2014年9月9日 のアーカイブ

満月

2014年9月9日 火曜日

先週のににん句会を見学しに来たフランスの女性が、帰りに一人でドトールによって、俳句を作ってみたというメールを頂いた。なんだか、非常に恥ずかしがっているような感じだ。当日の句会の場でも、会話は少しも滞らないし、受け取ったメールも日本人と変わらない文章である。

それでも、馴染のない句会の場で緊張していたのかもしれない。俳句は外国でもハイクと言うので、日本独特の文化なのである。私たちには何でもない句会の場は見知らぬ世界だったに違いない。

確かに、私もカルチャーで俳句講座を受け、一年後くらいに鹿火屋の句会に参加した時には、緊張してしまって何だか金縛りにあったように体が動かなかった。目の前に置かれたお茶を飲もうとして茶碗を口に近付けるのだが、口まで茶碗が運べないのだ。首が硬直して茶碗に近付かないような感じだった。手の茶碗をさり気なく下に置いては、また茶碗を手に取ってみるのだった。

そんな緊張感が何か月も続いた。他所の国、そして自国にはない文化の世界、という複数のハードルを越えるのはきっと大変なのだ。今夜は満月。窓から真正面に月が出ていた。

敬老日しみじみと掌のうらおもて   吉武千束

2014年9月9日 火曜日

ウィキペディアによると、兵庫県多可郡野間谷村で老人に感謝をする日として行っていた行事が、国民祝日になったようだ。掲句はそれなりの年齢を重ねた作者が、年長者へというよりは、自分を振り返っているのである。それが(しみじみと掌のうらおもて)の叙述になった。

石川啄木の(働けど働けど我が暮らし楽にならざり/じっと手を見る)とは違うが、わが手をみる行為は自照を行動化したもの。自らを振り返っているのである。この端的な表現力が(発掘のこの日焼ぶり真面目ぶり)(風鈴の吊し処を風にきく)(鎮まりし波起こしては紙を漉く)(日傘ふとうれしきときは回しをり)などの佳句を生む土台になっている。(三第一句集『太古のこゑ』序文=能村研 2014年7月 文学の森)(岩淵喜代子)

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