明治13年に愛住町に19歳の小具貞子の創立した女学校のあった場所を案内してもらった。くらやみ坂の傍である。小具貞子とは、梅田晴夫の母方の祖母で、女学校を経営していた。その女学校のあった場所を確認しに行った。四谷のくらやみ坂の傍らである。
この小具貞子の娘が梅田玲如、鹿火屋の同人であった。実業家夫人、代議士夫人として、原コウ子を助けてくれていた。玲如の家には、時には久保より江、柳原白蓮、松井須磨子が訪れている。四谷区愛住町76は玲如や晴夫の生まれた住所である。
玲如の生まれた住所を訊ねるほど、いろいろ玲如を書くつもりもないのだが、場所を知っているという人がいたので案内して貰った。あたり一面傾斜地で、多分学校も傾斜地のまま建てられたに違いない。
それにしても20歳そこそこの女性が女学校を創立するとは、大胆である。