『天為』2013年10月号
現代俳句鑑賞 筆者・内田恭子
今日もまた清水立口なく盛り上がる 岩淵喜代子
(「俳句四季」八月号)
山中の清水は、岩肌を伝うのではなく水底から湧いているものも多い。透明に湛えられた水をじっと見ていると、水底の砂や小石を巻き上げてそこに水中噴水とでもいうような対流が出来ているのがわかる。ただ、水面を出るほどの勢いではないので、水面がゼリー状に見えるように「盛り上がる」のだ。そんな小さな清水が時に大河のはじまりであったりする。
水はもちろん、句の透明度が高い。
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ランブル2013年10月号
現代俳句鑑賞22 筆者今野好江
梅雨茸つひにひとりがペンで刺す 岩淵喜代子
『俳句』八月号
湿気の多い梅雨どきに生える梅雨茸。食べられるものもあるが殆ど毒きのこである。 樹の下や庭隅などに生える梅雨茸は陰気な感じがする。上田五千石の句に
鉛筆で火蛾の屍除くる貧詩人 五千石
があるが、何か気色の悪いものに出会った時、人は見過すことが出来ない性がある。
陰鬱なてらてらした梅雨茸を見た人が思わずペン先で突いてしまった。 傍観者たる作者の諧謔を弄した一句。
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『氷室』2013年10月号
新・現代俳句鑑賞 筆者・大島幸男
梅雨茸つひにひとりがペンで刺す 岩淵喜代子
「俳句」八月号
吟行会場は、由緒はあるものの、参拝者のほとんどない田舎の神社である。だから裏手に廻れば、手入れのされていない林には、落葉や倒木が雑然として、雨上がりの茸が処々に伸びている。とりわけ巨大な茸を一同取巻き、あれこれと談義をするが、名前もわからない。「 毒かも知れないから触らないで」という声にもめげない一人がペンで突いて倒し、ついには突刺さして高々と持ち上げた。みんなの視線は茸に釘付けなのである。
懐かしいコメディー映画を見るような喧しい様子が楽しい。
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『田』2013年10月号
俳句月評 色色 筆者・栗山政子
天道虫見てゐるうちは飛ばぬなり 岩淵喜代子
「俳句」八月号より
昆虫の多くは、人の近づく気配がしただけで逃げてしまう。
その点、天道虫は人が近くにいても、すぐには飛ばない。トンボのように羽がはっきり見えない天道虫は、どうやって飛ぶのだろうか。 じっと見ている。でも飛ばない。掲出句を読み返すと、天道虫が眼前に現れてくる。飛ぶ瞬間を見てみたくなる。
体の表面に光沢のある天道虫は前翅を割って、下にたたみこまれた薄い後翅を広げて飛ぶのだが、この翅がけっこう長い。
太陽(天道)へ向かって飛んでゆくから、天道虫と呼ばれるそうである。
〈指わつててんたう虫の飛びいづる 高野素十〉
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『松の花』 2013月10月号
現代俳句管見 総合誌より 筆者 平田雄公子
天道虫見てゐるうちは飛ばぬなり 岩淵喜代子
「俳句」8月号
天道虫」は、見掛以上に強かな昆虫かも。見られて「ゐるうちは」不活発なのに、目を離すと逃げるのだ。
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『狩』2013年11月号
秀句探索 筆者森本秀樹
教室のうしろの黒板梅雨長し 岩淵喜代子
「俳句」8月号より。意表をつく作品である。そういえば学生のころ、各教室の後ろに黒板があったのを思い出した。週間予定表などが書かれていたような気がする。朝から梅雨の雨がしとしと降っている。生徒は一斉に「まえ」の黒板を見つめ、先生の講義に聴き入っている。時折視野に入るのは、長梅雨の窓の外と、廊下の前の出入口くらいではなかろうか。
掲句は、まったく視野に入らない「うしろの黒板」に注目。長梅雨が外のみならず、教室全体にまで影響を及ぼしていることを示唆している。
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『雲取』2013年11月号
現代俳句管見 下條杜志子
真ん中に火鉢置かるる花疲れ 岩淵喜代子
(「ににん」夏号)
暮らしの、部屋の、調度の主のような火鉢であったが、役目を終えて消えつつある。炭火や練炭、炭団も同様だろうか。この句、上五から察するにお連れがありそうな。そして下五からは花冷えか花の雨の中を少々お疲れ気味に来られたと思われる。火鉢の火がそれらを全部集約してほのぼのと赤く、花を愛でた疲れに、僅かな火の色の呼応が美しい。
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『森』2013年10月号
俳句への思い四 筆者・五十嵐修
火の中に火の芯見ゆる桜の夜 岩淵喜代子
『ににん』夏号
この桜の夜の火は何であろう。その詮索はさておき、生きている大の力や匂い、それに重ささえ感じさせ、胸奥に導き、句は独特のリアリティを備える。
この火はまた過度の文明化によって起こった戦争などの争いや原発事故などと潜在的なところで地続きなのでは。
探し当てた火の中に見える芯とは過剰な表現かなとも思えるが、日本人の鋭敏な直感にも適って時代と社会の陰影を増幅しているのが伝わり、忘れることなく歴史にも目を向けよと訴えている。読めば読むほどそう思えてくる。
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『春野』 20113年10月号現代俳句鑑賞 --五感を通して
椎匂ふ闇の中より闇を見る 岩淵喜代子
(俳句四季 8月号より)
神社・寺院には樹齢四、五百年と言われる椎の木があるのは珍しくはない。淡黄色の小花をびっしりとつけ噎せかえるような香を放つ。一句の中に闇と言う辞句をくり返した音調が印象的である。最初の闇は眼前の闇、あとの闇は無窮であると思えば、この世と、かの世をつないでいるのは椎の香りであろうか。
草も木もしんと呼吸を止めているような大気の澄みに椎の花はほろほろと散る。