日は毎日昇り毎日沈む。決して留まることない日夜を、誰もが、歴史の中でどれだけ凝視してきたことだろう。そうして見つめられてきた昼と夜の天象が一日たりとも狂ったことはないのである。
だから我々はその日毎の移り変わりを淡々と受け止めるしかない。言葉にしてしまえば朝が来る、日が暮れるというしかない現象を形にするのが俳句なのだと改めて思うのである。
掲出の花は白木蓮だと思いたい。それによって夜のとばりがよく見え、白木蓮が印象的になる。(また来る夜のとばり)は万人の頷く措辞で、そのことばは詠み手の人生の中で揺曳され続ける。(口切やしかと音して椎の雨)(午からは日のあふれたる彼岸かな)(花種を蒔き満天の星となる)(日輪に触りゐるこの大桜)第九句集『短夜』 2014年9月 角川学芸出版 (岩淵喜代子)