暗転ということばがある。幕を下ろさず、舞台を一時暗くして場面を変えること、すなわち第二場に移るのである。池田澄子さんの諧謔とはまさにその暗転である。
(生きるのが大好き)といいながら、その理由が(冬のはじまが春に似て)になるのは人生はそんなに容易くはないという思いの中にいながらの生きることへの信頼である。(花よ花よと老若男女歳をとる)(カメラ構えて彼は菫を踏んでいる)など、池田澄子さんの句には、怜悧な目が潜んでいる。(『池田澄子百句』坪内稔典・中之島5編より)
暗転ということばがある。幕を下ろさず、舞台を一時暗くして場面を変えること、すなわち第二場に移るのである。池田澄子さんの諧謔とはまさにその暗転である。
(生きるのが大好き)といいながら、その理由が(冬のはじまが春に似て)になるのは人生はそんなに容易くはないという思いの中にいながらの生きることへの信頼である。(花よ花よと老若男女歳をとる)(カメラ構えて彼は菫を踏んでいる)など、池田澄子さんの句には、怜悧な目が潜んでいる。(『池田澄子百句』坪内稔典・中之島5編より)
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