2017年1月 のアーカイブ

一月も終り

2017年1月30日 月曜日

1月もあっという間だった。⒈日2日までは寝正月だったが、3日にドライブがてらの秩父の初詣から始まって、小さな句会、大きな句会。そうして小さな吟行会、大きな吟行会があり、その間を埋めて新年会がいくつも続いた。

極めつけの大きな会が角川書店の新年会、そのあとに続く角川賞受賞の松野苑子さんのお祝い会。なんとなんとその会で「岩淵さん乾杯をお願いします」と言われた。

「だって、乾杯って長老がやるものでしょ」と目をパチクリしたが、どうも、あちら側のひとたちには私は、長老なのだ。そんなのやったことがない、と地団駄踏んでも誰も見てない。

苑子さんとは、吟行会の一つのお仲間として何年も続いているが、初対面はドイツだった。俳人協会の方々とドイツを巡ったときに、ケルンだったろうか、日本大使館の中でドイツの俳人たちと交流した。当時、近くに滞在していた苑子さんがお顔を見せたのだ。

お互いにその日のことを覚えていなかったのだが、アルバムを整理しているときに、彼女の手書きの名刺が出てきたのだ。20年くらい前のことだ。

そうして、二番目のパーテイが昨日。霞が関ビルの最上階で行われた句友の句集『金剛』の出版記念の会。著者草深昌子さんとは結社「鹿火屋」からの長いお付き合いだ。三十年くらいになるかもしれない。

年を取るということは、そういう長いながいお付き合いを重ねた人たちとの年月が増えるということなのだ。明日のカルチャー教室が済めば、一月は本当に終わってしまうのである。

一切皆空もくもくと毛虫ゆく   岩淵喜代子

2017年1月27日 金曜日

『郭公』二月号 俳壇の今    筆者・山上薫

(「俳句」12月号『子規忌』より)
一切皆空。あらゅる現象や存在は実体がなく空である。むずかしい仏教用語も這い進む毛虫には関係のないこと。国際政治とも、金融政策とも、テロリズムとも、難民とも、そして、我が家の買い物リストとも、何の係わりもなく毛虫はゆく。

この融通無碍さはどうだ。毛虫よ、何をどうすればお前のようにもくもくできるのかね。毛虫が答える。わからないよ、おれはただもくもくしているだけだから。もくもくと働くもくもくじゃない。もくもくと煙の立ち昇るもくもくじゃない。ただ、もくもく。俳諧味。ああ、それを言っちゃおしまいだ。もくもくすることだけがもくもくなんだから。もくもくと。ゅく。ゆく。ね。

ににん 秋号 通巻六四号 季刊

2017年1月24日 火曜日

『好日』 2月号より、俳誌月評  筆者・須田眞里子

代表 岩淵喜代子。平成一二年岩淵喜代子が埼玉県で創刊。発行所朝霞市。「同人誌の気概」ということを追求している。

岩淵喜代子作品「余韻の水母」より
一碗の重湯水母のおもさあり
生涯は水母のごとく無口なり

ににん集
我が書架の有限なるや春の塵    木佐梨乃
星の夜の書架万物に見透かされ   木津直人
こほろぎの潜みし書架や方丈記   栗原良子
秘の文書しまふ地下書庫冷まじや  西方来人
書架奥のチャタレイ夫人火取虫   鈴木まさゑ

さざん集
抽斗に釦いつぱい盆の月      尾崎淳子
3Dメロンの網の小宇宙      鬼武孝江
くすり飲む時間となりぬ酔芙蓉   川村研治
揺れ戻す揺れ戻しては吾亦紅    兄部千達
輪郭の鯰となつて泥動く      高橋寛治
遠雷や古木の卓の台湾茶      谷原恵理子
先へ先へ影飛んでいく秋の蝶    浜田はるみ

木佐梨乃氏「英語版奥の細道を読む」、
高橋寛治氏「定型詩の不思議」、
正津勉氏「落丁愚伝」。
秀句鑑賞は岩淵喜代子代表
「ににん反芻」、浜田はるみ氏「十七音の宇宙」。

巻末の「雁の玉章」は、岩淵喜代子代表を含む四氏の個性豊かなエツセイ集である。

一日ただ子規忌に凭れゐたりけり    岩淵喜代子

2017年1月24日 火曜日

『天衣』2月号 現代俳句鑑賞
筆者・古田雅通

『俳句』十二月号(子規忌より)子規の忌日は九月十九日。子規は俳諧革新運動の中心となり、江戸期までの俳諧の発句を明治期に俳句として独立させた。日本の文学史上画期的な革新であった。それだけに子規忌は俳人にとって特別な日である。

「子規忌に凭れゐたりけり」との比喩表現により、子規忌があたかも堅固な柱のような存在として立ち現れる。作者はこの日、俳句の礎を築いた子規への思いを深め、俳句の原点を見つめたのであろう。「一日ただ」「ゐたりけり」との措辞からは、子規への敬意の深さが伝わってくる。
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『松の花』2月号 現代俳句管見
総合俳誌より    筆者・平田雄公子

白露の候、今年は敬老の日でもあった9月19日の、「子規忌」。没後百十余年の大先達に、「凭れ」る許り。

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『俳壇』2月号 俳句月評・12月号の作品  筆者・高橋博夫

(「俳句」12月号子規忌」21句より
正岡子規が三十四歳で亡くなったのは明治三十五年九月十九日。ときに病床での痛みに耐えかねて「号泣」した、その亡骸の傾きをなおすために肩に手をかけた母・八重は「サア、も一遍痛いというてお見」と強い調子で語りかけ、落涙したという。

彼の多方面の文芸上の業績は、若き日の喀血以降に短命を意識したことときりはなせない。「凭れる」には、そうした子規に寄せる親身な追慕がかよう。

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『獅林』2017年2月号 総合誌の秀句鑑賞   筆者・森 一心

『俳句』12月号 特別作品21句「子規忌」より
「子規忌」は、正岡子規の期日、9月19日。獺祭気、糸瓜気ともいう。子規は今更いうまでもないが、名は正岡常規。俳人・歌人で、我々が今日俳句を学べるのは、すべて子規が作り上げた道を歩けるからである。

別号は獺祭書屋主人、竹の里人。伊予(愛媛県)生まれ。日本新聞社に入り記者となる。俳諧を研究、雑誌「ホトトギス」に拠って写生俳句を首唱した。作者は、この日、一日中、子規のことのみ思い続け「凭れ」切ったのである。

海月また骨を探してただよへり   岩淵喜代子

2017年1月24日 火曜日

『岳』2016年12月 展望現代俳句』より  筆者・佐藤映二

「ににん」秋号より。「余韻の水母」と題して、23句すべて水母の季語を配した意欲に惹かれる。〈骨を探して〉から、どうしても東日本大震災の大津波に遭難した幾多の人を想起する。

5年半経った今でも、行方不明者の捜索が節目ごとに実行されている。無力感に幾度も押しつぶされながら、その片鱗もとの願いに寄り添う気持ちが(また)の措辞によって表されている。同時作「忘れよと水母の海に手を濡らす」も、今は何事もなかったかのような海に手を浸すことで、却って忘れ得ない現実に引きもどされる哀しさを表しているのである。

ににん初句会

2017年1月9日 月曜日

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3日は秩父の聖神社までドライブ。4日は初吟行で矢保天神に出かけた。なぜ句会の係りが谷保天神を選らんのか境内に入ってすぐ納得した。この神社は一年中鶏を放し飼いにしているのである。今年は酉年だ。

そうして、7日は新江戸川公園の施設内で初句会。そうして今日はににんの初句会。関西から飛行機で馳せ参じてきた方もいたので、にぎやかでお正月らしい華やぎも出た。

このににんの初句会も、年度初めには初詣をしているが、今年は近くの一陽来復のお札を出す穴八幡に出かけた。ここは冬至の日には、御札を受ける人の長蛇の列が出来る。今日でもまだ長い列が続いていた。

こんなにあちらこちらにお参りしてもいいものかと言われそうなので、お賽銭はしっかりあげてきた。

ににんも15周年が過ぎた。長くなるということはマンネリにもなるということである。何とか本当の意味で新しい展開があれば、と思っている。

コンビニの離陸しそうな花月夜    中村光声

2017年1月2日 月曜日

「中村光声第一句集『聲』 2016年  ふらんす堂」より

「コンビニが離陸しそう」の措辞にわけもなく納得し同感してしまった。他に「秋蝶の触れたるものに触れにけり」など。句集全体では抒情的な作り手だと思うのだが、素材の新鮮さが魅力を引き出している。

あけましておめでとうございます

2017年1月1日 日曜日

約束したかのように今年も新年は穏やかに明けました。除夜の鐘を合図に近所の氷川神社にお参りに行くことも恒例の行事です。いつものごとく、長蛇の列が出来ていて家に帰ってきたのは1日の午前2時ごろ。

酉年の絵馬のついた破魔矢を買って初御籤も手に入れました。170101_1237~02なんと大吉、さらにおまけの毘沙門天のシール、勝運の神様らしいです。携帯の昨年の恵比寿様の隣にさっそく貼りました。

振る舞いの甘酒のせいもあって、寒さを感じない初詣でした。さてお参りしたのだから、何か今年の抱負などなければいけないのに、全く思いつかない。なにしろうろうろと目前のやらなければいけないことをやり切ることに追われています。

そんなわけで、年賀状はこれから書きます。ににんの仲間、それからすぐに出会える句会のお仲間には直接ご挨拶しようと思います。

本年もよろしくお願いいたします。
みなさまのご多幸をお祈り申し上げます。 岩淵喜代子

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