先週のににん句会を見学しに来たフランスの女性が、帰りに一人でドトールによって、俳句を作ってみたというメールを頂いた。なんだか、非常に恥ずかしがっているような感じだ。当日の句会の場でも、会話は少しも滞らないし、受け取ったメールも日本人と変わらない文章である。
それでも、馴染のない句会の場で緊張していたのかもしれない。俳句は外国でもハイクと言うので、日本独特の文化なのである。私たちには何でもない句会の場は見知らぬ世界だったに違いない。
確かに、私もカルチャーで俳句講座を受け、一年後くらいに鹿火屋の句会に参加した時には、緊張してしまって何だか金縛りにあったように体が動かなかった。目の前に置かれたお茶を飲もうとして茶碗を口に近付けるのだが、口まで茶碗が運べないのだ。首が硬直して茶碗に近付かないような感じだった。手の茶碗をさり気なく下に置いては、また茶碗を手に取ってみるのだった。
そんな緊張感が何か月も続いた。他所の国、そして自国にはない文化の世界、という複数のハードルを越えるのはきっと大変なのだ。今夜は満月。窓から真正面に月が出ていた。