2014年5月 のアーカイブ

群れにならない

2014年5月31日 土曜日

このごろひとりの小さな雑誌が増えてきた。大御所では「『弦』・主宰・遠山陽子」がある。この雑誌のなかで『評伝三橋敏雄』を書き上げた。

もう一人の大御所は「『GA』・主宰・秦 夕美」である。『GA』すなわち我、いかにも秦夕美氏らしい。この雑誌以前にも秦氏は藤原龍一郎氏とのににん誌を出していたことがある。鮮やかな表紙だったのを思い出す。なにより目に飛び込んできたのは二人の名前である。藤原月彦と秦夕美、この名前だけでも、今までのカビ臭い俳句は払しょくされたような気がした。その句の発表の仕方もまた、斬新だった。読みこんだ一文字が意図的に斜めに、あるいは真横に並んでいた。

「俳句は座の文学」ということばに慣らされてきたが、このごろほかの文学と同様に孤の意識が生まれつつあるのではないかと思う。座とか連衆ということばでくくられたくない人たちが増えたのかもしれない。なんとなく誰もいないので一人で作っている、という感じではない。はっきり一人を標榜しているのである。

『白い部屋』・有住洋子ーー季刊くらいの間隔で、毎号一人の招待席を得て着実に3号が出ている。あとは散文も鑑賞も作品も有住氏ひとりのもの。

『さくら通信』・櫻木美保子ーー普通のA5版の大きさで届いたが、広げると新聞紙大になる。アイデアだなーと感心してしまった。このさくら通信あとがきには(無所属ということにシンバシーを感じております)と表明している。

『ほたる通信』・ふけとしこーー毎月半分に俳句、半分にエッセイをかいたハガキがとどく。ときに宛名面の下に便りもあたたりして、ハガキ一枚にこんなにも漏れるんだなーと思った。

ハガキと言えばまさに表題が『はがき』としたににん紙が届く。西原天気さんと笠井亜子さんの才を生かしてデザインも楽しい絵ハガキである。(手に指がならんでをりぬ日雷・西原天気)(筍のごろんごろごろ土間ならば・笠井亜子)

『楕円律』・田吉 明ーー現在手元にある一番新しい版が111号。数句ずつにタイトルが付されているが、そのタイトルが詠みこまれているというのでもない句群で雑誌のすべてが埋められている。それらを最近『幻燈山脈』としてまとめている。

吉行淳之介文学館

2014年5月19日 月曜日

ねむの木学園にあるクレーの絵を見に出掛けた。
ねむの木学園、文学館、美術館は、同じ敷地内にあるのかと思ったら、それぞれがかなりな空間を持って独立していたので、建物から建物へ行くためには五分ほど歩かなければいけない。

バスの終点にある美術館は、その先には住む人がいないような山腹。.
バスを降りたところで、いきなりホトトギスの声をあびて、しばらく木立を眺めていた。学園の生徒の絵は、写生とも抽象とも違う、模様の連続のようなタッチの風景画で、色彩のきれいな絵だった。

本命のクレーの絵は吉行淳之介文学館にあった。美術館の童画のような佇まいとは違った純日本的な建物、宮城まり子との住居に使用していたのかと思ったが、そうではないらしい。一通り見たあと、まだ時間があったので、和室の方にも行っていいのかと訊いたら、休憩できますからどうぞ、と言われた。

びっくり、そこに入ったら宮城まり子さんが和服姿でソフアーに座っていらしたのだ。隣にいたのは編集者らしい。それにしてもお顔は輝くような張りのある表情で、他に見学者もいなかったので、私と友人で反対側のソフアーを陣取ってしばらくお話を伺っていた。

その間、何度も「淳ちゃんが・・」という言葉を聞いた。そのあと茶をどうぞと茶室に招かれ、どこへ行くんだろうと思ったら、文学館の続きに茶室があったのだ。お茶を立てる男性も、お菓子を運んでくる男性もねむの木学園の生徒のようだ。

あとで、きいたのだが吉行淳之介には小さい頃に出会っているとのこと。長じてから、芥川受賞作品「驟雨」も読んで、最後のシーンで青い葉が地上に散っていたのが印象に残っていると、画家らしい視線を口にした。そう、お茶を点ててくれた男性(ほんめつとむ)と、お運びをしてくれている男性(ほんめとしみつ)の絵,美術館にはたくさんあった。

枇杷を模った練り菓子も、お薄加減も美味しくて、思いがけない至福を頂いた感じだった。つい最近、週刊誌に美智子妃殿下と対面していた宮城まり子さんの写真を拝見したが、その写真には車椅子が傍らにあったので移動するのは介添えが必要なのだ。

随分ゆっくりさせて貰った。茶室からまり子さんの介添えを編集者と担って、休憩室に送ってからバス停に出た。待っているうちに先ほどのお茶を点ててくれた男性が、「おかあさんへ」という宮城まり子さんとの書簡集の本をわたしたちに持ってきてくれた。この施設が一生のよりどころなのだと思うが、めぐまれた人たちである。

戸恒東人第八句集『淅瀝』 2014年4月  本阿弥書店

2014年5月10日 土曜日

巷の灯の暗さに慣れて朧の夜

同時期に体験したものにはまだ生々しい震災というものを意識した句が随所にあるが、それらが、掲出句のように、日常の一所感という感じで収められている。

菩提子のしきりに落つる風の寺
沖に風出でて潮目の濃き寒暮
裏門に風の死角や梅早し
揺れもどるたびに綻び柳の芽
淅瀝と騒立つ湖畔秋の富士

気になった句を拾ってゆくと、風を見詰めた句になった。どれも、自然の透明な空間が捉えられていて気持ちのいい句だ。そういえばタイトルの『淅瀝』も、雨雪や風の音である。

岸本尚毅句集『小』 2014年3月  角川学芸出版

2014年5月8日 木曜日

頭から肘へつたはる甘茶かな
猫の如く色さまざな浅利かな
植ゑし田のさざ波遠くゆくが見ゆ
夏楽し蟻の頭が蟻を踏み
わが前に暗き新樹として立てる
新涼や肘より遠きたなごころ
眼のふちに水の来てゐる秋の蛇

本当は一句を為すまでのストーリもあるのかもしれないが、作品のどれにもその苦心の痕跡はのこらないので心安らかに味わっていける。それが岸本ワールドなのだと思う。浅利の模様を猫に見るのも、蟻を拡大した提示の仕方も、何事もない日常を(肘より遠きたなごころ)によって作品化しているのも、技というものを感じる。

筑紫磐井句集『我が時代』ー2004~2013ー  2014年 実業公報社

2014年5月8日 木曜日

一書は第一部の句集と第二部の文章に分かれている。

まずはまえがきが筑紫さんらしい。
最初にF・フォイエルバッハの『唯心論と唯物論』の抜粋を置いて、人は老いてゆく条理の中で、自分の意志がある。そうして自分の本質の自覚こそが生きること、と言っているのだろう。

阿部定にしぐれ花やぐ昭和かな
ばらばらの顔であひたき同窓会
欲望が輝いてゐた戦後とは
余生とはうかつにすごす末期かな
老人が群れてかごめや十二月

当然ながら無季俳句がおおいので、選ぶときにどうしても内容に気を取られてしまうが、全体に、今回の文章と俳句作品を合せて、人生、ことに老いることに焦点があったている
。実際にお目に掛かっているときの印象のまま、本来的に生真面目な真摯な人なのだと思う。

2014年5月 『航』 創刊号

2014年5月8日 木曜日

主宰・榎本好宏

ふと手にして、もう長いこと続いている雑誌のような感じがしたのは、そのデザインのせいだけではなく、雑誌造りを手掛けてきた経験が生かされているからだろう。元「杉」編集長だった榎本氏主宰の隔月刊の俳句雑誌。周囲から見ればもうとっくに創刊していても良かったのではないかと思う。

箸置きにまでも菜の花明りかな    榎本好宏

それからは妻の言ひ分蝌蚪の紐    小林雪柳
けふ見えぬ富士をこころに磯菜摘   百瀬七生子
掴みさう踏みさう姉の石鹸玉     石井公子

2014年3月 『クプラス』 創刊号

2014年5月8日 木曜日

*高山れおな・山田耕司・上田信治

以前「いい俳句とは」とはというアンケートが来たことを思い出した。そのアンケートを第一特集として、第二特集は「番矢と櫂」
これもまた『俳句新空間』と同様のウエブサイトから発展してきているようだ。ーー「クスラプ」が望むところはただ俳句だけだが、さしあたり不足しているもろもろを、俳句のために差し出せればと思うーーーとある。あまりに短い俳句は、どこかで欲求不満が付き纏うのではないだろうか。そのジレンマが雑誌を作らせている気がする。

2014年2月 『俳句新空間』 創刊号

2014年5月8日 木曜日

*発行人 北川美美・筑紫磐井
一年前から開始されているウエブサイトの俳句空間を紙媒体にしたもの、という編集後記があり、ざっと百人位の見知ったひとたちの名が連なっていた。顔ぶれから、これから何かはじまるのかなという予感の雑誌である。

『寒雷』2014年5月号  850号記念特別号

2014年5月7日 水曜日

記念号とは言ってもなかなか全部を読みきることがないのだが、今回の298頁の大冊「感雷」は一気に読んだ。

朝日カルチャーで最晩年の加藤楸邨という俳人に数年学んだことがあるせいか、その人物像が自然に組み立てられていくせいもある。そこでよく「知世子がね、僕の話は長いって言うんですよ。」などと何度も知世子がね、という言葉をはさんだのを思い出した。金子兜太氏との座談会で加藤瑠璃子氏が、知世子夫人の亡くなったあと食事の膳についても箸を取る気にもならなかったというお話をされていたのが、思い出と繋がっていく。

その他の、もう鬼籍の同人たちの名前にも馴染があって懐かしかった。
佐藤ゆき子氏が櫻井博道氏を桔梗に託していたが、あーそうかもしれない、と頷きがら読み進むと、小檜山繁子氏が佐伯祐三展をみてその自画像に重なった書いてあることが紹介されていた。

その佐伯祐三のアトリエの残されている公園に櫻井博道氏と櫻井夫人、それに森玲子さんと四人で行ったことがある。何時だったっか。少なくとも櫻井家具店を舞台にした「時代屋の女房」が映画化された後だった。

川村研治氏の「なぜ俳句なのか」の中でーー読者を巻き込む、あるいは人の心にひびく作品というのは、極端に言えば、みな何らかの意味で、追悼の句といえるかもしれない。--とある。逆の言い方をすれば、俳句を詠むときの姿勢が必要なのだとも言える。

復本一郎氏が<火の奥に牡丹崩るるさまを見つ〉の牡丹の色は何色なのがと、国文学者らしい繰り広げ方をしていた。ふと、ガラス工房でガラスを溶かしてある坩堝の中は全部が真っ白で、勘で融けたガラスを汲みだしてくるのだと言っていた工房の人の話を思い出した。

ゴールデンウイーク

2014年5月2日 金曜日

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新しくなった歌舞伎座にはじめて出かけた。細かいところでは変わっているのかもしれないが、内外ともに以前のイメージのままだった。幕間に緞帳の紹介があったので席からカメラに収めておいた。

お願いしておいた座席が花道にも舞台にも近い座席だったこともt手伝ってか、これまでになくどの場面も面白く、中でも海老蔵の勧進帳に魅せられた。この出し物は偏に弁慶の独り舞台だ。ほとほと、歌舞伎は型を受け継ぐものだという実感をした一日だった。演じているどの瞬間も絵になる

義経と悟られて、関所を突破しようとする家来の面々(四天王)とそれを留める弁慶がひとつになって演じる場などは象徴的な演出で、ここでもまた改めて型を感じた。

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