2011年2月 のアーカイブ

昨日の夢

2011年2月28日 月曜日

 昨日は 目覚め際に変な夢を見てしまったが、その読みかけの本というのは今回読売文学賞の評論部門を受賞した黒岩比佐子の『パンとペン』 という評伝である。社会主義者にも疎く、堺利彦はさらに疎い存在だったが読み始めてみると退屈しない。

副題に「社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い」とあるように明治の初めに生れて昭和8年まで、まさに軍国主義国家のなかで社会主義を貫いた人物。著者黒岩比佐子は昨年末に亡くなっている。五十二歳くらいだろう。だからこの読売文学賞の受賞を知らないまま去ってしまったことになる。

黒岩比佐子の講演を聞いたことがある。今年の一月だから勿論フイルムライブであるが、もうひとつひょんな縁で、この著者の昨年2010.07.18)日のブログと私の石鼎ブログ2010.07.23)日を並べて、ご自身の めぐり逢うことばたち というブログで紹介して下さった方がいた。今になってみれば物凄い名誉なことなのだ。

春眠暁を覚えず

2011年2月27日 日曜日

ベットで仰向けのまま、こんな本にしてしまってはもう買って返すかないなー、と覚悟を決めていた。脳裏に焼き付いた赤ペンの色はますます冴えてきた。でも、どうしてあんな破れたのだろう。それも腑に落ちない。夫が掃除機をかけながら変な持ち方をして破ったのだろうか。ページを開いたまま眠ってしまって私の身体でもみくちゃにしてもあんな傷み方はしない。

本のページの端が破れた。というよりは、むしりとったように欠けていたのだ。しかも、ページには赤いボールペンの書き込みがたくさんある。誰かが部屋に入ってきて悪戯をする筈もないとすれば、犯人はわたし以外にはないのである。

破れはとにかく赤ペンの書き込みなんて雑誌なら時にはやるかもしれないが、この本は図書館から借りたものである。しかも、リクエストして買って貰った本で、私がその新刊の最初の読者である。どこからか、小人がやってきてみんなで悪戯をしたとしか思えないような汚れ方、破れ方なのである。

いろいろ思いめぐらしているうちに、夢かなと思った。あわてて仰向けの体を裏返して枕元の本を手にとってみた。どこにも破れもなければ書き込みもない。なーんだ、目覚める瞬間に見た夢なのだ。朦朧とした夢の覚め際に悩んでいたのだ。ホッ

行方克己句集『地球ひとつぶ』2011年 ふらんす堂刊

2011年2月20日 日曜日

  聖戦(ジハード)に赴かざるは日向ぼこ
  手毬唄路地のでこぼこもて弾み
  にんげんに舌あり歯あり朧なり
  飛べるなり蝶々といふ二つ折り
  お遍路に出でむと思ふ昼寝覚
  緑陰のここに座れば風の道
  短夜のひとりは男ひとりは女

生涯の午後の日もだいぶ傾いてきたようだ。あるいはすでに夜に入っているかもしれない。という後書きを書いてご人生を意識している。そうした意識は俳句の軸足をを地面に置く意識でもある。それが作品に現われている。

山本一歩第四句集『神楽面』2011年 文学の森刊

2011年2月20日 日曜日

  初蝶を追ひかけらるるところまで
  まだそこにゐる猫の仔の気にかかる
  足並の揃つてをりし浴衣かな
  焼薯の屋台と歩調合うてをり
  靴音のうしろの枯れて行きにけり
  向うにもこちらにも声青簾

ここには特別な風景があるわけではない。表現が特別なのである。日常の風景を作者の視座というものを確実に築いた描写なのである。

鎌倉佐弓句集 英訳

2011年2月20日 日曜日

『鎌倉佐弓の世界』 
第四句集『薔薇かんむり』

  万華鏡いちばん奥に王の部屋
  はるかなる石の王妃へ薔薇かんむり
  ポストまで歩けば二分走れば春
  パセリひと呑み鍵かけて来たかしら
  ゆらゆらと樹のてっぺんはいつも空席

飛躍した俳句というと日常からはみ出し過ぎてしまう作品集になることが多い。しかし、この作者の作品は非常に飛躍してあわや空中分解するのではないかと思うほど飛躍しながらしっかり着地する。どちらも外国の詩人が鑑賞している。

春の雪

2011年2月11日 金曜日

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このごろのシクラメンは寒さに強い。12月初めからの鉢が全く衰えないで花を新しくしている。隣の小さなシクラメンも「私だって元気よ」とばかりの勢いだ。この小さ方の鉢は農業祭で無料配布されたものだが、いつもいつも、隣の大きなシクラメンに追いつこうとしているかのように花を真上に掲げている。

古代ローマでは、シクラメンの地下茎が蛇の嚙まれた痕を治すことから身近に植えられたらしい。花言葉が清純 内気な愛 はにかみ 嫉妬。この最後の嫉妬ということばで、花の妖艶さを発揮するようだ。シクラメンのむこう側では、今日は一日中ちらちら雪が降ってはいたが、地面を濡らすだけでいっこうに積もらなかった。はじめての雪であり今年最後の雪だろう。

初めての雨

2011年2月9日 水曜日

  雨が降らないからだと、通るたびに思っていたことがある。我が家の向かい側の家は農家、否もと農家だった。その延長で今でも大型の車が回れるような庭で、端には納屋があり収穫した野菜の洗い場もそのままになっていた。

その家の後ろ側に広がる庭つづきの土地は、昔は欅が何本も伸びていたが、それがあるとき栗林になった。ところがいつかその栗の木も伐ってしまって薮状態が続いて久しい。秋になると、家屋敷を囲む「まてばしい」の木に絡まる烏瓜がオレンジ色の実をたくさんぶら下げている。ところが昨年はその一所からぼたぼたとキウイが落ちてくるのだ。見上げても分からないのだが地面に小型の確かにキウイの実だ。

いちど拾って確かめようとしたらどれもこれも鳥の食べた痕があった。それでも毎日毎日通るたびに十個くらいは落ちているので、疵のないのを拾ってみた。小さいけれど確かにキウイだった。それも国産の無農薬だ。その状態が今年の正月を越えるまで続いていた。アスフアルトの道路に落ちるのだからすぐに車が轢いてしまって地面に張り付く。

果汁の粘着力がつよいのか、キウイの皮がいまだにそのあたりにたくさん張り付いたままである。今朝は道路が濡れていたので雨が降ったらしいが、そんな雨ではいっこうにキウイの皮は洗い流せないに違いない。やっぱりそろそろ一雨きてくれなくては。 明日は雪になるという予報が出ているが・・。

立春

2011年2月5日 土曜日

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明治記念館で毎年行う「大江戸山伏勧進祈願際」に参加してきた。立春の日に行われる祈願祭りで直会まである大がかりな行事であった。昨年の秋、出羽三山の俳句大会選者を務めた縁でご招待をして下さったようだ。事前に座席札は送られてきていたが、案内されたのは最前列のメインテーブルだった。

同じテーブルに案内状を頂いた出羽三山神社の宮司さん、そして女優の原田美枝子さんや写真家稲田美織さん。読んだばかりの『見残しの搭』の著者久木綾子さんが一緒だった。それぞれが、羽黒山に所縁を持った方らしい。ことに久木綾子さんは70歳になってから17年かけて発表した五重塔についての歴史小説を書いた方。作家デビューは89歳だという。そんな年齢にはとても見えない綺麗な方で背筋もピンとしていた。
 
『見残しの搭』は周防国五重塔についての歴史小説で、ほかに羽黒山の五重搭を書いた『禊の搭』もある。ご挨拶の中で、大工道具一つをも知らなかったので、その一つ一つを確認することにも時間をかけていたという苦心のようなものを話していた。90歳まで生きられるなら、何かもう一つ仕事が出来るわねと同行の仲間と呟いた。大方の人が70歳くらいになると「どうせそう長くはないのだから」と、投げやりになって生きているのではないだろうか。このごろ90歳を越えた人のパワーが凄い。

山伏というのは山中をひたすら歩き、修行をする修験道の行者で、現在は女性もいる。奈良吉野山地の大峯山(金峯山寺)や鳥取県の大山、山形の羽黒山など霊山を踏破しながらの修業。そのことによって、山岳の自然の霊力を身に付けるらしい。ほら貝は山伏が山中での合図のために吹くのだ。 新年の御払いを受けて改めて今年を意識する一日だった。

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