2014年11月 のアーカイブ

卵剝く冬の港の男らよ   深代 響

2014年11月26日 水曜日

(冬の港の男)と読むうちに読者は誰でも町の中の男や山男とも違う独特な雰囲気を想像する。それは港の一語だろう。港という言葉を纏うことによって、なんだかわからなくても、独特な物語性を感じてしまうのである。しかし、それだけでは既視感を露わにしてしてしまう。一句は(卵剝く)によって読み手と繋がってゆくのである。(句集『雨のバルコン』  2014年 鬣の会 風の花冠文庫より)

生きるのが大好き冬のはじめが春に似て   池田澄子

2014年11月25日 火曜日

暗転ということばがある。幕を下ろさず、舞台を一時暗くして場面を変えること、すなわち第二場に移るのである。池田澄子さんの諧謔とはまさにその暗転である。
(生きるのが大好き)といいながら、その理由が(冬のはじまが春に似て)になるのは人生はそんなに容易くはないという思いの中にいながらの生きることへの信頼である。(花よ花よと老若男女歳をとる)(カメラ構えて彼は菫を踏んでいる)など、池田澄子さんの句には、怜悧な目が潜んでいる。(『池田澄子百句』坪内稔典・中之島5編より)

歯にあたる歯あり蓮は枯れにけり   鴇田智哉

2014年11月13日 木曜日

「歯にあたる歯」と言っても寒さで上下の歯がぶつかりあったりしていることを言っているのではない。上下の歯を意識すれば上の歯は下の歯に、そして下の歯は上の歯に触れているのである。無意識の現状をふと意識の上に置いたのである。

視野には蓮の枯れた景が広がっている。その蓮の葉の枯れ様を無残なと言っているわけではない。自然の推移を淡々と享受している作者がいる。

ほとんどが蓬になつてしまひけり
蝉が鳴く傘立てに傘立つたまま
まなうらが赤くて鳥の巣が見える
ハンカチが顔を包んでゐる正午
鳥が目をひらき桜を食べてゐる
いちめんの桜のなかを杖がくる
風船になつている間も目をつむり
まんなかが窪む遅日のひとだかり
七月の舌にかすかな味がする
ある夜の守宮と影をかさねたる
鴇田智哉第二句集『凧と円柱』  2014年9月  ふらんす堂

死んでゐるのか生きてゐるのか着ぶくれて   小原啄葉

2014年11月12日 水曜日

着ぶくれとは、寒さに耐えるために服を重ねて、少し無様な感じのしないでもないような姿、まさにその言葉のとおり身そのものが膨れた感じの状態を言う。
体に幾重もの衣服をかさねているために、どこか動作も緩慢になる。それがまるで精神にも及んでいるかのごとく、ときに愚鈍な印象にもなって哀れさを誘うのである。
一句はそれを「死んでゐるのか生きてゐるのか」という措辞によって言い表している。小原啄葉句集『無辜の民』2014年11月 角川学芸出版

浮野

2014年11月9日 日曜日

正確には巨大な鯉幟を上げる加須市の「浮野」地域なのだが、面白い名前である。大昔は東京湾はかなりえぐれていて、その一番奥が加須市の現在の浮野のあたりだったらしい。そして東京湾の波打ち際だったこともあって、利根川も荒川も加須市を通過している。

案内をしてくれた落合さんは四本もの川が流れているんですよ、とおっしゃったがあとの二本の川は聞きそびれてしまった。このことからも、浮野という地名が想像されてくるのである。野が浮くなんて全国でもここだけかもしれないが、実際、何十年だか前の大水のときには浮野のあたりがぽっこり浮き上がって、水が引いたらまた元の高さに戻ったという。

加須市は真っ平らな土地のせいが、坂東太郎の異名をもつ利根川がまるで沼のようだった。名物は饂飩だそうで、天皇陛下も寄ったといううどん屋さんで昼食をとった。しこしことした美味しい饂飩だった。

さて午後は「私の好きな俳句」のテーマで講演をした。ここ加須市の毎年恒例の市民俳句大会は同じテーマで講演をしてきているらしい。たしかにこのテーマならそれぞれ中身は違ってくる。私はどんな俳句が好きなのかを原石鼎の句の変化の中で選び出し、その石鼎句と並ぶ人たちの句を紹介するという流れをとった。

わが遺品となす北辺の大海鼠   渡辺誠一郎

2014年11月6日 木曜日

 海鼠ってどちらが頭か尻尾もわからない異様な生き物である。その上、どんな味がするのかと問われても答えられない。
その不可解さに人を惹きつけるものがあるようだ。ある時は哀れさの象徴として、あるときは滑稽の象徴として、またあるときは己の身代わりにまでなるのである。

作者は海鼠を「遺品となす」と声明しているのである。もっとしっかり言えば「この北辺の大海鼠を」と言っているのだ。そういわれることで、読み手は形の定まらない海鼠の存在がいかにも尊大に見えてきて、作者の心の象徴として残されるものとして受け止めるだろう。

他に「厳冬に生れて軽き赤子かな」「寒の水掬えば身の内さざなみす」など震災を経た重いテーマの句集である。「句集『地祇』2014年10月 銀蛾舎」より

明けてより暮るゝまで雨瓢の臀   山口素基

2014年11月2日 日曜日

一句はただただ垂れ下がっている瓢に視点を当てている。しかも、下から丁度瓢の臀を見上げるような位置で視点が定まっているのが、その存在感を確かなものにしている。日に何度となく目にしていたのだろう。その繰り返しのある日は、雨の一日で見上げるたびに雨の中の瓢の臀があった。
作者の虚心というか無心な姿が、おかしみを漂わせながら、次第に瓢と作者の距離が一つになるような気さえしてくる。(句集『雷鼓』2014年11日 文學の森)より。

夜光虫の水をのばして見せにけり    岩淵喜代子

2014年11月1日 土曜日

筆者 七種年男

(俳句界9月号「特別作品6句」から)夜光虫は海洋性のプランクトンの一種だが、夜になると光って見える。海一面に広がり波に揺られている様子を水をのばしていると表現した。
「見せにけり」と言ったところに夜光虫が生命体であることを強く意識させる。静かな主張を感じる好きな句である。
『沖』11月号現代秀句鑑賞

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