗教観を感じるような静寂さがある。その静かな視点で花が見詰められ、春風を物のように捉えている。三句目の菜の花の黄いろ、そこへぶつける言葉が(騙されやすき)である。黄から一気に騙されるという展開が、もういちど菜の花の黄いろを鮮やかにする。
なかでも、句集を特長付けている静寂感の際立つ句が(夏休み遠くに川の流れをり)である。

仁平勝著『露地裏の散歩者 --俳人摂津幸彦』  20014年5月  邑書林

2014年6月16日 月曜日

「摂津幸彦ていったいなにもの?」、というのが、その名前を目にしたときのつぶやきだった。それからずーっとそのままなのは、身近に摂津幸彦を語るものもがいなかったので、なんとなく積読の本みたいな感じで、その作家名が傍らにあった。

この感覚は、初学のころに林田紀音夫という名前に反応していた感覚に似ている。気になりながらも、覗いただけでやり過ごしていた。その後、「貂」に林田紀音夫論らしきものを書いて、恐れ気もなく林田紀音夫に送ったことがある。

『路地裏の散歩者』を読んで、摂津幸彦論が仁平勝氏によって解かれていくのは、摂津幸彦を語るのには何故か絶妙な組み合わせだと思えるのだ。それは読んでいてさらに確信するのだった。仁平氏の文体は「語り」という種類になるのではないだろうか。その語り口の上手さに惹きこまれて読み進んしまう。そのうまさとは、たとえば<路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな〉の一句の鑑賞にしても、まず語り初めから説得力がある。

ーー「路地裏」「夜汽車」「金魚」という名詞の取り合わせから、さらに切字の「かな」を除けばすなわち摂津の文体が残る。ーー

何でもない説明に見えながら、この切り込み方は新鮮である。そのあとも、「路地裏を夜汽車と思ふ」がわからない、とわれわれの次元に沿う叙述になる。次に作者は助詞は言葉と言葉を繋ぐためにあるだけで、それ以上の意味に執着していないのだ、あっさり打っ遣りをくわせられ、読み手の心を揺さぶりながら話が続く。

それから比喩として解かれるという仕掛けで、物語めくほど語りの部分が豊富である。この本を読み終わる頃、著者からふらんす堂刊の現代俳句文庫『仁平勝句集』が届いた。

探偵の一寸先は闇の梅    仁平勝
いじめると陽炎になる妹よ
だんだんと畳を汚す菫かな

読み始めて同じ空気の中で俳句を作っていたのを知るのである。

『遊牧』2014年6月号・主宰塩野谷仁より

2014年6月16日 月曜日

俳誌探訪   筆者 高野礼子

『ににん』2014年冬号 第53号
代表・岩淵喜代子
発行・埼玉県朝霞市

目次に続いて、吟行・火と灯の祭
「若草山山焼」と題し。
作品「山談義」12句より

山焼きの山を下りて山談義    伊丹竹野子

作品「冬萌」12句より
冬萌や石に埋もれし石の貝    岩淵喜代子

「ににん集」兼題・広場より

のどかさや猫は広場の哲学者    木佐梨乃
椋鳥鳴きて広場は影の中にある   木津直人
しづり雪鉄の匂ひの広場かな    武井伸子

「さざん集」

無我無我と秋蚕這いゆく音立てて  岩淵喜代子
手囲ひの蛍と歩く橋の上      及川希子
何気なき母の一言水の秋      牧野洋子
一誌の特徴として俳論に重きが置かれて、「乞食路通」「定型詩の不思議」「などがある。俳誌の最後に付録のページ「雁の玉章」があり五名の担当執筆されている。

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