2018年5月 のアーカイブ

授賞式2日目

2018年5月27日 日曜日

写真授賞式翌朝のホテルのドアノブに新聞がぶら下がっていた。「岩手日報」と「岩手日日」で、 その一面に昨日の受賞風景が載っていた。右端が短歌の伊藤一彦氏、左端が若松英輔氏。

サー今日は遠野見学ツアー。朝食後ホテルの傍らを流れる北上川の土手を散策して、すで日焼けがはじまっていそうな快晴。

遠野は、昔まだ新幹線が無いころに鹿火屋の原裕先生と出かけたのが最初だった。いまのように発展していなくて民話館など無かったし、おしらさま堂もなかった。

ただ、民家の中に祀ってある二体のおしらさまを見せて貰って帰ってきた。曲り屋に宿泊したのだが、林檎の収穫期で廊下にはごろごろと林檎が転がっていた。林檎の食べ放題、と言う感じだった。

詩歌文学館賞贈呈式に馳せ参じた受賞者と選考委員と同伴者、それに一ツ橋綜合財団の係りの方、雑誌「すばる」の編集者の皆様、総勢何人くらいだった。とにかくみんな同じグリーン車に乗って、いちばん近い高野ムツオ先生がまず仙台で下車した。次が大宮で私が下車。あとは東京で最後の解散式の予定。お世話をしてくださった方々お疲れ様でした。

詩歌文学館賞授賞式

2018年5月26日 土曜日

posuta-     句集『穀象が』が詩歌文学館賞を受賞したお知らせが3月8日に入ってから5月26日の授賞式まで、何がというのでもなく落ち着かない日々だった。

その選考委員のお三人ともご挨拶さえしたことがないような方々だったので、余計にこの賞の実感が薄くて、ただただこの26日を待つだけだった。

この賞を貰うことで改めてどんな方が受賞しているのかを見わたしてみたら、もう私にとっては伝説的な方たちばかりで、ほとんどのひとがすでにいないのである。

ところが詩人は?と見わたすと、なんと清水哲男さんが第一回の受賞者で、現在も健在な人だ。清水さんが北上は5月がいちばんいい季節だからおもいっきり楽しんできて、というメールを頂いて、そのつもりになって北上へ向かった。

北上の駅へ降り立ったら駅員が「北上文学館賞授賞式へようこそ」という横断幕を持って迎えてくれて吃驚。清水さんの言ったとおりに若葉の岩手はどこもかしこも緑一色、北上川沿いのホテルについて荷物を部屋においていざ詩歌文学館へ。
授賞式では井川博年さんや八木幹夫さんに出会った。「僕たち常任理事だからさ」と言った。とにかく心細い思いが少しずつ払拭された。

IMG_20180528_0001

気がついたら、新幹線に乗ったときから、われらは詩歌文学館賞参加のためのツアーだった。別紙の日程表は翌日の東京下車まで続く筈である。

詩歌文学館も広大な緑地の真ん中に建てられていて、屋外で歓迎の鬼剣舞舞が暫く続いた。何処を見わたしても緑一色の土地で、この授賞式に参加の一般の人はどこから来るのだろうか、と思っていたら、名前を呼ばれた。

現代俳句の会員で私の通信句会を受けているという花巻の方だった。授賞式での挨拶では、見たことのない「穀象」虫の話をした。その文字面に惹かれて見たい見たいと思っていた想いが造らせた句であること。

見ないで作った句は他にも(夜光虫の水をのばして見せにけり)(狐火のために鏡を据えにけり)がある。挨拶を終えて席に戻ったら、短歌の受賞者伊藤一彦さんが「見ないで作るって面白いね」と声をかけて下さった。

「すばる」6月号から

2018年5月10日 木曜日

本当は句集「穀象」を作ってからずーっと拘っていたことがあった。それは、表題にした「穀象に或る日母船のやうな影」の句。ひとえに「に」という助詞だった。

穀象の影が母船のよう、と受け取られてしまう懸念だった。最後の校正の時にも立ち止まったのだ。句集にこの穀象の句の揮毫を頼まれたときにも、消せるペンでサインしておいた。

ふらんす堂さんが再版するという連絡を頂いたときにも、「穀象に」を「穀象へ」にしようかと躊躇しながらやはり踏みとどまった。私の中の音律からやはり原句でありたかったからである。しかしこの「すばる」6月号の詩歌文学館賞発表の記事で、高野ムツオさんの『穀象』選評を読んでやっと落ち着いた。

 岩淵喜代子には、万物の命の不思議さを、その不思議さのまま、さまざまな形で言葉に映し出して見せる力がある。

     穀象に或る日母船のやうな影

  本集の題名となった句だが、穀象という名のわずか数ミリの虫を見守る眼差しにも、それが感じられる。〈穀象の群を天より見るごとく〉は西東三鬼だが、ぞろぞろとのろのろと歩く無数の穀象が巨人の視線から俯瞰されている。穀象とは姿態が象に似ているから生まれた名である。象とは比べものにならない矮小な存在。しかも、人間の穀物を食い荒らす害虫として忌み嫌われる。三鬼は、その命運を冷厳に凝視している。救い難い衆正のうごめくさまを残らず捉える閻魔の眼である。虚無的な冷笑をさえ含んでいる。

  岩淵喜代子は、その穀象にも「母船のやうな影」が被さる日があるという。穀象一匹一匹が大海を漂う小さな船であるとするなら、それらを導く母なる船がやってくる日があるということだ。それは天の鳥船でもノアの方舟でもない。喩えるなら菩薩の化身であろう。火宅をを生きる穀象への作者の慈しみが引き寄せた影である。諧謔味が漂うが、それも慈愛から生まれたものである。(以下略、すばる6月号より)

高野ムツオさんの鑑賞は私のわだかまりを払拭させてくれた。作品は鑑賞者を得て完結することをしみじみ実感した日だった。

栃本関所跡

2018年5月4日 金曜日

花まつり5

 

思いがけずにも、久しぶりに栃本まで車を走らせてくれる人がいた。埼玉も外れの栃本は15年くらい前までは、年に一度くらいは訪れていた。

秩父往還道のどん詰まり。現在はトンネルを通したので山梨県まで通りぬけられる。そのせいか、以前は何軒もあった民宿がなくなっていた。そうして、この村のこいのぼりが全部ひと処に集まって泳いでいた。

春は山菜を食べにゆき、秋には鹿の声を聞くために出かけた。鹿火屋の研修会を開いたこともあって、原裕先生とも二回ほど出かけた。川崎展宏先生と貂のお仲間ともバスを仕立てて昼食を食べに行った。
訪れるときには、必ず栃餅を搗いて貰った。DSC_0371

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