2014年6月4日 のアーカイブ

宮崎斗士第二句集『そんな青』 2014年6月  六花書林

2014年6月4日 水曜日

1962年生れ。「海程」所属。「青山俳句工房05」編集発行人
栞・言葉の跳躍力へー安西篤
感覚と喩とー塩野谷仁
「おっぱい」という語感ー柳生正名
ひとりっきりのポストモダンー小野祐三

東京暮らしはどこか棒読み蜆汁
地平線描けとうるさい春の馬
バックミラーに向日葵今だったら言える
棉虫や旅は睫毛に触れてくる
葉音からはじまる手紙如月は
蓑虫揺れて悲しい手紙でもなかった
帰省子に夜が来て朝が来て大盛り

句集を読みつづけながら、語感ということばを反芻していた。
たとえば宮崎氏の句を花鳥諷詠の方法でも読めるだろう。
しかし、作者はその古典的な表現は選ばなかった。
ここに、作者の語感が作者の思想となって、作品化していくことを感じた。

藤田直子第三句集『麗日』 2014年5月  本阿弥書店

2014年6月4日 水曜日

前句集の『秋麗』、そして結社誌『秋麗』を創刊して5周年になる。その期を同じにして『麗日』は上梓されている。

残されし身の揺れやすき燕子花
巻いてもらふ長マフラーの軸になり
七度目のひとりのさくら仰ぎけり
身の丈の舟に寝てをり花のなか
姥とならむこの世の落花食べつくし
一舟に立ちてひとりの白露かな
鶴一羽とほき日差しを歩みをり
山城は山に還りぬほととぎす
草の根へ春雨とほる出雲かな

自身の人生を静かに辿る詠み方が人柄を現わしている。
(一舟に立ちてひとりの白露かな)、この句には「秋麗」創刊のまえがきがある。白露の季語の斡旋そのものが意志を表現している。
季語が目の前にあるというのではなく季語が自身の思想になっている句集である。
その思想を託されてマフラーが巻かれ、桜を仰ぎ、鶴が見詰められている。

塩野谷仁句集『私雨』 2014年5月  角川学芸出版

2014年6月4日 水曜日

塩野谷氏の第七句集。「遊牧」主宰

麦飯は日暮れの匂い私雨
盆過ぎの一本にして影ひとつ
人去りて坂の残れることが冬
日の暮は指ひらくとき大冬木
野遊びの終りはいつも大きな木
落日を確かめにゆく蝸牛
にわとりを真っ白にして十一

以前から詩情の濃い句を作る作家、という認識を持っている。
今回の句集もその期待を裏切らない。
一句目の句集名になった麦飯の句比喩、二句目、三句目四句目の透徹した視点。ことに四句目(野遊びの終りはいつも大きな木)の詩情豊かな風景が魅力的である。

尾野秋奈第一句集『春夏秋冬』 2014年5月   ふらんす堂

2014年6月4日 水曜日

11996年結社「童子」から始まって現在「大」・「船団」所属。
序文を坪内稔典氏が、まるで高校生の同級生同士のような距離で書いている。
そうして坪内氏が帯文で紹介しているのが、やはりあんぱんの句だ。

あんぱんのへそずれてゐる12月

新書版タイプのソフトカバーは手にやさしい。表紙絵もタイトルごとにおかれた水彩画も人柄、いや俳柄というか俳句の空気と通っている感じだった。

魚は氷におもちやのやうな中国語
ほのぼのと鶯餅の指のあと
見えてきて尾の先までも蛇であり
旅にしてわれら昼寝を楽しめり
手袋に夫のかがりし穴ひとつ

比喩が独特である。中国語が玩具のようだという。言われてみれば頷いてしまう。鶯餅への対象の迫り方。、そうして旅で昼寝という措辞になるのも、この作者の生き方なのだ。
最後の手袋の穴、それも夫自身がかがったこも特別なことではないのだ。

12月8日ペコンと凹むアルミ鍋

作者のすべての要素の凝縮がこの一句にはある。

大竹多可志句集 『芭蕉の背中』2014年3月  東京四季出版

2014年6月4日 水曜日

若水をごくごく飲んで外に出る
春浅し作務衣の僧が下駄鳴らす
野牡丹の花散る音を聞き留むる
長身の女が落葉踏みて去る
耳遠き振りをしてをり八重桜
手の中にまたもジョーカー冬の夜

奥の細道を自転車で廻ったりして活動的な俳句作家である。それが、(若水をごくごく飲んで外に出る)の明るさに繋がる。
行動的な感性と音への感覚が野牡丹の花散る音を聞き、女が踏みゆく落葉の音を感じていて物語的な要素が加わっている。

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