記念号とは言ってもなかなか全部を読みきることがないのだが、今回の298頁の大冊「感雷」は一気に読んだ。
朝日カルチャーで最晩年の加藤楸邨という俳人に数年学んだことがあるせいか、その人物像が自然に組み立てられていくせいもある。そこでよく「知世子がね、僕の話は長いって言うんですよ。」などと何度も知世子がね、という言葉をはさんだのを思い出した。金子兜太氏との座談会で加藤瑠璃子氏が、知世子夫人の亡くなったあと食事の膳についても箸を取る気にもならなかったというお話をされていたのが、思い出と繋がっていく。
その他の、もう鬼籍の同人たちの名前にも馴染があって懐かしかった。
佐藤ゆき子氏が櫻井博道氏を桔梗に託していたが、あーそうかもしれない、と頷きがら読み進むと、小檜山繁子氏が佐伯祐三展をみてその自画像に重なった書いてあることが紹介されていた。
その佐伯祐三のアトリエの残されている公園に櫻井博道氏と櫻井夫人、それに森玲子さんと四人で行ったことがある。何時だったっか。少なくとも櫻井家具店を舞台にした「時代屋の女房」が映画化された後だった。
川村研治氏の「なぜ俳句なのか」の中でーー読者を巻き込む、あるいは人の心にひびく作品というのは、極端に言えば、みな何らかの意味で、追悼の句といえるかもしれない。--とある。逆の言い方をすれば、俳句を詠むときの姿勢が必要なのだとも言える。
復本一郎氏が<火の奥に牡丹崩るるさまを見つ〉の牡丹の色は何色なのがと、国文学者らしい繰り広げ方をしていた。ふと、ガラス工房でガラスを溶かしてある坩堝の中は全部が真っ白で、勘で融けたガラスを汲みだしてくるのだと言っていた工房の人の話を思い出した。