2010年12月 のアーカイブ

『ににん』41号発送

2010年12月30日 木曜日
ninin41号

ninin41号

『ににん』41号が発送された。多分1日には届くのではないだろうか。今回は発送も印刷所に頼んでしまった。それがやはり失敗だった。出来上がった本を見ないでの発送はやはり不安がある。そうしてやはり大きなミスがあった。

10年も続けてきながら、どうしていつもいつもその歳月が昨日のように思えるのか、ようやく分かったような気がする。毎回のように、失敗があるからだ。何も積み重ねがないような気分が続くからである。今回は特に表2の10周年の挨拶の署名がないのである。なんで誰も気がつかないの、と言ってみても、自分が一番悪いのだから仕方がない。発送を自分でやっていれば、一冊ごとに署名くらいは出来たのに。

今回初めて白の表紙を使ったのは、今までの線描の絵ではないからだ。3ページのグラビア(とは言ってもモノクロ)と巻末の「ににん」履歴で10年の締めくくりをした。特集は「物語を詠む」であるが、入会して半年くらいの人も挑戦したのは凄い。

同人誌は試みの場だと思っている。だから、ただ今までの中の集積を集めるだけではつまらない。いろいろな意見はあるだろうが、やはりこれからも試みを続けたい。

「『暗室』のなかで」

2010年12月28日 火曜日

Aさんからの分厚い封書を開けたら「『暗室』のなかで」が出てきた。この本は吉行淳之介の小説『暗室』のモデルとされている大塚英子の書いたバクロ本的なもの。淳之介の死後まもなく出版された。

封筒から現れた本を手にしたとき、何?と思った。一瞬その表紙の淡いベージュ色が日に焼けたかのようにも思えたが、そうではない。保存状態のきわめてきれな本であるから、もともと、表紙はそんな日差しのような色をしているのだ。

「ににん」祝賀会の出席のハガキとともに入っていた手紙には、読んでも読まなくてもいいような、よくありそうな話であるというような事が書いてあった。突然18年ほどまえの、ドイツだったか、イタリアだったかのホテルの一室での会話へタイムスリップした。

俳人協会の一員として海外の俳人との交流のために出かけた時に、同室で過したA子さんが「『暗室』のなかで」という本が出たことを言い出したのだ。多分、その海外旅行の直前に吉行淳之介は亡くなって、まもなく大塚英子の本は出版されたのかとおもう。

そのとき、読んでみるわとか、読みたいわとか返事をしたのかもしれない。その会話の続きの時間がいま目の前にあるのだ。「ににん創刊10周年祝賀会」への案内状の返事とともに、書籍が同封してあったのだ。

私にとって、吉行淳之介を読むきっかけが芥川受賞作品を読むきっかけでもあった。『驟雨』が雑誌に掲載されたのは、丁度高校生のときであったからだ。Aさんが吉行淳之介を読むのも意外であったが、同時により親近感を持った。

その時以来、Aさんは折に触れて、私の動向を見守っていてくれた。私もAさんが大結社の主宰を継ぎ、それから退いた経緯などを見ながら、遠くから声を掛ける、といったくらいのお付き合いが続いていた。

句集『螢袋に灯をともす』が俳人協会の最終選には残らなかったが、選評を書いた人の文章には、次点の作品として挙げられていた。そうした細かいこともしっかりAさんは読んでいた。

その『『螢袋に灯をともす』が俳句四季大賞として受賞したときには、どうして声を掛けてくれなかったのよ、と残念そうに言った。わたしはA子さんのような大物俳人には当然案内状が行くはずだと思ったのである。

男の「含羞の人」は二人ほど知っているが、Aさんは私の知るなかでの唯一の女性の「含羞の人」である。

10周年記念その2

2010年12月26日 日曜日

10周年記念号も、きっと印刷に入っているころだ。やることが次から次へと生れてくるが、とりあえず雑誌のことからは放免された。今度は祝賀会だ。そういうのも面映ゆいようなこじんまりとした会場なので、「ににん」に執筆していただいた方にだけ呼び掛けることにした。

アトラクションもと考えて、詩と俳句と小説の朗読を企画していたが、詩はすんなりと田中庸介さんに決まったが、小説があてにしていた人が来られないという。それで「誰かやれそうな人知らないですか」と呼びかけてみた。こういうときに座ったまま発信できるのはメールのお陰である。

「Kさんができるんじゃないですか」とか「セミプロの人なら知っているけれど」とかあって、今回はすんなり内側で決まった。よかった。足元に人材がごろごろしているなんて嬉しい限りである。さて、俳句をどうしようか。来賓としてきていただいた人の代表句を読むのもいいのではないかなどと考えている。

歌舞伎

2010年12月21日 火曜日

このごろやっと自分でネットで観劇のチケットの予約を覚えた。というよりは人を頼りにしていては見損なってしまうことが多いからだ。月曜日ということもあってか、一ケ月前でも席はかなり選ぶことができた。歌舞伎座でもそうだが、二階の一番前の中央の列の右端の席が好きなのである。

二階の一番前というのは人の動きや立ち居が気にならないし、なにより見ることに集中できるのだ。自分と舞台が直結している感覚がある。今回、日生劇場でも同じような席を予約することができた。

歌舞伎十二月公演は『通し狂言・摂州合邦辻』と『二月堂お水とり・達陀』。「摂州合那辻」は今までの歌舞伎の中ではテンポの速い歯切れのいい台詞だったので聞きとり易かった。その割には、何故か、四幕目が違うテンポで場面が遅々として進まない。二幕目の高安館の庭での尾上菊乃助と中村時蔵の踊りが圧巻。

歌舞伎もハイテクを取り入れるようになった。『達陀』では書き割りが映像スクリーンを用いていた。以前から、東大寺二月堂で行われる深夜の行事「韃靼の舞」を見たいと思っているのだが、果たせない。

「ににん」41号校了

2010年12月19日 日曜日

こちらの原稿の渡し方が少しずさんだったこともあって、今回は編集に手間取ってしまった。しかし、やはり思い切ってお願いしてよかった。いままでとは格段のセンスアップである。いつも気になっていたことから解放されることになるのが、何より嬉しい。

今回のデザインは『蒐』を手掛けている馬場龍吉さんにお願いした。編集の部分も押しつけてしまって、こんな筈ではなかった、とあちらは内心思っているかもしれない。とにかく印刷屋さんにやっと原稿が入る。

長年同じことに携わっているのに、少しも慣れることがなく、毎号毎号大騒ぎで編集をやっている感じがする。今回は十周年でもあるので、これまでに履歴も纏めた。「ににん」の場合はホームページに目次を書きこんでおいたので、履歴を書くのに大いに役立った。なんでも記録しておくものである。いまでも、そんなに月日が経ったの信じられなくて、「ににん」が昨日始まったような気持ちである。

『超新撰21』 2010年12月刊 邑書林刊

2010年12月19日 日曜日

以前の『新撰21』の続編というべきなのか。あとがきによると、今まで見えにくかった20代から40代を照射しようとしているようである。多様な作り手を一つの尺度では計れない。各氏の中から私の視野に輪郭を持って飛び込んできた一句を並べてみた。観念的な句が多いし、知を持って鑑賞しなければならない句は避けた。

  海辺に打ち上がる妻たちの午後   種田スガル
  沖まで来よスイートピーにむせながら   小川楓子
  ヨットゆくなかに動かぬヨットあり   大谷弘至
  空を飛ぶやうに泳ぎて島暮らし   篠崎央子
  蒲公英のまわりの濡れている市場   田島健一
  緑陰へ運ばれてゆく銀の盆   明隅礼子
  納豆の絲伸ぶ舟の無線室   ドゥーグルJ.リンズィー
  黒猫の影も黒ねこ日の盛り   牛田修嗣
  受話器冷たしピザの生地うすくせよ   榮 猿丸
  月光の地下に柱のありにけり   小野祐三
  
  一生にまぶた一枚玉椿   山田耕司
  春の夜に釘たつぷりとこぼしけり

  列車いま大緑蔭の駅に入る   男波弘志
  雑踏のあとかたもなく夕立かな   青山茂根
  うぐいすに裁かれたくもある日かな   杉山久子
  満月の夜のみ開く骨董屋   佐藤成之
  あの空も繭の内壁かもしれぬ   久野雅樹
  もう前も後ろもなくて芒原   小沢麻結

  団地からそのまゝ秋の河原まで   上田信冶
  ふくろふを商ふ店に窓がある

  一つ抜いて箸立ゆるぶ木の芽和   小川軽舟
  まはされて銀漢となる軀かな   柴田千晶
  逆光の芒をしまう道具箱   清水かおり

八木忠栄個人誌『いちばんさむい場所』62号

2010年12月19日 日曜日

期間との年刊ともなくランダムに続いている雑誌『いちばん寒い場所』はほぼ24頁ほど。俳句と散文だが散文は何冊もの著書を持つ落語についてである。

春湊出舟入船流行歌
吾も鳥になりたき春の夕ごころ
月おぼろ亡霊はみな立ち泳ぎ
恋の猫つくり笑ひの女たち
春の潮どこまで愛でる白き脚

掲出句はその中から選び出したというのではない。第一ページ目に並んだ作品でる。このページだけ見ても、忠栄氏の志向が明確な気がする。俳句の作り方は古典的な花鳥諷詠を基礎にしているのだが、日常の一こまを音律を意識し、創造的、造型的で楽しめる。

『NHK俳句』1月号

2010年12月18日 土曜日

1月9日・1月11日放送 「子供の情景」 筆者・西村和子

   子離れや土筆のはかま陽に焦げて    岩淵喜代子

野の土筆が長けて、その袴が太陽の光に焦げているのを目にした時、子離れを実感したという句です。子育てを体験した人にはこの回路はすぐにつながるでしょう。子供が小さかった頃は、春になると土筆を見つけては摘んだものでした。幼い子にも土筆は見つけやすく、あの可愛いらしい形は子供達に人気です。たくさん摘めた時は、子供といっしょに袴を取り、おひたしを作ったりしたものでした。
 べつに美味しいものとは思いませんが、土筆のおひたしにはそういった経緯も含めた格別な味があるのです。自分自身の子供時代も思い出されます。
 この土筆は、これから摘もうという心は動きません。食べるには伸びすぎ、日を経た土筆です。それより何より、摘む楽しみを分かち合う幼な子が、もうかたわらにはいないのです。母親が子離れを実感するのは、成人式とか卒業式といった特別な儀式の折ではなく、存外こんな日常のちょっとした時なのです。

吟行ー上野界隈ー

2010年12月18日 土曜日

第三土曜日は「ににん」の定例吟行日。今回は年末だしー、と渋っていたがやっと先頭立って仕切ってくれる仲間が手を挙げてくれて実行された。森鴎外の『雁」を意識しながら上野界隈を歩き回った。

「雁」の中に出てくる無縁坂の岩崎邸の反対側は、「坂の北側はけちな家が軒を並べていて」とあるように今も小さな家が並んでいる。反対側とのアンバランスも、昔から上野なんだ。
予約してあったイラリアンレストランのランチはパスタに肉か魚のメインデッシュが選べて、しかもサラダとデザートはバイキング。これで1250円は安い。

帰り路を辿りながらの駅までの途中に、いかにも卑猥な感じのポスターの貼ってある映画館を横目で見ながら、「こんな映画館もあるんだ」と言い合いながら路地を抜けきろうとしたときに、原作永井荷風『墨東綺譚」というチラシを配っているのが目についた。

そんな映画も始まるなんて知らなかった、と思いながら、一歩進めようとした足を後ろに戻して「一枚ください」というと、チラシを配っていた初老の男性が「記念にどうぞ」といった。私の前を歩いていた仲間の一人は、3歩ほど後戻りをして「私も」とチラシを受け取った。

チラシを開くこともせずに私は噴き出してしまった。男性の言う言葉に、直前に見た卑猥なポスターを思い出したのだ。仲間も多分そのチラシを見るまでもなく理解したのだ。二人でしばらく笑いが止まらなかった。

男性もまた、場違いなオバサン連が手を出してきて可笑しかっただろう。静かにな声で「記念にどうぞ」と手渡すも気転にも笑えた。手に握ったチラシを見るまでもない。「墨東綺譚」はさっきの映画館で次に上映される案内なのだ。

秦夕美第十五句集『深井』2010年11月刊 ふらんす堂

2010年12月17日 金曜日

たましひの影とびかへり冬紅葉
木の洞に賀状一枚秘めておく
菜の花の裏はどうにもならぬなり
空海も爪切りをらむ夕端居
而して死海にダリヤ二三輪
人かへす花野は天をひきずりて

とりあえずは、第15句集という数に驚く。秦さんはこの他に俳句鑑賞やエッセイなども多数出版しているので、一人で本棚が満たせる。

句集名の『深井』とは能の女面の一つで中年の役に使われる、と後書きにある。この説明で、長い間の秦氏の句の世界が一本に繋がるような気がした。抽出した句のどれを読んでも、完全なる非日常への飛躍がある。

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